マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

復活節第6主日聖餐式  「イエス様が示した愛の本質」

 本日は復活節第6主日。午前は、新町の教会で聖餐式を献げました(前橋は「み言葉の礼拝」)。聖書箇所はヨハネの手紙一4:7-21とヨハネによる福音書15:9-17。説教では、最後の晩餐の席上で弟子たちに行った告別説教の中から、イエス様が示した「愛の本質」について思い巡らしました。母の日でもあり、母の愛は神の愛に近いと考えられることから思い浮かぶ映画「汚れなき悪戯」にも言及しました。
 午後は、前橋の教会墓地(嶺公園)で「逝去者記念の式」を行い、その後、各信徒のお墓を回り、祈りを捧げました。

   「イエス様が示した愛の本質」

 <説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン
 
 本日は復活節第6主日です。復活節も終わりに近づきました。今週の木曜、13日は昇天日、復活日(イースター)から40日後にあたります。そして、当教会で次の礼拝のある、2週間後、5月23日はいよいよ聖霊降臨日です。

 本日の福音書箇所はヨハネによる福音書15章9節から17節です。
 イエス様が十字架にかけられ、弟子たちは怖くなってイエス様を見捨ててしまう、そのほんの数時間前に話されたイエス様のお言葉です。このお言葉はイエス様が最後の晩餐の席上で弟子たちに行った長い告別説教の一部であります。
 この箇所には3つの内容があると考えられます。「愛の本質」についてと「友」について、そして「神の選び」についてです。今回はイエス様が示した「愛の本質」について、思い巡らしたいと思います。

 11節・12節に「これらのことを話したのは、私の喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。私があなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これが私の戒めである。」とあります。
「私があなたがたを愛したように」とイエス様は、まず御自分が先に弟子たちを愛してきたことをお示しになり、そのように「互いに愛し合いなさい」と命じておられます。
 この「愛する」の原語(ギリシャ語)は「アガパオー」です。神の愛を表す「アガペー」の動詞形です。原文は命令形ではなく、直訳は「[あなたたちは]愛するようになる」であり、現在形で表されていますから継続を意味しています。つまり私があなた方をまず愛したから、あなたがたは「続けて愛し合うことになる」というニュアンスです。そのように生き続けていく中で、イエス様の喜びが私の喜びとなっていくということと考えられます。
  大阪の釜が崎で日雇い労働をしながら聖書の翻訳について新たな提案をしている本田哲郎神父の訳では12節はこうなっています。
 「わたしがあなたたちを大切にしたようにあなたたちが互いに大切にしあうこと、これこそ、わたしの掟である」と。
 本田神父はこれまで「愛する」と訳されていた部分を「大切にする」と訳し変えているのです。
 これは、日本の戦国時代のキリシタンたちが「神の愛」を「デウスの御大切」と訳していたのと似ています。当時は、仏教では、「愛」=「愛欲」であり、浄化すべきものと捉えられていたので、キリスト教の教義の中心となる「神の愛」という概念を正しく伝えるために、「愛」でなく「御大切」という言葉を使ったようです。
 キリスト教における「愛」とは、その人のことが好きということとイコールではありません。それは相手のことを思いやり、共感し、受け入れ、理解し、ゆるそうと努力することです。たとえ、その人が憎らしくても、その人のことを大切にしていこうとするのが、キリスト教における「愛する」ということであります。
「この私を愛してくださった」というイエス様の愛を深く受け取ったからこそ、弟子たちは愛することができるし、愛さずにはいられなくなります。これは義務や命令ではなく、「恵み」なのであります。
 
 ところで、今日はちょうど母の日ですが、母の愛は神の愛に近いと考えられます。母の愛、神の愛で思い浮かべる映画があります。それは「汚れなき悪戯」という映画です。

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 1955年製作で日本では1957年に公開されたスペイン映画です。こんなあらすじです。
『戦争で廃墟になった貴族の邸宅を修道院として建て直した 12人の修道士がいました。ある日、修道院の前に赤ん坊が捨てられました。実の親も里親も見つからず、修道院で育てることになり、見つけられた日が聖マルセリーノの祝日だったのでマルセリーノと名付けられました。5年後、腕白少年に成長した彼の悪戯は日増しにひどくなります。その上、実際は存在しない友だちといつも遊んでいます。やがてマルセリーノは立入を禁止されていた屋根裏部屋でイエス様に出会い、パンとぶどう酒をその所へ持っていくことになります。十字架にかかったイエス様があまりに痛々しそうで、お腹を空かしているように感じたのでパンとぶどう酒を持っていって、イエス様にあげました。するとイエス様が十字架から降りてきて、マルセリーノの持ってきたパンを手に取りぶどう酒を飲みました。ある時、お互いの身の上話をして、マルセリーノは「僕にはお母さんはいなくて・・・」と言いました。「お母さんってどんなの?」と聞いたらイエス様が「お母さんとは与え続ける人だ」と答えました。「子どものために生命と目の輝きを与える、自分の持っているものを全て与える人だ。」とおっしゃいました。何度かそのようなことがあって、イエス様がマルセリーノに「おまえは本当に良い子だ」と言いました。「願いは何かあるか。適えてあげよう」とイエス様が言い、「あのブラザーみたいになりたいか」とか「あの神父みたいになりたいか」とか聞いたら、マルセリーノは「お母さんに会いたい。そしてあなたのお母さんにも」と言いました。「今、すぐにか?」というイエス様の問いに、マルセリーノはうなずきました。そこでイエス様は、そのまま彼を天国へ連れていったのでした。』

