ジョン・コルトレーンのいわゆる宗教3部作のアルバムで、これまで「至上の愛」と「アセンション」について記しました。今回は最後の1枚「メディテーションズ(Meditations)」を取り上げたいと思います。私はこのCDで聞いています。
John Coltrane - Meditations (1966) full album は以下のURLで聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=TuzfMR-7v1I
「メディテーションズ」の録音は1965年11月23日、「アセンション」の録音が1965年6月28日ですから、その約5ヶ月後です。一層、フリージャズの度合いが高くなっています。
パーソネルはJohn Coltrane (ts, per) Pharoah Sanders (ts, tambourine, bells) McCoy Tyner (p) Jimmy Garrison (b) Rashied Ali (ds) Elvin Jones (ds)で、黄金のカルテットに加え、テナーサックスのファラオ・サンダース(Pharoah Sanders)、ドラムのラシッド・アリ(Rashied Ali)を加えた編成で演奏されました。
曲は全5曲で、LPではA面が1と2、B面が3~5でした。
1. The Father And The Son And The Holy Ghost (John Coltrane) 12:49
2. Compassion (John Coltrane) 6:49
3. Love (John Coltrane) 8:08
4. Consequences (John Coltrane) 9:11
5. Serenity (John Coltrane) 3:30
どれも、コルトレーンのオリジナル曲で、宗教色、精神性の濃い題名が並んでいます。
1曲目は、「父と子と聖霊(The Father And The Son And The Holy Ghost)」と題された曲。神は唯一であるが三つの位格(ペルソナ)を持つという「三位一体」の神秘を表す言葉ですが、聖霊をThe Holy Ghostというのがなんとも古い感じがします(現在はThe Holy Spirit)。英語の聖書でもThe Holy Ghostと表記するのは、King James Versionくらいだと思います。祈祷書The book of Common Prayerでも、1662年の第五祈祷書の表記と思います。
この曲では、まず左右に分かれた2テナーが同時にソロを展開し、そこにリズム隊を加え、混沌とした音の洪水が続きます。
この曲から私が想起したのは聖霊降臨の箇所です。使徒言行録2章1~4節にこうあります。
『五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。』
この他国の言葉(異言)をコルトレーンやファラオ・サンダースらが思い思いに語っているイメージです。この聖霊は父と子から発出されていると考えるのがカトリックや聖公会の教義です(正教会は「父からのみ」)。
2曲目「慈悲(Compassion)」は、定型ビートで時々、鈴のような音が鳴り響く中、マッコイ・タイナー~コルトレーンとソロが引き継がれます。このピアノは、私にはCompassion(共感、共に苦しむ)という表題にふさわしく聞こえます。
3曲目「愛(Love)」は、ベースソロから始まり、コルトレーンの美しいソロがフィーチャーされています。これは、「神の愛(アガペー)」をコルトレーンが提示したのだと思います。
4曲目「威厳(Consequences)」は、前曲の静寂を壊すかのように、左右に分かれた2テナーによる絶叫が続きます。
5曲目のアルバム最後を飾る「静寂(Serenity)」は、前のピアノソロを引き継いで、コルトレーンは静かに、かつ情念をもって祈り演奏しています。まさに「The Serenity Prayer」であります。
コルトレーンがこのアルバムのタイトルを「Meditations」とした思いは、どのようなものだったでしょうか?
meditationの語源は、ラテン語の"meditatio"から来ています。この言葉は「考えをめぐらすこと、黙想すること」を意味し、日常生活から離れ、自己探求や内省的な思考を行うことを表します。
meditatioから私が思い浮かぶのは、イエスを産んだマリアが羊飼いの訪問を受けた後の心持ち、思いです。ルカによる福音書2章15~19節にこうあります。
『天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使から告げられたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた。』
この「心に留めて思い巡ら」すことが、meditatioでありmeditationと言えます。ここで「心に留める」と訳されたギリシャ語は「シュンテーレオー」です。この語は「共に」を意味する「シュン」と、「守る」を意味する「テーレオー」の合成語です。マリアはイエス様と共に、心に留め守ったのです。また、「思い巡らす」と訳されたギリシャ語は「シュンバロー」で、こちらも「共に」を意味する「シュン」と、「投げる」を意味する「バロー」の合成語です。それは、本来、「共に投げ合う」ことを意味し、論じ合ったり、助け合ったりすることであり、そこから派生して、「(心の中で)じっくり考える、熟考する」といった意味にもなりました。マリアは一人で思い巡らしたのではなくイエス様と共に、じっくり考えたのでした。
マリアのこのmeditatioの態度を、コルトレーンは多くの人に伝えたいと思い、アルバムタイトルを「Meditations」としたのではないでしょうか?
ジョン・コルトレーンのアルバム「メディテーションズ」から、混沌と音の洪水にしばし浸かりながら、このようなことを黙想しました。