マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

復活節第4主日 『良い羊飼いであるイエス様に従う』

 本日は復活節第4主日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は
使徒言行録4:5-12 、詩編23 、ヨハネの手紙一 3:16-24及びヨハネによる福音書10:11-18。説教では、イエス様こそ私たちを導く「良い羊飼い」であることを知り、そのみ声に生涯聞き従っていくよう祈り求めました。
 吉田雅人主教の「特祷想望」にある「み旨」についても言及しました。
 説教原稿を下に示します。

<説教>
 主よ、私の岩、私の贖い主、私の言葉と思いがみ心にかないますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン
 
 先主日は「み言葉の礼拝」でS・Mさんが司式をされ、その中で私の説教を代読していただきました。その中で、神に立ち帰り悔い改めた「キリストの証人」として紹介したN・Mさんが先週の月曜15日に逝去され、一昨日の金曜19日に当教会で葬送式が執り行われました。ヨセフN・Mさんの魂の平安とご家族に慰めがありますようお祈りいたします。

 さて、本日は復活節第4主日です。復活節第4主日は、「良い羊飼いの主日Good Shepherd Sunday」と言われ、毎年、ヨハネによる福音書第10章の「良い羊飼いのたとえ」が読まれます。そのことから、将来の良い羊飼い・牧者を育てるという意味で「神学校のために祈る主日」とされ、聖公会神学院・ウイリアムス神学館のため、この後、代祷を捧げます。

 先ほどお読みしました福音書の箇所、ヨハネ福音書10:11-18について思い巡らしたいと思います。
 本日の福音書では、良い羊飼いであるイエス様を3つの側面から述べています。第1は、イエス様は羊のために命を捨てる「羊飼い」であること。第2は、羊を知り、羊に知られている「羊飼い」であること。第3は、囲いに入っていない羊をも導く「羊飼い」であることです。
 今回は2つ目の側面を中心に考えてみたいと思います。
 
 イエス様は14・15節で言われます。「私は良い羊飼いである。私は自分の羊を知っており、羊も私を知っている。それは、父が私を知っておられ、私が父を知っているのと同じである。私は羊のために命を捨てる。」と。
 この箇所では4回「知って」という言葉が繰り返されています。
 ギリシャ語の「知る」には二つあります。「オイダ」と「ギノースコー」です。前者は「見ている、知識を持っている」、後者は「観察、経験により知るようになる」というニュアンスがあります。「オイダ」は単に知覚の範囲内にあることを示すのに対し、「ギノースコー」はしばしば知る者と知る対象との間に能動的な関係があることを示していると考えられます。
 今回のこの箇所では「ギノースコー」が使われています。良い羊飼いであるイエス様と飼われている羊は、単に知識として知っている関係でなく、観察、経験により知るようになる能動的な関係なのです。そしてそれは、父なる神様とイエス様との関係と同じだというのです。
 そのように羊を「知る」良い羊飼いは、このような人格的交わりに動かされて、羊のために命を捨てる、と言います。ヨハネ福音書15章13節に「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」とありますように、「知る」という人格的触れ合いは愛へと高まっていきます。ここでの「知る」は、熟していけば犠牲をいとわない愛になるという「知る」なのです。
 
 先ほど交唱した、詩編23編の「主」こそが、羊である私たちのために命を捨てる「羊飼い」です。その方こそ私たちのことを観察し深く知り、私たちと共に歩んでおられる主イエス様です。2週間前の墓地礼拝や一昨日のN・Mさんの葬送式でもお話ししましたが、「主イエス様は私たちと共に死の陰の谷を歩いて、向こう岸の安全なところに連れて行ってくれる」お方なのです。
 本日の福音書では冒頭から「私は良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」と始まり、15節で「私は羊のために命を捨てる。」、最後の18節に「私は自分でそれを捨てる。」とありますように、「イエス様の死」が通奏低音のように響いています。
  イエス様が羊のために「命を捨てる」のは、羊のことを深く知り人格的交わりがあるゆえであり、それが父のみ旨だからです。父なる神様とイエス様の間には、深い豊かな交わりが広がっています。私たちは、良い羊飼いであるイエス様を通して、この同じ交わりに包まれています。イエス様が私たちのために十字架上で「命を捨てる」のは、この交わりへと招き入れるためであり、それが「贖い」です。「贖い」と訳されているギリシャ語の元々の意味は、奴隷や人質を買い戻し自由にすることです。イエス様は様々なことにとらわれている私たちのために十字架に付き「贖い」、私たちを解放してくださるのです。イエスの贖いの業は「この囲いに入っていない羊」(つまり、異邦人)にも及んでいます。
 先ほど福音書前に歌った聖歌462番「飼い主わが主よ」をご覧ください。この聖歌の一節の終わりに「われらは主のもの、主にあがなわる」とある通り、私たちは主イエス様のものであり、イエス様によって贖われるのです。さらにこの聖歌では3節に「われらをあがない 命をたもう」とあるように、イエス様の十字架の死により私たちが永遠の命を得ることも示唆しています。そのようなことを知った私たちがなすべきことは何でしょうか?  それは4節にありますように「今よりみ旨を なさしめたまえ」ということ、つまり、「み旨(神様のみ心)がなされますように」と祈ることだと思います。