 このようなお話です。涙なくしては見ることのできないラストシーンですが、この映画からお話ししたいのは、「自分の持っているものを全て与えられる人こそ、本当の喜びに生きることのできる人ではないか」ということです。私たちは今、関わっている家族や友だちなどを大切にし、それらの人に自分のものを与え続けることができるかを問われていると思います。それは母が子を愛するようにです。
 その基になるのは今日の使徒書、ヨハネの手紙一4:19にもありますように、神様であるイエス様がまず私たちを愛し、私たちを大切にしてくださったということがあります。「大切」という字は「大きく切る」と書きます、イエス様は私たちの罪をあがなうために御自分を大きく切ってお献げになった、それほど私たちを心にかけ愛されたのであります。

 マルセリーノが、亡くなったお母さんに会いたいと強く願ったように、私たちも、自分の命を投げ出してまで私たちを救ってくださったイエス様に会いたいと強く願うとき、イエス様が愛したように互いに愛し合う者へと、次第に変えられていくのかもしれません。
 私たちは今、関わっている家族や友だちなど、すべての人を大切に、できる限り自分の全てを捧げて、愛を生きることができるように、そして喜びを分かち合っていけるように、そのようにイエス様の心を生きることができるように、祈り求めて参りたいと思います。

『詩「あしあと」に思う』

 先主日の説教の最後に詩「あしあと」を読みましたが、時間の関係もあり、この詩について触れることができませんでした。そこで、今回のブログはこの詩の背景やこの詩から思い巡らしたことを記したいと思います。
 この詩のカード(絵葉書大)を作り受付に30枚ほど置きましたが、「友達にもあげたい」とお持ちくださる方もおられてほとんどなくなってしまいました。先主日の礼拝後、午後2時から新町の教会の信徒の埋葬式があり、その中でもこの詩及びこの詩のカードを使い「故人の信じたイエス様はどのようなお方か」について短くお話ししました。未信徒の方もおられましたが、この詩によって理解しやすかったようです。
 「あしあと」の詩の背景等については、この本に詳しく書かれています。

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 マーガレット・F・パワーズ(松代恵美 訳)、『あしあと<Footprints>-多くの人々を感動させた詩の背後にある物語-』、(財)太平洋放送協会<PBA>1996年です。
 この詩は、かつて、作者不詳とされて、英語、日本語ともにいろいろなバージョンが出ていたそうですが、現在は、作者はマーガレット・F・パワーズという人で、この本によりこの詩が作られた背景が知られ、原作、日本語翻訳ともに著作権が認められているようです。
 
 この本にまず、原詩がありました。

   FOOTPRINTS
 
One night I dreamed a dream.
 I was walking along the beach with my Lord.
 Across the dark sky flashed scenes from my life.
 For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,
 one belonging to me
 and one to my Lord.

When the last scene of my life shot before me
 I looked back at the footprints in the sand.
 There was only one set of footprints.
 I realized that this was at the lowest and saddest times in my life.

This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.
 "Lord, you told me when I decided to follow You,
 You would walk and talk with me all the way.
 But I'm aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints.
 I just don't understand why, when I needed You most,
 You leave me."

He whispered, "My precious child,
 I love you and will never leave you
 never, ever, during your trials and testings.
 When you saw only one set of footprints
 it was then that I carried you."
 
copyright(C)1964 by Margaret Fishback Powers
 
 訳詞はこうです。
 
   あしあと

ある夜、わたしは夢を見た。
わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
 暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
そこには一つのあしあとしかなかった。
わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、
わたしはその悩みについて主にお尋ねした。
 「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
  あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
  わたしと語り合ってくださると約束されました。
  それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
  ひとりのあしあとしかなかったのです。
  いちばんあなたを必要としたときに、
  あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
  わたしにはわかりません。」
 
主は、ささやかれた。
 「わたしの大切な子よ。
  わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。
  ましてや、苦しみや試みの時に。
  あしあとがひとつだったとき、
  わたしはあなたを背負って歩いていた。」
  
マーガレット・F・パワーズ
translation copyright(C)1996 by Pacific Broadcasting Association 

 この本の中に、この詩の生まれた背景が紹介されていました。短くまとめるとこのようです。

『 カナダ人のポール・パワーズは、7歳のとき母親を亡くすと、父親から「男は泣くもんじゃない」と殴る蹴るの虐待を受け、入院した。「二度と泣かない」と誓ったポールは、母だけでなく、幼年時代も失ってしまう。彼は8歳で警察沙汰を起こすようになり、近所の子供たちと万引きし、集団強盗となり、ついには殺人事件にまで関わってしまう。真の神を知らない彼は、人間らしさを失っていた。それから少年院、刑務所を転々とするが、十代の後半で釈放に向けて働くプログラムに従事したとき、老年のクリスチャン夫妻のところに下宿する。この期間にポールは、「青年をキリストへ」の集会に参加し、憎しみに支配されていた自分がイエス様によって赦されるという経験をした。そのことを通して、赦す心も与えられ、父なる神様から愛されていることを知る。彼の人生は修復されたのだ。
 一方、1963年5月、小学校教師だったマーガレットは、落雷事故に遭い、体調不良が増して、仕事を辞めざるを得なくなった。翌年の1964年、マーガレットはポールと出会い、結婚を決めた時に、二人で海辺を歩いているとあることに気づく。砂の上の自分たちの足跡が、帰り道には波に洗い流され、一人の足跡しか残っていなかったのだ。それを見たポールが言った。「二人の上に最も困難な時がやってきたら、その時こそ、イエス様が僕たち二人を背負い、抱いてくださる時なんだよ。僕たちが、主に対する信仰と信頼を持ち続ける限りはね」と。ポールはマーガレットを抱きかかえ、くるくると回った。このとき、マーガレットはある詩を書きあげる。それが、「あしあと」(英語の原題「Footprints」)であった。
 翌年の1965年、結婚してからもマーガレットは詩を書き続けるが、1980年、バンクーバーに引越す際、運送屋が依頼した荷物をなくしたまま倒産してしまう。その荷物の中に、マーガレットが書きためた詩が全部入っていた。以降、二人の知らないところで、詩「あしあと」が、作者不詳とされながら、多くの人々に流布し、感動を与え続ける。自称作者までが現れるが、ある時、偶然に二人はこの詩と出会う。1989年、二人は娘のポーラと教会学校の子供たちとピクニックに出かけるが、娘のポーラが誤って高さ20mの滝を落ちてしまう。そのとき、父・ポールも持病の心臓発作を起こす。二人とも一命は取り留めるが、入院中のポールに、一人の看護師が来て祈ったあと、こう話しかけた。「このカードに書かれた詩をお読みすれば、励ましになるかと思うのですが……」と。そしてカードを取り出して読み出したのが「あしあと」だった。看護師は、読み終えると「私はこの詩の作者を知りません。作者不明なのです」と。ポールは弱々しく手を上げて言った。「私は知っています。作者をとてもよく知っています。……私の妻です」と。  
 それからのマーガレットは、自分が原作者であることを主張するが、証拠物件がなくて信用してもらえず、いら立っていた。しかし、彼女がその苦々しい思いを捨て去り、「すべてを主なる神さまにゆだねよう」と決心すると、心と生活に平安が帰ってきた。すると間もなく、結婚アルバムにその詩のオリジナルをはさんでいたのを思い出した。そして、彼女こそが「あしあと」の真の作者であると認められることになった。人生の最も弱い時に、イエス様は私たちを抱きかかえて歩いてくださる。そして、人々に愛と希望とを分け与えられるように、人生を修復してくださるのだ。・・・』
 この「あしあと」の詩には、このようなドラマが隠されていたのです。

