マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『聖歌145番「血しお したたる」とバッハ「マタイ受難曲」』

 本日は聖金曜日(受苦日)です。前橋での午後2時からの礼拝で聖歌を一曲だけ歌いました。聖歌145番「血しお したたる」(讃美歌136番)です。新しく入ったチャーチオルガンで、私が奏楽を担当しました。
 この聖歌は下のURLで聴く(見る)ことができます。聖マーガレット教会の有志による演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=EFYuhdZLnLQ

 聖歌145番「血しお したたる」の歌詞は以下の通りです。

1 血しお したたる  主の み頭(かしら)
  とげに 刺されし  主の み頭
  悩みと恥に     やつれし主を
  み使い 畏れ    君と仰ぐ
2 主のくるしみは   わがためなり
  われは死ぬべき   罪人となり
  かかる わが身に  代わりましし
  主の み心は    いと尊し 
3 なつかしき主よ   はかり知れぬ
  十字架の愛に    いかに応えん
  みいつくしみに   とこしえまで
  かたく頼りてと   仕えさせよ
4 主よ 主のもとに  帰る日まで
  十字架の影に    立たせたまえ
  み顔をあおぎ    み手によらば
  臨終(いまわ)の息も 安けくあらん 

 イエス様が「ユダヤ人の王」と嘲笑され、王冠の代わりに茨の冠をかぶせられ、両手・両足を釘付けされていて、血潮が顔を流れるままになっている様が描かれています。2節でイエス様の十字架の意味が示されます。つまり、「私のため、私の罪を贖うため」ということです。3節でその十字架の愛にどう応えるか、主に頼り仕えること、4節で帰天の時まで主を見つめ主に頼れば死を前にした時も平安であろう、と詠っています。まさに授苦日にふさわしい聖歌と言えます。

 この詩については、まず、クレルヴォーのベルナール(1090-1153)が、「十字架にかかりて苦しめるキリストの肢体への韻文の祈り」というラテン語の詩文を作詞しました。その第七部の「頭への祈り」を、17世紀のドイツの讃美歌作者パウル・ゲルハルトがドイツ語に訳した聖歌です。
 曲は、ドイツの音楽家ハンス・レーオ・ハスラーが1601年に発表した恋愛歌のために作曲した五声部の合唱曲です。その後、1656年にパウル・ゲルハルトの「血しおしたたる」にこの曲を転用して発表されました。この聖歌は、ドイツにおける、受難コラールで最も有名な曲になりました。

 聖歌145番の引照聖句であるイザヤ書53章4節-5節はこうです。
『彼が担ったのは私たちの病 彼が負ったのは私たちの痛みであった。しかし、私たちは思っていた。彼は病に冒され、神に打たれて 苦しめられたのだと。
彼は私たちの背きのために刺し貫かれ 私たちの過ちのために打ち砕かれた。彼が受けた懲らしめによって 私たちに平安が与えられ 彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。』
 いわゆる「苦難の僕」であり、イエス・キリストの予徴です。この聖句は本日の礼拝の中でも読まれました。イエス様の十字架は贖罪のためであり、イエス様は「傷ついた癒やし人」であることが示されています。テーマは聖歌145番と共通しています。

 多くの作曲家がこの聖歌を、編曲したり主題に用いています。特に、バッハのマタイ受難曲での編曲が有名で、バッハはマタイ受難曲でこの聖歌を5回も用いています。

   私はリヒター版(1958年)のこのCDで聴いています。

 カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団による1971年5月のバッハ「マタイ受難曲」を以下のURLで見る(聴く)ことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=z6CIFxqnNu0

 マタイ受難曲全68曲中、「血しおしたたる」のコラールが微妙に形(調)を変えて以下の5回も登場しています。
  第15曲「私を知ってください 私の守り手よ」(過越の食事)
  第17曲「私はここ あなたのみもとにとどまろう」(信仰告白
  第44曲「お前の道と」(イエス、すべてを神にゆだねる)
  第54曲「おお 血と傷にまみれ」(死の直前)
  第62曲「いつか私が世を去るとき」(息を引き取った後)

 バッハはただコラールを繰り返すだけでなく、場面に応じた工夫をしています。例えば、5回出てくるうちの最後の2回。
 4回目(第54曲)の場面は、イエス様が茨の冠をかぶせられて群衆になじられるという場面で、5回中、最も高い調性であるニ短調で歌われます。
 しかし、5回目(第62曲)にイエス様が十字架上で息を引き取って、その直後に歌われる時には、同じコラールでも最も低い調性であるイ短調で歌われます。
 聖歌145番は5回目と同じ調性のイ短調になっています。
 バッハは同じコラールを物語の状況や場面に合わせて繊細に変化させました。これは受難の物語に聴き手も参加できる仕組みであったと考えられます。
これにより、イエス様が十字架についたのは私の罪のためで、それにより贖われ新たに生きる者になったことを実感するようになっています。
 マタイ受難曲でバッハは様々な音楽的な工夫を凝らしましたが、それは福音書のメッセージを伝えるためでした。バッハは、いつも楽譜の最後に「Soli Deo Gloria(ただ神の栄光のために)」と書いていましたが、それがバッハの音楽に向かう姿勢でした。
 マタイ受難曲に聖歌145番「血しおしたたる」のコラールは5回登場するのも、それがイエス様の受難(十字架)の意味をよく表し、それが私たちへの福音(よき知らせ)となっているからであり、神様はバッハを用いて私たちにそのことを伝えていると思うのであります。