 本日は特祷についても見たいと思います。本日の特祷の中で私たちは「み旨」に関して、「わたしたちを み旨にかなう者とし、み前に喜ばれるすべての良い業を行なわせてくださいますように」と祈りました。では「み旨」とは何でしょうか?
 このことについては、この本、「特祷想望『日本聖公会祈祷書』特祷、解説と黙想」が参考になります。

 この本は、昨年退職された吉田雅人主教がウイリアムス神学館館長の時に執筆されたものです。この本の中にこうあります(P.140)。
『神様のみ旨、御心、御意志とは一体何なのでしょうか。まさにそれは私たち人間には図り知ることのできないものかもしれません。イエス様はそれを「神様を愛し、隣り人を愛する」ことだと言われました。(中略)神様のみ旨にかない、み前に喜ばれるような良い業を行うことなど私たち人間には不可能なことなのです。ただ、私たちは神様がイエス・キリストによって私たちの「内に働いて、御心のままに望ませ、行わせて」(フィリピ2:13)くださることを信じたいと思います。』
 ここでは、神様のみ旨とは「神と人を愛すること」であり、それは神様がイエス様によって私たちの内に働くことで実現されることを信じたいと述べています。

 皆さん、良い羊飼いは羊のことを知っており、良い羊飼いに養われる羊は、羊飼いのことを良く知っています。羊はすべてをゆだねて安心しています。単に見て知っているのではなく、心の深いところで受け入れられています。このように、イエス様は私たちのことを深く人格的に知り、受け入れて下さっているのです。先日帰天されたN・Mさんはこのことをよく知っておられて、すべてをイエス様に委ねる信仰をお持ちでした。
 イエス様こそ良い羊飼いで、私たちはこの羊飼いに養われる羊です。良い羊飼いであるイエス様は、羊である私たちを贖うために命を捨てるほど、私たちを愛しておられます。
 羊は、羊飼いの声をよく聞き分け、羊飼いをよく知らなければなりません。羊飼いに、すべてを委ねきる、本当の信頼がなければ、迷いだしてしまいます。私たちも良い羊飼いであるイエス様に全幅の信頼をしていきたいと願います。
 イエス様は十字架のみ業を為し遂げられた後、復活し、今も私たちと共に生き、導いてくださっています。この良い羊飼いのみ声に、生涯聞き従っていくことができるよう祈り求めて参りたいと思います。 

 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 

『祈りの構造』

 前々回の「聖書と祈りの会(Zoom)」の中で祈りの4つの内容ACTSについて学び、前々回のブログで、そのことについて記しました。その後、この内容の前提のことを示す必要があると思いました。それは特に、祈りの「最初」と「最後」の言葉についてです。そこで、前回の「聖書と祈りの会(Zoom)」では基本的な「祈りの構造」について学びました。参加者には事前に資料をメールの添付で送りました。それは、信徒教養双書「聖公会の礼拝と祈祷書」(森紀旦編)の中にある文章です。

 この本の中のP.26・27にある、竹田真主教様が執筆された「特祷の構造」についてです。特祷の構造が自由祈祷の構造と同様であると考えたからです。先日、「聖書と祈りの会」の参加者等に添付した資料は以下のものです。

 この資料では「特祷の構造」について5つの部分を示しています。それは以下の5つです。
(1)神への呼びかけ
(2)告白
(3)祈願
(4)祈願の目的の表明
(5)結びの言葉
 それぞれ少し解説します。

(1)神への呼びかけ
 祈りの最初には、必ず父なる神への呼びかけを行います。「主よ」「神よ」だけの場合もありますが、「全能の」「あわれみ深き」等の形容詞がつくことが多いです。「恵みに富みたもう主なる神様」「私たちの主イエス・キリストの父なる神様」といった具合です。この部分は祈りにおいて必須です。
(2)告白
 ACTSの中のConfession(懺悔・告白)に当たります。これには、神の救いの働きについての特質の告白と、人間の弱さについての告白の二種類があります。前者の例は「すべてのものの創造主である神よ」「天地万物を治める父なる神よ」等、後者の例は「私は思いと言葉と行いにより罪を犯しました」「罪を赦してくださるのは主だけです」等が考えられます。
(3)祈願
 実際の祈りの言葉です。ここでは、この部分も聖句に基づいているものが多いと指摘されています。竹田主教様は「われわれの祈りの言葉も基本的には聖書の言葉を規範とすべきである」と述べています。例えば、「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯を私から取りのけてください。しかし、私の望みではなく、御心のままに。」(マルコによる福音書 14章36節)や「父よ、私の霊を御手に委ねます。」(ルカによる福音書23章46節)等が考えられます。
(4)祈願の目的の表明
 ある特祷には、祈願の目的となる希望がつけられています。この目的は神の栄光に向けられています。例えば「この願いはあなたを証するためです」等が挙げられます。
(5)結びの言葉
 これは常に「主イエス・キリスト(のみ名)によって(祈ります、お願いします、み前にお捧げします)」です。キリストが私たちの祈りの唯一の仲介(仲保者)であり、とりなしであるからです。