 ところで、私のこの本を開くとこのような聖句とサインがありました。

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 これは、2003年10月18日に群馬県公社総合ビルのホールで行われた「ライフラインの集い」で聖書のお話をされた榊原寛牧師が、集い後に展示・即売で購入した本に書いて下さったものです。榊原牧師は昨年末、クリスマスイブに天に召されたそうです。79歳でした。キリスト教テレビ番組「ライフライン」で分かりやすくにこやかな語り口が印象的でした。
 榊原牧師はこの日の「ライフラインの集い」のメッセージの中で、10代後半に約5年間引きこもりの生活をする中で教会が家の隣に引っ越してきてキリストに出会ったことや、6歳の息子を交通事故で亡くしたことなどを話され、様々な苦難の中でキリストが共にいて歩んで下さったと、この「あしあと」の詩を紹介されました。そして、「希望は失望に終わることはない」というロマ書5章5節の聖句を、この本に書いて下さったのです。
 
 多くの方がこの詩から慰めと希望をもいらいました。私もこの詩から神様・イエス様の深い献身的な愛情に気づかされ、生きる希望を得ました。
 この詩の源泉には、イザヤ書 46章 4節があるように思いました。聖書協会共同訳聖書ではこうです。
『あなたがたが年老いるまで、私は神。あなたがたが白髪になるまで、私は背負う。私が造った。私が担おう。私が背負って、救い出そう。』
 私たちは神様の作品で、生涯、神様は私を背負って苦難から救い出してくださるのです。その神様に感謝し、生涯、その御跡に従いたいと願うものであります。

 

復活節第5主日聖餐式  「人生を支える真の恵み」

 本日は復活節第5主日。前橋の教会で聖餐式を献げました。聖書箇所はヨハネの手紙一3:18-24とヨハネによる福音書14:15-21。説教では、イエス様の告別説教の中の箇所から、「弁護者(パラクレートス)」という言葉にスポットを当てて考えて思い巡らし、聖霊に支えられイエス様と共に生きる恵みが与えられていることについて語りました。私の県教育委員会時代の経験や詩「あしあと」にも言及しました。

   「人生を支える真の恵み」

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン
 
 本日は復活節第5主日です。復活節も後半に入りました。今行われている北関東教区内の教会の礼拝では、本日の信施を当教会の会館・牧師館建築のためにお献げくださいます。感謝であります。
 復活節の後半の福音書は、イエス様の告別説教の中から朗読され、聖霊降臨に向けての心構えを整えるようにと、私たちに呼びかけています。

 本日の福音書の箇所は、ヨハネ福音書の14章15節から21節です。聖書協会共同訳聖書の小見出しは「聖霊を与える約束」となっています。
 この箇所は、イエス様が十字架にかかる前日の夜、最後の晩餐の席でのことです。16節・17節にこうあります。
「私は父にお願いしよう。父はもうひとりの弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、それを受けることができない。しかし、あなたがたは、この霊を知っている。この霊があなたがたのもとにおり、これからも、あなたがたの内にいるからである。」
 これは聖霊の働きです。復活の恵みの大事なことは、私たち一人一人に聖霊が与えられているということです。この聖霊の恵みを私たちはいただいているということ、それを心に刻みたいと思います。
 この箇所で、聖霊は「もうひとりの弁護者」と呼ばれています。第一の弁護者はイエス様と考えられます。「弁護者」はギリシア語で「パラクレートス」です。「そばに(パラ)」「呼ばれた者」(呼ぶ=カレオー)から派生した言葉です。パラリンピックのパラ(そばに、平行の)は、このパラに由来します。かつての口語訳では「助け主」と訳されていました。英語の聖書を見ますと、このパラクレートスという言葉は、「Councelor」(NIV)や「Helper」(TEV)とも訳されていました。この言葉は、裁判の席では「そばにいて助けてくれる人」という意味で「弁護者」の意味になります。もっと一般的には、「一緒にいて支えとなってくれる方」と言ってよいかもしれません。イエス様は、あなたがたのために、自分の他に、弁護者であり、助け主であり、カウンセラーであり、ヘルパーである方を送ってくださるように、「私は父にお願いしよう。」と言われたのであります。

