マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

2021-06-01から1ヶ月間の記事一覧

聖霊降臨後第5主日(特定8) 聖餐式 「ヤイロの信仰に倣う」

今日は聖霊降臨後第5主日です。午前は前橋、午後は新町の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は申命記15:7-11とマルコによる福音書5:22-24、35b-43。説教では、ヤイロの娘の奇蹟を通して、私たちの痛みや苦しみに触れて癒やしてくださるイエス様の愛を…

『神の願いに答える願い、それが祈り』

先主日の礼拝の説教の中で「祈りとは神様の前に自分を置き、神様に見つめてもらうこと」と話しました。これはフランシスコ教皇が訪日した折りに、ある青年の質問に答えた教皇の言葉を簡潔にしたものです。さらに言えば、先主日の説教で使用した絵本の一場面…

聖霊降臨後第4主日(特定7) 聖餐式 「イエス様と共に向こう岸に渡る」

今日は聖霊降臨後第4主日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所はヨブ記38:1-11、16-18とマルコによる福音書4:35-41。説教では、ガリラヤ湖における奇跡を通して、危機や苦難を乗り越えるには神様へ全幅の信頼を寄せる必要があることを知り…

『「祈り」とは神に見つめてもらうこと』

ここのところブログで「祈り」について思い巡らしています。そして、「祈るとは神様の前に自分を置くこと」や「自分の願いを神様の願いに替えていただけるよう祈り求めること」などをテーマに語りました。そこでは、神様に願うというよりも神様に聴くことが…

聖霊降臨後第3主日 聖餐式 「神の国と主のみわざ」

今日は聖霊降臨後第3主日です。新町の教会で聖餐式を捧げました(前橋は「み言葉の礼拝」)。聖書箇所はコリントの信徒への手紙二5:1-10とマルコによる福音書4:26-34。説教では、「成長する種のたとえ」と「からし種のたとえ」について思い巡らし、神の…

『「祈り求める」の真意とは何か』

前々回のブログで、ギリシャ語原語等から「祈るとは神様の前に自分を置くこと」をテーマに語りました。そこでは、「祈りは自分の願いを神様に求めることではない」というニュアンスで記しました。では、聖書にもあり、私が説教の終わりで述べることもある「…

聖霊降臨後第2主日 聖餐式 「神の家族として御心を行う」

今日は聖霊降臨後第2主日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所はコリントの信徒への手紙二4:13-18とマルコによる福音書3:20-35。説教では、イエス様は私たちを神の家族の一員として招いておられることを知り、神の家の中に入り神の家族とし…

『「祈り」は神様の前に自分を置くこと』

先日の三位一体主日の聖餐式の説教で「十字を切る」意味や方法について言及しました。十字を切る所作は、教派によって違いがあります。私たち聖公会やカトリック教会では、開いた右手で額、胸とおろし、次に左肩にもってきますが、ギリシア正教では、親指・…