 前々回と今回の祈りの構造とを合体させると、以下のようになります。
(1)神への呼びかけ  
 「全能の父なる神様」「恵みに富みたもう主なる神様」等。
(2)祈りの内容
 ACTS(賛美・懺悔(告白)・感謝・祈願)+代祷を意識して、この中から組み合わせる。
(3)結びの言葉
 「主イエス・キリスト(のみ名)によって(祈ります、この祈りをみ前にお捧げします)」等。 
 皆さん、ぜひ、これまでのことを参考に自分の言葉でお祈り(自由祈祷)してみてください。祈りとは父なる神様との対話です。肉親と話すように率直に語り合ってほしいと思います。

 

復活節第3主日 主教巡杖・堅信式『キリストの証人として生きる』

 本日は復活節第3主日です。新町聖マルコ教会では、主教巡杖及び堅信式がありました。堅信を受領(按手)されたのはアントニオ栁井孝幸兄です。

 新町では2年ぶりの主教巡杖及び堅信式でした。堅信式後のご本人の挨拶で「天国で両親が喜んでくれていると思います」との言葉が印象的でした。聖堂が喜びに溢れました。参列した皆さんもうれしそうでした。

 礼拝後は、旧幼稚園舎のホールで祝会(愛餐会)。主教様を囲んで交わりの時をもちました。

 本日の聖餐式の聖書箇所は、 使徒言行録3:12-19、詩編4、ヨハネの手紙一3:1-7、ルカによる福音書24:36b-48。前橋の教会は、信徒奉事者の司式による「み言葉の礼拝」でした。そこで私の説教が代読されました。その原稿を以下に記します。復活したイエス様が私たちと共に歩んでおられることを知り、キリストの受難と復活、また悔い改めを宣べ伝える「キリストの証人」として生きることができるよう祈り求めたいと思います。

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 マッテア教会では、この4月から第二日曜は以前のように「み言葉の礼拝」
となりました。信徒による聖餐式の前半部分を中心とした礼拝です。信徒奉事
者による司式で、今月については福田司祭の説教代読とさせていただきました。
 
 説教の本題に入ります。本日は復活節第3主日です。本年はB年ですので、聖書日課はマルコによる福音書が中心ですが、今回はルカによる福音書24章36節以下から採られております。
 こんな話でした。
『イエス様が十字架で亡くなった3日後の夜、弟子たちは集まって「全ては終わりだ、これからどうしたらいいだろうか」と考えていたと思われます。その時にイエス様が、彼らの「真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』」とおっしゃいます。最初は亡霊を見ているのだと思って恐れましたが、イエス様と話し、イエス様の傷跡や魚を食べるイエス様を目撃するうちに、弟子たちは「イエス様が本当に復活した」と、実感しました。そして、イエス様は弟子たちに言いました。46節の後半から48節です。
「『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、すべての民族に宣べ伝えられる。』あなたがたは、これらのことの証人である。」と。
 つまり、イエス様の復活を目撃したあなたがたはメシア(キリスト)の証人なのだ、というのです。これが今日の箇所の結論でした。

 今日はこの「キリストの証人」ということにスポットを当てて考えたいと思います。
 ここの「証人」のギリシャ語原文はマルチュレスで、動詞「マルチュレオー」の名詞形です。「マルチュレオー」は「事実や出来事を確証し、証しする」の意味です。 証しする内容・対象がキリストであれば、イエス様の生涯に起こった出来事を単に「証しする」だけでなく、イエス様とは誰なのか、その本質はどこにあるのかを「証しする」ことを含んでいます。
 48節の「これらのことの証人である」の「これらのこと」とは何でしょうか? それはその前の46・47節にある通り、キリストの受難と復活、また悔い改めが宣べ伝えられることです。悔い改めとは、神に立ち帰ることです。
 神様はイエス様を通して、私たちの背きと罪を拭い去り、「立ち帰れ」と呼びかけています。神様のこの呼びかけを証しする証人として、弟子たちは遣わされていきます。本日の旧約聖書代用で読まれた使徒言行録3:19には、こうあります。ペトロが民衆に語った言葉です。
「だから、自分の罪が拭い去られるように、悔い改めて立ち帰りなさい。」
 ここではイエス様の一番弟子のペトロが罪が拭い去られるように、つまり罪が赦されるように悔い改めるように、言い換えれば、神に立ち帰るように呼びかけています。
 そして、それは現代のキリストの弟子である私たちにも向けられています。