 今日の箇所の中心となる聖句は18節の「私は、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。」であると考えられます。イエス様が父のもとへ去った後、「もうひとりの弁護者」である聖霊が遣わされますが、それだけでなく、第一の弁護者である「イエス様御自身」も「あなたがたのところに戻って」来て、「永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」のです。そこで、「私はあなたがたをみなしごにはしておかない」と言われています。
 先日20日のマーガレット幼稚園の誕生会で読んだ絵本「イースター~あたらしいいのち~」では「みなしご」等をこう表現していました。

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「さあ、いまこそ私は天国へ帰ります。しかし、あなたがたを残してひとりぼっちにはしません。一人一人に聖霊を送りましょう。私の愛を信じたのですから。私は永遠にあなたを守ります」                                      
 このように、父なる神様、子なるイエス様の愛は大きく、私たちを「みなしご」、すなわち「ひとりぼっち」にせず、「もうひとりの弁護者」である聖霊を私たち一人一人に送り、私たちを永遠に守って下さるのです。

 この聖霊、弁護者(パラクレートス)という言葉、そのもともとの意味は「そばに呼ばれた者」ということで思い浮かべることがあります。
 私は県の教育委員会に11年勤めました。指導主事として8年、特別支援教育室長として3年です。私の指導主事としての大きな仕事で「就学指導」がありました。それは障害のある子供の適切な就学先を決めるという仕事で、市町村から挙がってきたデータを基に最終決定をするというものでした。このことで県会議員から依頼を受けることもありました。保護者から要望があったので「本来の就学区域の学校でなく別の学校に就学させてほしい」という要請もありました。
 ある時、ある県会議員から電話があり、「市の就学指導で知的障害養護学校適とされたが、保護者が希望している肢体不自由養護学校に就学指定をしてほしい」との要請がありました。「どうしたものか」と思いあぐねました。
 私はこの頃、マッテア教会で聖体訪問をよくしていたのですが、その時もマッテアを訪ね祈っていました。その時「その子が呼んでいる」「そばに行こう」という発想が浮かびました。そこで、私はその子のいる療育施設を訪ね、半日くらいその子を観察し共に活動し、確かおやつか給食のようなものも一緒に食べたような気がします。その結果、この子には知的障害の養護学校の方が合っていると判断し、その県会議員に連絡しました。議員さんは保護者から話は受けたようですが、その子には会っていなかったのです。そばに行っていなかったのです。療育施設の施設長も保護者に「県から専門の先生が来て知的の方が合っている」と話して下さり、保護者も納得したようです。
 その判断が本当に正しかったかは分かりませんが、知能指数や発達検査等の数字だけで判断するのでなく、実際にその子のそばに行き、観察し共に生活して、できれば同じものを食べて、思い巡らすことが大切なのだと思いました。そして、私には、聖霊が私にその子の「そばに行くように」導いておられたように思ったのでした。
 
 皆さん、主イエス様は最後の晩餐の席で弟子たちに、「あなたがたをみなしごにはしておかない。」と約束してくださいました。イエス様は「もうひとりの弁護者」である聖霊を「私たちに遣わす」よう神様に依頼すると共に、第一の弁護者である御自身も私たちのそばに来て、共にいて下さるのであります。どのような時も聖霊に支えられ、イエス様と共に生きる恵みが、私たちに与えられているのです。それこそ人生を支える真の恵みです。この恵みを知り、イエス様のみ跡に従って、日々歩んでいけるよう、聖霊の導きを祈りたいと思います。

 最後に、受付に置いたカードにある「あしあと」という詩を読んで、私の説教を終わりにします。

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   あしあと
 
 ある夜、わたしは夢を見た。
 わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。
 暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。
 どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。
 ひとつはわたしのあしあと、もう1つは主のあしあとであった。

  これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、
 わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。
 そこには1つのあしあとしかなかった。
 わたしの人生でいちばんつらく,悲しいときだった。

  このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて 主にお尋ねした。
 「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、
  あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、
  わたしと語り合ってくださると約束されました。
  それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、
  ひとりのあしあとしかなかったのです。
  いちばんあなたを必要としたときに、
  あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、
  わたしにはわかりません。」
 主は、ささやかれた。
 「わたしの大切な子よ。
  わたしは、あなたを愛している。
  あなたを決して捨てたりはしない。
  ましてや、苦しみや試みの時に。
  あしあとがひとつだったとき、
  わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

『バッハのカンタータ67番「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ」に思う』

 前々回のブログで、バッハ・コレギウム・ジャパンのCDからバッハのカンタータ134番「イエスによりて生くるを悟りし心は」について思い巡らしました。このCDには復活節に歌われたカンタータが他にも2曲入っています。今回はこのうちのカンタータ67番「イエス・キリストを覚えよ、主は死者の中から甦られた」及びこれらの作品を生み出したバッハの源泉等について記してみたいと思います。
 カンタータ67番を今回はこのCDで聞いてみました。カール・リヒター指揮ミュンヘンバッハ管弦楽団、合唱団によるものです。

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 このCDではカンタータ67番の題名は「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ」となっていいます。
 復活日から最初の日曜日(主日)。その名称や数え方は、教派や時代によって異なります。バッハは当時のルター派の教会暦で「復活節後第1日曜日」としていますが、私たち聖公会では「復活節第2主日」にあたります。
 カンタータ67番は1724年のこの日(4月16日)に、ライプツィヒの教会で初演されました。この日の礼拝で読まれた福音書は、ヨハネによる福音書第20章19節~31節でした。復活したイエス様が弟子たちの前に現れて語り掛け、手と脇腹を見せた箇所です。

 カンタータ67番はYouTubeでHelmuth Rillingの演奏を聞くことができます。次のアドレスです。https://www.youtube.com/watch?v=Gpr5EvXd-wA&t=33s
 編成はアルト、テノール、バス独唱と合唱。スライド・ホルン、フルート、オーボエ・ダモーレ(愛のオーボエ)、弦楽と通奏低音となっています。

