マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

リトル・リチャードとキリスト教

 5月9日は、「トゥッティフルッティ」や「ジェニジェニ」「ルシール」などのヒット曲で知られるロックンロールの先駆者、リトル・リチャードの命日でした。彼は2020年5月9日に骨肉腫のため87 歳で亡くなりました。
 リトル・リチャードはビートルズローリング・ストーンズデヴィッド・ボウイエルトン・ジョン等、多くのミュージシャンに多大な影響を与えました。リチャードは牧師でもありました。今回は彼の生涯とキリスト教の関係を中心に記したいと思います。

 彼を偲んでこのCDを聴いています。UK制作の2枚組ベスト盤です。

 このCDの1枚目のオープニングナンバーが「ロング・トール・サリー(のっぽのサリー)です。次のアドレスで彼の演奏を聴く(見る)ことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=Dtc3Sdwfcx0
 「ロング・トール・サリー(のっぽのサリー)」はビートルズもカバーしていました。リトル・リチャードは軽快なリズムでシャウトし、ポール・マッカートニーに大きな影響を与えましたが、歌詞は単純なラブソングと言えます。

 Little Richard(本名Richard Wayne Penniman)は、1932年にジョージア州メイコンで誕生し、キリスト教の環境で育ちました。彼の叔父と祖父は説教者であり、彼の母親は彼の先天性欠損症が修正されることを期待して、リチャードをニューホープバプテスト教会に毎週日曜日に送ったそうです(彼の右足は生まれつき左足より3インチ短いのでした)。
 リチャードは幼少期から教会で歌い始め、特にゴスペル・シンガーのジョー・メイやロゼッタ・サープに熱中しました。彼は14歳の時にロゼッタ・サープのツアーで前座を務めたことを機に、プロとしてのキャリアをスタートさせています。
 また、同性愛者だったリチャードは、10代の頃から女装と男性経験を繰り返し、15歳の時に厳粛な父親から家を追い出され、アトランタに移住しました。地元のバンドで “リトル・リチャード” として活動する傍ら、ブルースやブギ、ゴスペルの要素とリズミックなビートを融合させた独自の音楽のレコーディングを開始し、1955年にシングル“Tutti Frutti”が初ヒットしました。その後数多くのヒットを続け、エネルギッシュな歌唱、激しいアクションでピアノを弾く姿も話題となりました。彼は人種差別とゲイに対する差別が激しい時代に、自ら同性愛者であることを公表し、派手な化粧をして歌っていました。
 そして、リチャードは1957年の人気絶頂期に突如、引退を発表しました。その顛末は以下の通りです。
 リチャードは、全米での人気が頂点に達した頃、初の海外ツアーを行いました。その時、オーストラリアへと向かう彼らを乗せた飛行機が火を噴く事故を起こすという出来事が起きます。このときに「これはロックンロールに心を奪われた自分への神への怒りではないか、もし助かるならば聖職につきます」と必至で祈ったところ無事助かったといわれ、1957年に、この祈り通りに引退を表明しました。そして、聖職者への道へと進むべく神学校(アラバマ州のオークウッド大学)に入学して神学を修め牧師となりました。
 この後しばらくは世界中で伝道活動を行い、ロックンロールを歌うことをやめ、ゴスペルを歌うようになりました。。

 この時期の彼の歌ったゴスペルソングで私が注目したのは1964年にリリースされた“Coming Home (録音は1959年)”の中の1曲、“Precious Lord”です。この曲はキング牧師の愛唱歌で、1968年の彼の葬式でマヘリア・ジャクソンが同曲を歌ったことで知られています。プレスリーニーナ・シモンも歌っています。
 以下のアドレスで、Little Richard / Precious Lord を聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=IOayih44sdU
 Little Richardの“Precious Lord”は、ロックンロールを歌う時とは違う、ソウルを感じるゴスペルソングとなっています。

 “Precious Lord”の歌詞と和訳を示します。

Precious Lord, take my hand Lead me on, let me stand
I'm tired, I'm weak, I'm lone Through the storm, through the night
Lead me on to the light Take my hand precious Lord, lead me home.
 
When my way grows drear Precious Lord linger near
When my light is almost gone Hear my cry, hear my call
Hold my hand lest I fall Take my hand precious Lord, lead me home.

大切な主よ、手を取って 導いて、立たせてください。
私は疲れました。私は弱く、すり切れました。嵐の中、夜の中、
光に導いてください 私の手を取って、大切な主よ、家に導いてください。

道がわびしくなるとき 大切な主よ、近くにいてください
命が消えるとき 泣き叫ぶ声を、呼びかけを聞いてください
手をつかんでください。私が落ちないように。私の手を取って、大切な主よ、家に導いてください。

 “Precious Lord”は、嵐の中、疲れ、すり切れた時、光に手を取って導いてくださるよう主に寄り頼むゴスペルソングと言えます。

 リトル・リチャードは何枚かのゴスペルのレコードの製作後、ビートルズとの出会い等もあり1962年に商業音楽業界へ復帰し、活動を開始し、2013年に引退するまでそれは続きました。その間、彼は2009年の人工股関節置換術によりステージでのピアノ演奏が制限され、2012年に心臓発作を起こし、その後に骨肉腫と判明し、車椅子生活を余儀なくされ、2年前に天に召されました。音楽活動や病気の人生において、彼は信仰を持ち続けました。あるインタビューで 「イエスは私のために必要なものを与えた」「彼(イエス)は私を助けてくれた」と言っていました。

   リトル・リチャードの最晩年、最後のメッセージ(Final Message)を以下のアドレスで聞く(見る)ことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=LTXfx4h4iPs
 ここでは1時間にわたり、堅い信仰に裏打ちされたリチャードの力強いメッセージを聞くことができます。 “We need Jesus.” “Jesus loves you.” “Jesus is the light of the world.”と自信を持って語り、「永遠の命(Eternal life)」についても言及しています。

  リトル・リチャードは多くのヒット曲を生んだロックンロールの先駆者ですが、20世紀前半に黒人として身体障害を持って生まれ、ゲイやバイセクシュアルであることを公表し、多くの差別も経験しました。幼い時から教会に通いキリスト教の環境で育ち、歌も教会で始めました。そして、人気絶頂の時に音楽業界を一時引退し、神学校に通い牧師になりました。
 リチャードは嵐のような人生の中、疲れ、すり切れた時、イエス様が手を取って導いてくださる経験をしました。稀に見るエンターテーナーで多くのミュージシャンに影響を与えましたが、その基にはキリスト教や教会音楽(ゴスペル)があり、生涯、信仰を持ち続け、主の御手に守られ必要なものが与えられ、救われました。そして、今はこの世の旅路を終え、主のもとで憩うています。リトル・リチャードのこのような信仰生活に倣いたいと願います。