 私は、今日、悔い改めて神に立ち帰った一人の「キリストの証人」を思います。その方はヨセフN・Mさんです。N・Mさんは昨年のクリスマスにご自宅で洗礼を受けられました。先週の月曜、8日にI病院の緩和ケア病棟に入られ、その翌日9日に病室(個室)にお見舞いに行き、塗油をさせていただきました。中川さんの名親(教父)であるN・Sさんも一緒でした。N・Mさんは最初は目をつぶって黙っておられましたが、油を塗るときに、私が「父と子と聖霊のみ名によって、あなたに聖油を塗ります。アーメン」と言うと、私の声に続いて「父と子と聖霊のみ名によって」と言って十字を切っていました。N・Mさんは食事の前には「父と子と聖霊のみ名によって。アーメン」と言って十字を切って祈っているとのことでした。Nさんは洗礼を受ける前の学びでも、すべてを主にゆだねる姿勢があり、悔い改めて神に立ち返る信仰をお持ちであると感じました。先日の病床訪問では、お祈りを終えて病室を出てから、傘を部屋に置き忘れたことに気がつき、私が静かに戻ると、Nさんは目をつぶり手を合わせて真剣に祈っておられました。悔い改めて神に立ち帰った姿を目撃したように思いました。ヨセフN・Mさんは私やご家族等に、キリスト者として信仰のあるべき姿勢を示された「キリストの証人」であると確信しました。

 聖書に戻ります。本日の福音書ルカによる福音書24章48節「あなたがたは、これらのことの証人である。」は、ギリシャ語原文をそのまま直訳すると「あなたがたは 証人 これらのことの。」であり、「証人になれ」という命令形でも「証人になるでしょう」という未来形でもありません。「あなたがたは、証人である。」とイエス様は弟子たちに断定しているのです。
 私たち、キリスト者も人生のあるときに主イエス・キリストに出会い、イエス様によって新たな生き方に導かれ、今、キリストの受難と復活、また悔い改めを宣べ伝える「キリストの証人」なのです。そのことを、私たちは意識することが大事であると思います。
 
 皆さん、十字架の3日後に弟子たちに姿を現した復活の主イエス様は、私たちにも出会ってくださり、今も行く道を共に歩んでくださっています。そして、弟子たちと同様に私たちも、キリストの受難と復活、また悔い改めを宣べ伝えていく「キリストの証人」として生きる使命が与えられています。
 神様の恵みや慈しみ、主イエス様の復活の素晴らしさを思い起こしながら、私たち一人一人が「キリストの証人」として生きることができるよう祈り求めて参りたいと思います。

  父と子と聖霊の御名によって。アーメン



 

『お祈りはACTS』

 2024年度が始まりました。私にとっては定年までの最後の一年です。悔いのないようにできる限りの宣教・牧会に努めたいと思います。その一環で4月から「聖書に聴く会(Zoom)」の名称と内容を変更しました。「聖書と祈りの会」とし、聖書理解の分かち合いと自由祈祷の学び等を行うことにしました。
 その理由は、この会を説教で言い足りなかったことの補強や重箱の隅をつつくようなものでなく、一人一人が自分で聖書を理解しそれを分かち合うとともに、神様との距離を短くし、自分の言葉で祈ることができるようになってほしいとの願いからでした。
 先週のこの会では、祈りの具体的な方法として「ACTS」について学びました。事前に資料を参加者にメールで配布しましたが、それはこの小冊子からのものでした。BSA<信徒叢書7>の今井烝治司祭の「聖公会という名の教会(二)」です。

    この中のP.4、5にこうあります。

 この資料にありますように、祈りは神様との対話であり、ACTS「行い」とよく言われます。ACTSとは、AはAdoration賛美。CはConfession懺悔(告白)。TはThanks giving感謝。SはSupplication祈願であり、祈りはこの四つの内容をもっている、というものです。
 それぞれ少し解説します。
○ Adoration 賛美
 賛美とは、神様の素晴らしさを言葉で表現することです。「崇めること」です。神様は、私たちの創造主であり私たちの牧者(羊飼い)で、私たちは神様の被造物でありその牧場の羊です。Adorationとは、私たちを造った方を賛美し崇めることです。よく手紙の初め等に「主の聖名を賛美します」等と記すのはこのことです。
○ Confession 懺悔(告白)
 自分を振り返り、罪を告白することです。私たちは日々の生活の中で、思いと言葉と行いによって多くの罪を犯しています。それを認めて神様の前に懺悔することは神様が喜ばれることです。イエス様の弟子たちのように「あなたはメシアです」「私の主、私の神」のように信仰告白することも含まれるように思います。
○ Thanks giving 感謝
 感謝を献げることです。2024年度のマッテア教会の宣教聖句は「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」(テサロニケの信徒への手紙一 5章16~18節)です。この聖句の続きに「これこそ、キリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。」とあります。神様は何事にも感謝することを私たちに望んでおられるのである。
○ Supplication 祈願
 Supplicationは、「嘆願」や「懇願」とも訳せる言葉で、単に願うのでなく、強く継続的に願うことです。マタイによる福音書7章 7節にある通り、神様はその成果を約束されています。
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる。」と。