 カンタータ67番の作詞はだれによるものか分かっていませんが、聖書の記述に添って表しています。
 第1曲は全楽器を伴って合唱が、「死人の中より甦りしイエス・キリストを覚えよ」と新約聖書テモテの手紙Ⅱ2章8節の言葉を歌います。
 続いてテノール(アリア)がオーボエ・ダモーレや弦楽、通奏低音と「我が主は、甦られた。しかし、私をまだ恐れさせるものは何か? 私の信仰は主の勝利を知っている。我が主よ、どうぞお出でください」と歌います。
 この後、当日の福音書のテーマ「トマスの不信」を下敷きにした信徒の迷い等を述べ、合唱によるコラール「栄光の日が来た。この喜びは味わいつくせない。わたしたちの主、キリストは、今日勝利の凱旋をされる。敵は捕らえられる、ハレルヤ!」と続きます。
 再びアルト(レチタティーヴォ)が「今もなお、敵の残党が、私の平安を奪い、脅かしているように見えるのです・・・」と言った後、第6曲ではバスと合唱によるアリアになり、イエス様自らが現れます。ここでは戦いの様子を表す賑やかな弦楽に始まり、穏やかな木管を背景としたバスによるイエス様の声「あなた方に平和があるように!(ヨハネ20:19)」、ソプラノ、アルト、テノールの「イエスは私たちと共に戦い、敵の怒りを鎮めてくださる。地獄よ、サタンよ、退け!」というように、イエス様の声と救いを求める人々の合唱(ソプラノ、アルト、テノール)が交互に演奏されます。私の聴いているリヒター版では、バスのディートリヒ・フィッシャー=ディースカウがイエス様として、朗々と謳い上げています。最後には楽器も争いのモチーフをやめてイエス様の言葉に収斂されていくドラマチックな曲で、ここがこの曲の特徴を最も良く表しています。
 そして、合唱によるコラールで曲を閉じます。「平和の君、主イエス・キリストよ、真実の人であり、真実の神よ。あなたは苦難の際の強い救い主。生きている時も死ぬときも。だから私たちはただあなたの御名により、あなたの父に向って叫ぶのです」。

 まるで復活したイエス様がこの場にいるような、臨場感溢れる曲です。ここの聖書箇所を熟知し正しく理解していなければ、このような曲は作曲できないだろうと思わされます。
 バッハがこのような作品を生み出すことのできた源泉は何だったでしょうか? そのことについて「聖書の音楽家バッハ」という本が大きな示唆を与えてくれました。

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 この本の中にこうあります。
『バッハは我々を捉えてやまない。我々の時代を超えた次の世代にも、バッハはまた新しい局面でアピールして、その心を捉えるでしょう。その根源はバッハが聖書を基礎としているから、しかも神がかり的な意味での聖書ではなく、現代の問題、またこれから先に人類が直面するであろう問題の根本を衝いた聖書を基礎としているからということです。
 バッハにとって聖書とは、現実の生身の人間同士の掛け合いとやりとりの世界であった。私たちがその中に入っていけて本当に人間らしく喜び、悩み、悶え、泣き、歓呼するような、自由にのびのびと、そこで純粋に自分の本心がありのままに吐き出せる世界だった。
 バッハは「神の言」を録した聖書だからといって、ただ崇めてそれを使ったのかというと、そうではない。この聖書の記事とバッハは格闘しているんです。はっきりいうと、生身の自分を聖句にぶつけて自分自身を聖書のどこかに位置づけながらこの聖書を読んでいる。バッハは聖書の行者、福音の真理の体得者として、聖書の音楽を書いたということです。』 
 バッハの音楽の根源(源泉)は聖書であること、しかもそれは生身の人間同士の掛け合いの中にある生きた世界であったこと、バッハは聖書の記事と格闘し生身の自分をぶつけて聖書を読み、聖書の音楽を書いた、というのです。それがバッハの音楽の秘密だったのだと思いました。
  さらに、これは私が説教を作る上でも心しなければならないことだと感じました。説教の源泉は聖書であり、現実の人間の喜び、悩み、悲しみとからめて読み取り、聖書と格闘し生身の自分を聖句にぶつけて説教を作るということです。バッハから学ぶことはまだまだありそうです。

 

復活節第4主日聖餐式  「良い羊飼いのみ声に従う」

 本日は復活節第4主日。午前前橋、午後新町の教会で聖餐式を献げました。
 聖書箇所はヨハネの手紙一3:1-8とヨハネによる福音書10:11-16。説教では、羊を知り、羊に知られている「羊飼い」であることについて、特に「知る」という言葉にスポットを当てて考えて思い巡らしました。イエス様こそ私たちを導く「良い羊飼い」であることを知り、そのみ声に生涯聞き従っていくよう勧めました。私宛にK先生から2000年に送られて来た手紙も紹介しました。

   「良い羊飼いのみ声に従う」

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン
 
 本日は復活節第4主日です。復活節第4主日は、「良い羊飼いの主日Good Shepherd Sunday」と言って、毎年、ヨハネによる福音書第10章の「良い羊飼いのたとえ」が読まれます。そのことから、将来の良い羊飼い・牧者を育てる
という意味で「神学校のために祈る主日」とされています。入口にポスターが
あります。

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 本日は、先ほどお読みしました福音書の箇所、ヨハネ福音書の10章11節から16節について思い巡らしたいと思います。
 本日の福音書箇所では、良い羊飼いであるイエス様を3つの側面から述べています。第1は、イエス様は羊のために命を捨てる「羊飼い」であること。第2は、羊を知り、羊に知られている「羊飼い」であること。第3は、囲いに入っていない羊をも導く「羊飼い」であることです。
 今回は2つ目の側面について、特に「知る」という言葉にスポットを当てて考えてみたいと思います。
 
