マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『バッハ「ゴルドベルグ変奏曲」に思う』

 1月7日(日)のテレビ朝日題名のない音楽会」の「トップピアニストから届いた!ニューイヤーメッセージ2024」の番組で、あるピアニストの言葉と演奏に心惹かれました。その人はヴィキングル・オラフソン、「アイスランドグレン・グールド」と評されたピアニストです。

 オラフソンがこの番組で演奏したのはバッハの「ゴルドベルグ変奏曲」の一曲目「アリア」です。彼はピアノでこの曲を丁寧に透明感のある音で紡ぎ、癒やしを与えました。 
 とても素晴らしかったので、すぐにCDを購入しました。

 この演奏は以下のURLで聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=utkmiE7PXUI

 オラフソンは番組の中でこう言っていました。
「この曲はバッハが未来へ向けた書いた曲なんです。もし、バッハがこの時代に生きていたら現代のピアノをとても愛したでしょう。強弱がつけられ多彩な表現力を持つ現代のピアノをバッハに与えたら、お菓子屋さんで目を輝かせる子供のようになるのではないかと思います。」と。
 同感です。バッハはチェンバロのために多くの曲を作曲しましたが、バッハが今に生きていたら、この曲をきっとピアノで演奏したと私も思います。

ゴルトベルク変奏曲」は、ヨハン・ゼバスチャン・バッハによる元々はチェンバロのための変奏曲 (BWV 988)です。バッハ自身による表題は「2段鍵盤付きクラヴィ・チェンバロのためのアリアと種々の変奏」ですが、バッハの弟子のゴルトベルクが不眠症に悩むドレスデンのロシア大使であったカイザーリンク伯爵のためにこの曲を演奏したという逸話から、「ゴルトベルク変奏曲」の俗称で知られています。
 この曲のグレン・グールドによる1956年にリリースされたピアノ演奏(モノラル)のレコードは、世界的な大ヒットとなりました。これが彼のデビュー盤でしたが、彼は1981年にもこの曲を再録音(ステレオ)し、また話題になり、その後間もなく逝去してしまいました。グールドの演奏家としての最初と最後が「ゴルドベルグ変奏曲」だったのです。
 今回のヴィキングル・オラフソンのCDは演奏時間が73分です。これは反復記号を忠実に実行し、ゆったりしたテンポで叙情豊かに演奏しているからと言えます(グールドの1956年盤は38分、1981年盤は51分でした)。
 
 この曲の構成と私の印象を記します。
アリア、主題:ト長調
 まるで天上の音楽のように美しい響きで、癒やされます。私には、この世に派遣される前の、父なる神と共にいる天の御国での生活のように思われます。
第1変奏 
 標題をつけるとしたら、「出発」。この世でも生活が始まったような印象です。
第2変奏 
第3変奏 
第4変奏 
第5変奏 
第6変奏 
第7変奏 
第8変奏 
第9変奏 
第10変奏 
第11変奏 
第12変奏 
第13変奏 
第14変奏 
第15変奏 ト短調
 前半の最後の変奏。アリアから第14変奏まではト長調で書かれていましたが、ここではじめてト短調に調性が変わります。「アンダンテ」(「歩く速さで」)です。「ため息の音型」と呼ばれるものが使用され、十字架を背負い、苦悩に満ちた表情のイエス様が歩いて行く様子を思わせます。

第16変奏 
 ここから第2部に入ります。祝祭的な序曲を用いて、後半部の新たなスタートです。
第17変奏 
第18変奏 
第19変奏 
第20変奏 
第21変奏 ト短調
 日の光から真っ暗闇の深淵に落とされたよう、強い絶望感。戦争を表しているのかもしれません。
第22変奏 
 聖堂の天井から降り注ぐ聖歌のような変奏で、平和の到来を喜んでいるようです。静かに祈るようにして閉じられます。
第23変奏 
第24変奏 
第25変奏 ト短調
 全曲中、最も規模の大きい変奏。アダージョ(「ゆったりと」)です。3回目のト短調の変奏で、心の深奥からの嘆きが感じられます。イエス様の受難を見た天の父の嘆きかもしれません。これこそ受難曲で、人間及びイエス様の苦しみが描かれています。
第26変奏 
 ここでト長調に戻ります。闇の後に光が来ます。死は死で終わらないことを示しているように感じます。少しずつ生へと回帰していきます。
第27変奏 
第28変奏 
第29変奏 
第30変奏 クオドリベット
「クオドリベット」とは、ラテン語で「お好きなように」という意味で、音楽では何人かがそれぞれ好きな民謡などを同時に歌う歌遊びのことです。バッハは「長い間会わなかったな、さあおいで」と「キャベツとカブに追い出された。母さんが肉でも出してくれたらもっと長居したのになあ」という2つの民謡からなる旋律を同時進行させています。前者のメロディは、カンタータ第99番「神のみわざはすべて善し」(BWV99)のコラールに類似しています。バッハはこちらのイメージだったように思います。つまり、この変奏で聖と俗を表現し、人生にはどちらもあるということを示したのではないでしょうか?
 「長い間会わなかったな、さあおいで」(または「神のみわざはすべて善し」)に導かれるように冒頭のアリアが回帰されます。
アリア・ダ・カーポ
 長い人生の旅が終わり、出発点であるアリアに戻ってきました。つまり、天上の世界に帰ってきました。「帰天」です。死は死で終わるのではなく、元居た天のふるさとに帰ることです。そしてそれは、神がなさったこと(み業:God's work)です。「神(God)のみわざはすべて善し(good)」)なのであります。

 バッハの「ゴルドベルグ変奏曲」は、私たちが父なる神と共にいた天の御国からこの地上に派遣され、様々な喜びや楽しみ、また悲しみや苦しみを味わい、そこで聖と俗の中で生き続ける人生が表現されていたように思います。そして、最終的には天に帰り、「神と共に住まう」という旅路が描かれていた、と。
「ゴルドベルグ変奏曲」からこのようなことを思い巡らしました。