 私たちの祈りは、「感謝」と「祈願」は必ず入っていますが、「賛美」と「懺悔(告白)」は少ないように思います。一回の祈りにACTSの四つ全部を入れなくてもいいと思いますが、この四つの内容を意識することは意義あることと考えます。
 また、ACTSとともに、代祷(とりなしの祈り)Intercessionにも配慮することは大切です。それは友や他者のために祈ることです。
  そして、イエス様のゲッセマネの祈りや十字架上の「み手にゆだねます」との祈りのように、神様のみ心がなされるよう、私たちがそうできるように祈り求めたいと思います。
 ぜひ、皆さん、ACTSと代祷等に配慮して、神様と積極的に対話してみてください。それにより、日々の生活が豊かになります。

『服部良一とキリスト教』

 この3月でNHK朝の連絡テレビ小説「ブギウギ」が終了しました。戦前は「スウィングの女王」、戦後は「ブギの女王」と言われ、多くの人に支持された笠置シヅ子をモデルとした作品でした。趣里が熱演していました。私は毎朝よく見ていました。この笠置シヅ子に多くの作品を提供したのが服部良一です。このドラマでは草彅剛が演じていました。
 私はある知的障害者の施設で月2回ミュージック・ケアをしているのですが、先日のセッションで「東京ブギウギ」を取り上げたところ、いつも「いいよー」と首を振ってしたがらないHさんが、この曲に合わせて鳴子と鈴を振ってうれしそうに行進する様子がありました。「東京ブギウギ」のリズムが快かったのでしょうか? 服部サウンド、恐るべしです。
  服部良一の音楽は、同時代の古賀政男などと比べるとジャズやポップス色が強くバタ臭いものです。曲調もどちらかというと明るく長調が多く、人生を謳歌し励ますような歌詞が多いように思います。
 彼の音楽のルーツは何か、と思って彼の自叙伝「ぼくの音楽人生」を購入し読み進めました。

すると、この本の最初のほうの「明治・大正の洋楽」という項目の中にこうありました。
『明治の洋楽で、今一つ忘れてならないのは讃美歌だと思う。開港開国とともにキリスト教が奔流のごとく入ってきて、教会が津々浦々に建てられた。楽器は主としてオルガンだったが、その音色とともに歌われる讃美歌は文明開化を象徴するようなハイカラな旋律だった。
 ぼくの西洋音楽への目覚めも、この讃美歌であったといっていい。六歳の頃だ。近くにメソジスト派の教会があって、日曜学校をひらいていた。そこで、初めてオルガンというものを見聞し、讃美歌を歌った。子供のころのぼくの声は女の子ように澄んだ美しい音色のボーイソプラノだったそうである。そこで教会の合唱隊の一員に加えられ、いつもソプラノパートを歌っていた。日曜学校には十歳くらいまでの四年間ほど通い続けた。(P.19,20)』
 服部良一の音楽のルーツの一つは讃美歌だったのです。6歳から10歳という少年期に、メソジスト派の教会に通い聖歌隊で合唱していたのです。メソジスト派は音楽を重要視して、有名な讃美歌作曲家であるチャールズ・ウェスレーが多くの名曲を生み出しています。おそらく服部良一少年は日曜学校の教えと讃美歌等の教会音楽から大きな影響を受けたと考えられます。ちなみに、先主日の説教で触れた「ジーザス・クライスト=スーパースター」の作曲家のロイド・ウェーバーも少年期にウエストミンスター寺院の聖歌隊に所属していたそうです。多くの作曲家が聖歌・讃美歌から影響を受けているのです。

   服部良一の音楽で、讃美歌のような作品を探してみました。私は彼の多くの曲を収めてある3枚組のCD「服部良一-ぼくの音楽人生-」で聞いています。

この中の3枚目に「山のかなたに」という昭和25年5月に発売された藤山一郎の歌があります。以下のURLで聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=SU_8gYjYkBg

  「山のかなたに」は、石坂洋二郎の小説が昭和25年に映画化されたときに主題曲として作られました。作詞は西条八十で、歌詞は以下のようです。

1 山のかなたに あこがれて 旅の小鳥も 飛んで行く
  涙たたえた やさしの君よ 行こよ 緑の尾根越えて
2 月をかすめる 雲のよう 古い嘆きは 消えて行く
  山の青草 素足で踏んで 愛の朝日に 生きようよ    
3 赤いキャンプの 火を囲む 花の乙女の 旅の歌
  星が流れる 白樺こえて 若い時代の 朝が来る
4 山のかなたに 鳴る鐘は 聖(きよ)い祈りの アベ・マリア
  強く飛べ飛べ 心の翼 光る希望の 花のせて

  山のかなたにあるものにあこがれる。そこではアベ・マリアの祈りの鐘が鳴る、という。修道院でしょうか? そこからアンジェラスの鐘が聞こえるのでしょう。「愛の朝日」「花の乙女」「聖い祈りのアベ・マリア」「心の翼」「光る希望」などの言葉からキリスト教的な香りがしてきます。

 この「山のかなたに」と類似した聖歌・讃美歌として、思い浮かぶのが聖歌444(讃美歌301)「山べに向かいて」です。下のURLで聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=deZswFUgx5g