 イエス様は14・15節で言われます。「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである」と。
 ギリシャ語の「知る」には二つの言葉があります。「オイダ」と「ギノースコー」です。前者は「見ている、知識を持っている」、後者は「観察、経験により知るようになる」というニュアンスがあります。「オイダ」は単に知覚の範囲内にあることを示すのに対し、「ギノースコー」はしばしば知る者と知る対象との間に能動的な関係があることを示していると考えられます。
 今回のこの箇所では「ギノースコー」が使われています。良い羊飼いであるイエス様と飼われている羊は、単に知識として知っている関係でなく、観察、経験により知るようになる能動的な関係なのです。そしてそれは、父なる神様とイエス様との関係と同じだというのです。

 このことで、私は、養護学校で学級担任をしていた頃を思い出しました。障害のある子の指導・支援のためには、一人ひとりをよく知る必要がありました。障害の状況、発達段階、性格や特性、家庭環境、友達関係、生育歴等をつかむため情報収集し、観察し、共に生活しました。朝、登校してから子どもが下校するまで、全教科を持ち、休み時間も昼食も一緒でした。トイレに行くときも子どもを一緒に連れて行き用を足しました。「オイダ」ではなく「ギノースコー」として全人格的な関わりで、一人ひとりの子を知りました。一クラス5・6人でしたのでそのようにできたのかもしれませんが、家族のように愛情が湧きました。そのような関係が良い羊飼いと羊の関係だと思いました。
 現在、私は玉村のマーガレット幼稚園のチャプレンをしていて、先日、20日(火)も4月の誕生会があり、イースターの話をしてきました。マーガレット幼稚園は2年前にこども園になり1歳から6歳までの園児が76人在園していますが、そこでの先生と園児の関係も良い羊飼いと羊の関係のように思いました。

 良い羊飼いは羊のことを知っており、良い羊飼いに養われる羊は、羊飼いのことを良く知っています。羊はすべてをゆだねて安心しています。単に見て知っているのではなく、心の深いところで受け入れられています。このように、イエス様は私たちのことを全人格としてよく知り、受け入れて下さっているのです。これこそ福音(良き知らせ)であります。 
 イエス様こそ、私たちの牧者、良い羊飼いです。そして、私たちはこの良い羊飼いに養われる羊です。
 羊は、羊飼いの声をよく聞き分け、羊飼いをよく知らなければなりません。羊飼いに、すべてをゆだねきる、本当の信頼がなければ、迷いだしてしまいます。私たちも良い羊飼いであるイエス様に全幅の信頼をしていきたいと願います。
 皆さん、イエス様は十字架のみ業を為し遂げられた後、復活し、今も私たちと共に生き、導いてくださっています。この良い羊飼いのみ声に、生涯聞き従っていくことができるよう祈り求めて参りたいと思います。
 そして、私は、牧者、聖職としても、大牧者であるイエス様のみ声に生涯聞き従っていきたいと思います。それが、私のためにこれまで祈り支えてくださった多くの方々に応えることでもあると考えます。

 今日は一通の手紙を持ってきました。私宛にK先生から2000年に送られて来た手紙です。K先生はマッテア教会の古くからの信徒で、長く保母や公立の保育所の所長を務められた方です。娘の幼児洗礼の時の名親でもあります。先生は榛名の新生会マリア館のお部屋でS先生と一緒にお住まいでしたが、2007年に天に帰られました。
 今日はこの手紙の抜粋をお読みして、私の説教を終了したいと思います。
『 福田先生 思いがけない時、先生からクリスマスカードとお手紙をいただきましたこと、驚き、そしてお懐かしく、思い出の中にしばし我を忘れました。
 福田先生とは、先生が教会でお説教の時など横文字の本で勉強していらっしゃるお姿をいつも拝見していました。いつも真面目な勉強のお姿で、「今に教会のお仕事をしてくださるといいな」などと空想したりしていました。
<略>聖公会新聞や教区時報等にまで先生が投稿されているのを拝読して、嬉しく読ませていただいております。
<略>先生が、聖職を目指して勉強なさっていらっしゃるとのことを拝見して本当に嬉しく存じました。マッテヤから聖職が生まれること、歴代の司祭様にお知らせしたい衝動にかられます。神様もきっとお喜びでしょう。私共のことはすべてご承知の方ですから。御降誕~十字架の死に至るまでの聖書に語られた神様の愛は涙が出て参ります。
<略>学問は何でも広い広いものですから大変な勉強と存じますが、どうぞ努力してください。ご成功を祈っております。
<略>お元気でよき希望に向かって歩いて下さい。
 2000年12月27日   K・A
 福田先生』

 

『バッハのカンタータ134番「イエスによりて生くるを悟りし心は」に思う』

  先主日福音書箇所は ルカによる福音書24:36-48(復活したイエス様が、エルサレムで弟子たちの前に現れる)でした。この箇所を取り上げたバッハのカンタータがあります。カンタータ134番「イエスによりて生くるを悟りし心は(おのがイエス生きたもう、と知る心は)」です。この箇所はバッハの頃のルター派の教会暦では復活後第3日(火曜日)に読まれ演奏されました。初演は1724年4月11日です。
 私が聞いているのはこのバッハ・コレギウム・ジャパンのCDです。

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 音楽監督・指揮が鈴木雅明、録音は2001年。編成は、合唱がパート4人の16人、管弦楽は18人で全34人、独唱者は、ロビン・ブレイズ櫻田亮、ペーター・コーイです。
 