 この曲の歌詞は以下の通りです。

1 山べに向かいて われ目を上ぐ 助けは いずかたより来たるか
  あめつちのみ神より 助けぞわれに来たる
2 み神は 汝の足を強くす み守りあれば 汝はうごかじ
  み民をば守るもの まどろみ眠りまさじ
3 み神は仇をふせぐ盾なり 汝が身をつねに守る影なり
  夜は月、昼は日も 汝をば損のうまじ
4 み神は災いをも避けしめ 疲れし魂をも休ます
  出るおり入るおりも たえせず汝を守らん 

 1節で、山に向かって目を上げると天地を創られた神から助けが来ることが分かる、と始め、2節・3節で、その神様は私たちの足を強く、盾となり私たちをいつも守ってくださる、4節で、疲れた心を休ませてくださる、と詠っています。全能の父なる神への賛歌です。
 この聖歌の歌詞は、英国の貴族ジョン・キャンベルが詩篇121編を韻律化し作詞し、それを別所梅之助が翻訳したものです。どの聖歌集にもこの歌詞で載っており、それはこの曲が日本語讃美歌として普遍的な価値を持っているからだと思います。別所梅之助(1872年-1945年)はメソジスト派の牧師、青山学院専門部・神学部教授でした。讃美歌(1903年)編集では中心的人物として携わり、それまでの生硬な歌詞を洗練された美しい日本語にする上で大きな貢献をした、と言われています。
 子供の頃、メソジスト派の教会に通っていた服部良一がこの曲に親しんでいたことは十分考えられます。そうでなくても、この聖歌・讃美歌は今でも世界中で愛唱されていますので、耳にはしていたと思います。服部良一の音楽の歌詞もメロディーも讃美歌の影響を受けていたのです。
 服部良一が影響を受けた音楽にはアメリカのブルースやジャズもあります。どちらも黒人霊歌(ゴスペルソング)から生まれています。服部良一サウンドの根っこにキリスト教があったことは間違いないと確信します。

 

復活日 聖餐式『生活の中で復活の主に出会う』

 本日は復活日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、イザヤ書25:6-9、詩編118:1-2・14-24、使徒言行録10:34-43、マルコによる福音書16:1-8。説教では、「空の墓」の先を見る信仰の目を養い、主イエス様のみ跡に従い、日々の生活の中で復活の主に出会い、復活の証人として力強く歩んでいくことができるよう祈り求めました。
 本日のテーマと関係した映画「ジーザス・クライスト=スーパースター」にも言及しました。
 説教原稿を下に示します。

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 皆さん、主のご復活おめでとうございます。
 本日は復活日、イースターです。新しいチャーチオルガンでお祝いできることをうれしく思います。また、日本では年度の最後の日で、明日からは新しい年度が始まります。私は4月からはこれまでの前橋の牧師、新町の管理牧師と玉村の幼稚園のチャプレンに加えて、高崎の教会の管理牧師も任されました。定年最後の1年でもあり、主のみ守りと導きにより、できる限りの宣教・牧会に努めたいと思っております。Zoomによる「聖書と祈りの会」や会館での「キリスト教文化入門」等を宣教の器として用いて、新町や高崎との連携も図りたいと考えています。
 
  さて、本日の福音書箇所についてですが、今年はB年でマルコによる福音書の16章を朗読しました。こんなお話でした。
『イエス様が金曜日に十字架につけられて亡くなり、墓に葬られ、マグダラのマリアヤコブの母マリア、サロメがイエス様の遺体をもっと丁寧に処理しようと思い、日曜日の朝早く墓に行きました。当時は大きな横穴式のお墓で大きな石で蓋をしていたのですが、墓の入口の石が取り除かれ開いていて、イエス様の体がなく空(から)でした。そこに天使と思われる白い衣を着た若者がいて、「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」ということを告げました。それは驚きのことだったと思われます。さらにこう言いました。「御覧なさい。お納めした場所である。」と。空の墓を見せて、そして「弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』」というメッセージを告げました。この墓が空であるという不思議な出来事に触れ、天使の話を聞いて、この女性たちはただただ驚きの中にありました。』
  この箇所はギリシャ語原文では印象的な受動態の文章が2つありました。それは4節の墓の入り口の「大きな石がすでに転がしてあった」と6節の若者の言葉「あの方は復活なさって」です。どちらも誰がしたかは明確に示していませんが、神が行ったことを暗示している「神的受動態」と考えられます。英語の聖書(NRSV)では、前者は「had already been rolled back」、後者は「He has been raised」とありました。墓の石を転がしたのもイエス様を復活させたのも父なる神であることが分かります。先ほど福音書前に歌った聖歌169では、2節で「墓をふさぐ石も 脇へ転がされ」、4節で「主は復活なされた われらは救われた」と、はっきり受動態で示されていました。

 今は、エルサレムの旧市街地にあるゴルゴタの丘とイエス様のお墓に巨大な聖墳墓教会という教会が立っていて、お納めしていた所がその中にあり、巡礼地になっています。私は6年前にイスラエル聖地旅行に行きましたが、旅の終わりにそこを訪ねました。ものすごい人でお墓の内部に入るのに3時間かかるというので入るのを諦めました。その時「ここには何もない、イエス様はここにはおられないのだからまあ入らなくてもいいかな」と思って、お墓を外から見て「入ることができなくても仕方がない」と自分に納得させたことを思い出しました。    
 イエス様はここにはおられない。ではどこにいるのかといったら、私たちと共におられるのです。お墓を空にして、復活した主が、私たちと共におられる。だから私たちも古い自分とか罪とか、嫌な過去とかを全て空にして、復活した主と共に新たな人生を歩んでいきたいと思うのです。

 さらに言えば、最初、女性たちは墓でイエス様に会えると思っていました。しかし、墓は空でそこではイエス様に会うことはできませんでした。天使は女性たちに「あの方は復活なさって、ここにはおられない」と伝えました。言葉を換えれば「墓はイエス様のいる場ではない。イエス様は復活の命を生きている」と言っているのだと思います。イエス様の遺体がないという事実と、そのことの意味を知らされた女性たちは墓を出て、つまり、方向を変えたのです。そして、震え上がり、恐れます。イエス様の復活はこの世の命に戻ることではなく、神様が与える新しい命を生きることなのであります。

 今日の福音書では、7節にある、「白い衣を着た若者」つまり、「天使」の言った「さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』」という言葉に注目しました。天使は女性たちに「行って、弟子たちとペトロに告げなさい」と命じます。イエス様と会うことのできる場所は墓ではなく、イエス様が先立って行くガリラヤであるということです。ガリラヤというのは弟子たちの馴染みの場所、仕事をしたり暮らしたり、そしてイエス様と共にいた自分たちの故郷です。イエス様が亡くなったのはエルサレムで、ナザレの人々にとっては馴染みのない所でイエス様は亡くなられたのですが、復活されるのはガリラヤということです。弟子たちにとって、自分たちが働いて暮らしていたその場所でイエス様が復活して、出会ってくださるというのです。これは本当に大きな恵みだと思います。
 私たちにとっての「ガリラヤ」とはどこでしょうか? それは私たちの今の現実の日々の生活ではないでしょうか? 自分が今暮らしている家庭や職場、地域など、生活し活動しているいつもの馴染みの場所が、私たちのガリラヤなのだと思います。そのガリラヤで私たちも復活した主に出会うことができる。それをこの天使が私たちに告げている、そう思うのです。
 
 ところで、最近この映画をDVDで見ました。

 それは「ジーザス・クライスト=スーパースター」という「キャッツ」や「オペラ座の怪人」等で有名なロイド・ウェーバー作曲によるロック・オペラです。この映画は1973年に公開され、イエス様最後の七日間を2000年前のエルサレムを舞台に描いていますが、イエス様の周りにいる群衆たちは現代の衣装で、使っている道具も現代のもので音楽や踊りも現代のものです。これはまるで、イエス様は2000年前のイスラエルの過去の遠いところの人ではない、今の自分が生きている日々の生活の中で、私たちはイエス様に出会うことができると言っているように思いました。

 さらに、先ほど注目した天使の言葉『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる。』では「あなたがたより先に」「~行かれる。」と語っています。このことは意味深いと思われます。イエス様は、私たちよりも先に行かれる、行って待っていてくださる。そこに私たちが行くのです。これは、私たちはイエス様のみ跡を歩むということです。するとそこでイエス様にお会いすることができるのです。
 言い換えれば、イエス様のみ跡を歩むことで、日々の生活の中で復活の主イエス様に出会うことができるのだと言えます。その時、私たちに必要なものは何でしょうか? それは「信仰の目」だと思います。その目を持てば「空の墓」を見て、その先にあるものを見ることができます。それにより、天使の言った「あの方は復活なさって、ここにはおられない。」「あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。~そこでお目にかかれる。」という言葉の意味を正しく理解できるでしょう。
 2000年前の弟子たちは、イエス様の十字架を前に「イエス様を知らない」と言ってちりぢりになってしまいましたが、その後、復活の主と出会って、生き方が変わり、新たな信仰者として力強く歩み出しました。復活の証人としてです。このように復活の主に出会うことにより、新たな人生を歩むことができるのです。

 皆さん、復活日を迎えた私たちは、その喜びを味わうと共に、「空の墓」の先を見る信仰の目を養っていきたいと願います。そして、主イエス様のみ跡に従い、それぞれのガリラヤである、今、ここの日々の生活の中で復活の主に出会い、復活の証人として力強く歩んでいくことができるよう祈り求めたいと思います。

  父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 

『聖歌145番「血しお したたる」とバッハ「マタイ受難曲」』

 本日は聖金曜日(受苦日)です。前橋での午後2時からの礼拝で聖歌を一曲だけ歌いました。聖歌145番「血しお したたる」(讃美歌136番)です。新しく入ったチャーチオルガンで、私が奏楽を担当しました。
 この聖歌は下のURLで聴く(見る)ことができます。聖マーガレット教会の有志による演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=EFYuhdZLnLQ