 このカンタータは、アンハルト=ケーテン侯レオポルドのための祝賀カンタータを1724年にパロディしたもので、その歌詞は、当時名を知られた詩人、クリスティアン・フリードリヒ・フーノルト又の名をメナンテスが書いたものです。
  祝賀気分に満ちた明るいカンタータです。構成は1. レチタティーヴォ (AT) 、2. アリア (T) 、3. レチタティーヴォ (AT) 、4. 二重唱 (AT) 、5. レチタティーヴォ (AT)、6. 合唱。すべて長調の楽章からなりたっています。アルトとテノールの対話で曲が進行していく室内楽的な二重唱カンタータで、合唱は終曲に登場するだけです。アリアと二重奏は舞曲のようで、まるで協奏曲か室内楽曲を聴いているような気になります。
 YouTubeでHelmuth Rillingの演奏を聞くことができます。次のアドレスです。https://www.youtube.com/watch?v=9YSuRzX8094
 このバージョンでは、4. 二重唱 (AT、デュエット・アリア)でストリングスによって果てしなく繰り返されているのが印象的です。「天国的な長さ」です。

 カンタータ134番「イエスによりて生くるを悟りし心は(おのがイエス生きたもう、と知る心は)」の歌詞は、直接的には当日の聖書箇所の引用はありませんが、復活した主イエス様への感謝・賛美が溢れています。私が惹かれたのは後半の5. レチタティーヴォ (AT)、6. 合唱です。
 特に、5. レチタティーヴォ (AT)は、優れた祈りの言葉と言えると思います。以下に日本語訳(川端純四郞訳)を載せます。
(テノール)なにとぞ私たちの口に感謝を呼び起こしてください。
私の感謝はあまりにこの世的なのです。
そうです、どんな時にもあなたと
あなたのみわざを人間の心が忘れないようにして下さい。
そうです、私たちの胸の慰めと
あなたの恵みにすがるすべての心の
慰めと楽しみを、あなたにあって
完全な永遠のものとして下さい。
あなたのみ手が私たちをとらえて、
あなたのみわざを明らかに見させて下さい
あなたの死と勝利が私たちに与えたものを
そしてあなたの復活の後には、たとえ
この世では死んでも死ぬことなく、
あなたの栄光の中に入ることを。
(アルト)大いなる神よ、私たちの心の中のすべてはあなたを崇め、
あなたの恵みと真実を讃美する。 
あなたの復活は恵みと真実を新たにした、
あなたの大いなる勝利は私たちを
敵から解放し命をもたらした。
さあ、あなたに讃美と感謝をささげよう。

 そして、終曲の6. 合唱では、復活した主へ全幅の信頼を歌い上げています。歌詞(日本語訳)はこうです。
鳴り響け、天よ、喜べ、地よ、
至高者を讃えよ、信じる群れよ、
すべての心は見て味わう、
復活の救い主の限りない恵みを。
主は慰めを与え
勝利者として出現されているのだ。

 バッハはほとんどのカンタータを市や教会の注文により作曲し、これらの作品は職業上の要請から生まれました。しかし、どの作品も高い宗教的境地に達していました。このことは今回参考にした「バッハ 神はわが王なり」にも記されていました。

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 この本の「7宗教作品」の項にこうあります。
『バッハは、心の底から宗教的な人間であった。そのため、人によってはバッハのことを聖マタイ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネに続く「5番目の福音史家」と呼ぶ者さえいる。ライプツィヒ時代の初め、バッハは音楽監督としての職務を果たすために、ほぼ1週間ごとにカンタータを作曲した・・・。』
 超人的な働きであり、それを支えたのは彼の職業作曲家としての自負と彼の信仰心と言えます。
 この本の「まえがき」にこうあります。
『彼が作曲し演奏する音楽は、それが直接に神を讃える宗教音楽やオルガン音楽であれ、書斎でただひとりクラヴィコードに向かい自らの楽しみのために奏でるクラヴィーア曲であれ、貴族の豪華な晩餐の余興として華やかに演奏される協奏曲や室内楽曲であれ、彼にとっては常に神を讃える音楽であり、また同時に彼自身の肉体と精神を整え、聴く者の心の喜びであり得たのです。そして、彼がうまずたゆまず書き続けるのは、神に通じる音楽なのである。』
 私たちの日々の生活も、このようにありたいものだと願います。

 

復活節第3主日聖餐式  「復活の証人として生きる」

 本日は復活節第3主日。前橋の教会で聖餐式を献げました。先主日は新町の礼拝でしたので、今回が私の前橋就任後初の聖餐式の司式・説教でした。

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 聖書箇所はヨハネの手紙一1:1-2:2とルカによる福音書24:36b-48。説教では、「キリストの証人」ということにスポットを当てて思い巡らしました。復活したイエス様が私たちと共に歩んでおられることを知り、復活の証人として生きるよう勧めました。去る4月14日に逝去されたマッテア教会出身のA司祭についても言及しました。

   「復活の証人として生きる」

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 皆さん、お久しぶりです。この度の人事異動で高崎聖オーガスチン教会から前橋聖マッテア教会牧師として赴任しました司祭の福田です。教区の方針でイースターまでは前任地で働きましたので、4月5日(月)から私の前橋聖マッテア教会での勤務が始まりました。先主日は新町聖マルコ教会で礼拝奉仕を行いましたので、本日が私のマッテア教会就任後、最初の聖餐式の司式・説教です。
 私にとってマッテアは母教会であり、故郷に帰ってきたような思いです。会館・牧師館建築を現在進行中での就任であり、このことを円滑に推進するとともに、宣教・牧会に務め、主のみ旨を果たすことができるよう祈り求めて参ります。どうぞよろしくお願いいたします。

 説教の本題に入ります。本日は復活節第3主日です。本年はB年ですので、聖書日課はマルコによる福音書が中心ですが、今回はルカによる福音書24章36節以下から採られております。
 こんな話でした。
『イエス様が十字架で亡くなった3日後の夜、弟子たちは集まって「全ては終わりだ、これからどうしたらいいだろうか」と考えていたと思われます。その時にイエス様が、彼らの「真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』」とおっしゃいます。最初は亡霊を見ているのだと思って恐れましたが、イエス様と話し、イエス様の傷跡や魚を食べるイエス様を目撃するうちに、弟子たちは「イエス様が本当に復活した」と、実感しました。そして、イエス様は弟子たちに言いました。46節の後半から48節です。
「『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、すべての民族に宣べ伝えられる。』あなたがたは、これらのことの証人である。」と。
 つまり、イエス様の復活を目撃したあなたがたはメシア(キリスト)の証人なのだ、というのです。これが今日の箇所の結論でした。

 今日はこの「キリストの証人」ということにスポットを当てて考えたいと思います。
 ここの「証人」のギリシャ語原文はマルチュレスで、動詞「マルチュレオー」の名詞形です。「マルチュレオー」は「事実や出来事を確証し、証しする」の意味です。 証しする内容・対象がキリストであれば、イエス様の生涯に起こった出来事を単に「証しする」だけでなく、イエス様とは誰なのか、その本質はどこにあるのかを「証しする」ことを含んでいます。今日の使徒書のヨハネの手紙一の1章1節・2節にもこうあります。
「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの、すなわち、命の言について。―この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです。―」
 ここでは、ヨハネがイエス様を命の言であり永遠の命であると本質を明らかにしています。言い換えれば、「証し」はキリストの栄光を明らかにすることとも言えます。そうであれば、出来事の直接の目撃者でなくても、証しすることができます。そのような「証し」はイエス様が誰なのかを「告白する」ことと同じになります。キリスト者は神の業を証しし、告白する者であります。こうして、この言葉は命をかけた「証し(=告白)」、つまり「殉教」をも表す言葉となったのです。

 福音書の48節「あなたがたは、これらのことの証人である。」はギリシャ語原文をそのまま直訳すると「あなたがたは 証人 これらのことの。」であり、「証人になれ」という命令形でも「証人になるでしょう」という未来形でもありません。「あなたがたは、証人である。」とイエス様は弟子たちに断定しているのです。
 私たち、キリスト者も人生のあるときに復活の主イエス・キリストに出会い、イエス様によって新たな生き方に導かれ、今、神の業を証しし主の栄光を現す「キリストの証人」なのです。そのことを、私たちは意識することが大事であると思います。

 このことに関係して、今回皆さんにお話ししたいのは、去る4月14日に逝去された当教会出身のA司祭についてです。A司祭さんはキリストの証人として生き、主の栄光を現し、退職と同時に70歳で天に帰られ、それはある意味、殉教とも言えるように思うのであります。
  私にとってA司祭さんで印象に残っている3つのことがあります。1つは、軽井沢のみすず山荘での夏の教区の日曜学校キャンプでのことです。当教会からO司祭さん夫妻・私・Tさん・Yさん、そしてA司祭さん夫妻が参加していたと思います。当時、A司祭さんはスーパーマーケットの営業部長さんのような仕事をしていたので、二泊三日の休みを取るのは大変だったと思います。会社から電話が来たのでしょうか、携帯電話でてきぱきと品物の数量等について部下の方に指示している姿を拝見しました。2つ目は、A司祭さんが50歳前後の頃に早期退職して、当時ベトナム難民を受け入れていた施設「あかつきの村」でボランティアをしながら、マッテア教会にも平日来られていたときのことです。県庁に勤めていた私が昼休みに教会を訪れると、車の中で分厚い聖書をむさぼるように熱心に読んでいるA司祭さんを目撃しました。3つ目は、A司祭さんが神学校にいた時に、合同礼拝が立教新座の聖パウロ礼拝堂であり、確かKさんの車に同乗した時のことです。いろいろな話をしましたが、「聖書ではヨブ記がよい」と話され、「今、ボンヘッファーの『共に生きる生活』を読んでいる」ということでした。そう伺ったので、私はヨブ記を読み直し、「共に生きる生活」を購入し読み始めたことを覚えています。

 今回、A司祭さんの訃報に接し、この3つのことを思い出しました。特に3つ目のヨブ記ボンヘッファーの『共に生きる生活』がA司祭さんの「人となり」を現しているように思いました。ヨブ記は「正しい人が苦しまねばならない」という『義人の苦難』をテーマとしています。また、『共に生きる生活』では、人間関係において必要なのは「神を通したつながり」であり、「神と共に生きる生活」と「人と共に生きる生活」は分けることができない、という主張がありました。

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 A司祭さんは心ならずも病を得て長年の闘病生活を余儀なくされ、退職と共に神に召されました。闘病中、ヨブ記をどのようにお読みになったでしょうか? また、A司祭さんは東松山聖ルカ教会で毎朝、数名の信徒と共に「朝の礼拝」を捧げておられました。「前任者がされていたことを引き継いだ」とのことですが、信徒と共に毎朝神と対話されていたのです。「神と人と共に生きる生活」を実践されていたと思うのであります。先日のイースターに発行された「教区時報」には、A司祭さんの思い出を聖ルカ教会の信徒3名が記しておられます。それを読みますと、企業家としての経験を生かし教会や幼稚園の建築に尽力する姿や、信徒の心の琴線に触れるお話をされる率直な人柄が偲ばれます。A司祭さんは50歳直前に受洗し、一気に神様にとらわれ神学校に入学し、聖職の道を歩まれました。病を得ながらヨブ記から神様のメッセージを受け取り、神と人と共に生きる生活を実践された「キリストの証人」であったと私には思わされました。

 皆さん、十字架の3日後に弟子たちに姿を現した復活の主イエス様は、私たちにも出会ってくださり、今も行く道を共に歩んでくださっています。そして、弟子たちと同様に私たちも、救いや恵みの体験、あるいはいただいた様々な神様からのメッセージを他の人々に伝えていく「キリストの証人」として生きる使命が与えられています。
 神様の恵みや、慈しみ、復活の素晴らしさを思い起こしながら、私たち一人一人が「神と人と共に生きる生活」を実践し、イエス様の証人、復活の証人として生きることができるよう祈り求めて参りたいと思います。