 聖歌145番「血しお したたる」の歌詞は以下の通りです。

1 血しお したたる  主の み頭(かしら)
  とげに 刺されし  主の み頭
  悩みと恥に     やつれし主を
  み使い 畏れ    君と仰ぐ
2 主のくるしみは   わがためなり
  われは死ぬべき   罪人となり
  かかる わが身に  代わりましし
  主の み心は    いと尊し 
3 なつかしき主よ   はかり知れぬ
  十字架の愛に    いかに応えん
  みいつくしみに   とこしえまで
  かたく頼りてと   仕えさせよ
4 主よ 主のもとに  帰る日まで
  十字架の影に    立たせたまえ
  み顔をあおぎ    み手によらば
  臨終(いまわ)の息も 安けくあらん 

 イエス様が「ユダヤ人の王」と嘲笑され、王冠の代わりに茨の冠をかぶせられ、両手・両足を釘付けされていて、血潮が顔を流れるままになっている様が描かれています。2節でイエス様の十字架の意味が示されます。つまり、「私のため、私の罪を贖うため」ということです。3節でその十字架の愛にどう応えるか、主に頼り仕えること、4節で帰天の時まで主を見つめ主に頼れば死を前にした時も平安であろう、と詠っています。まさに授苦日にふさわしい聖歌と言えます。

 この詩については、まず、クレルヴォーのベルナール(1090-1153)が、「十字架にかかりて苦しめるキリストの肢体への韻文の祈り」というラテン語の詩文を作詞しました。その第七部の「頭への祈り」を、17世紀のドイツの讃美歌作者パウル・ゲルハルトがドイツ語に訳した聖歌です。
 曲は、ドイツの音楽家ハンス・レーオ・ハスラーが1601年に発表した恋愛歌のために作曲した五声部の合唱曲です。その後、1656年にパウル・ゲルハルトの「血しおしたたる」にこの曲を転用して発表されました。この聖歌は、ドイツにおける、受難コラールで最も有名な曲になりました。

 聖歌145番の引照聖句であるイザヤ書53章4節-5節はこうです。
『彼が担ったのは私たちの病 彼が負ったのは私たちの痛みであった。しかし、私たちは思っていた。彼は病に冒され、神に打たれて 苦しめられたのだと。
彼は私たちの背きのために刺し貫かれ 私たちの過ちのために打ち砕かれた。彼が受けた懲らしめによって 私たちに平安が与えられ 彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。』
 いわゆる「苦難の僕」であり、イエス・キリストの予徴です。この聖句は本日の礼拝の中でも読まれました。イエス様の十字架は贖罪のためであり、イエス様は「傷ついた癒やし人」であることが示されています。テーマは聖歌145番と共通しています。

 多くの作曲家がこの聖歌を、編曲したり主題に用いています。特に、バッハのマタイ受難曲での編曲が有名で、バッハはマタイ受難曲でこの聖歌を5回も用いています。

   私はリヒター版(1958年)のこのCDで聴いています。

 カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団による1971年5月のバッハ「マタイ受難曲」を以下のURLで見る(聴く)ことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=z6CIFxqnNu0

 マタイ受難曲全68曲中、「血しおしたたる」のコラールが微妙に形(調)を変えて以下の5回も登場しています。
  第15曲「私を知ってください 私の守り手よ」(過越の食事)
  第17曲「私はここ あなたのみもとにとどまろう」(信仰告白
  第44曲「お前の道と」(イエス、すべてを神にゆだねる)
  第54曲「おお 血と傷にまみれ」(死の直前)
  第62曲「いつか私が世を去るとき」(息を引き取った後)

 バッハはただコラールを繰り返すだけでなく、場面に応じた工夫をしています。例えば、5回出てくるうちの最後の2回。
 4回目(第54曲)の場面は、イエス様が茨の冠をかぶせられて群衆になじられるという場面で、5回中、最も高い調性であるニ短調で歌われます。
 しかし、5回目(第62曲)にイエス様が十字架上で息を引き取って、その直後に歌われる時には、同じコラールでも最も低い調性であるイ短調で歌われます。
 聖歌145番は5回目と同じ調性のイ短調になっています。
 バッハは同じコラールを物語の状況や場面に合わせて繊細に変化させました。これは受難の物語に聴き手も参加できる仕組みであったと考えられます。
これにより、イエス様が十字架についたのは私の罪のためで、それにより贖われ新たに生きる者になったことを実感するようになっています。
 マタイ受難曲でバッハは様々な音楽的な工夫を凝らしましたが、それは福音書のメッセージを伝えるためでした。バッハは、いつも楽譜の最後に「Soli Deo Gloria(ただ神の栄光のために)」と書いていましたが、それがバッハの音楽に向かう姿勢でした。
 マタイ受難曲に聖歌145番「血しおしたたる」のコラールは5回登場するのも、それがイエス様の受難(十字架)の意味をよく表し、それが私たちへの福音(よき知らせ)となっているからであり、神様はバッハを用いて私たちにそのことを伝えていると思うのであります。