マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『バッハの「マニフィカト」に思う』

 クリスマスに関係する音楽はたくさんあります。前々回、紹介したヘンデルの「メサイア」やバッハの「クリスマス・オラトリオ」などがすぐ思い浮かびますが、アドヴェントに必ず聞きたい曲がこのバッハの「マニフィカト」です。私はこのDVDを、ほぼ毎年見ています。アーノンクール指揮の古楽器によるウィーン・コンツェルトゥス・ムジクス演奏のメルク修道院におけるライブです。

 インターネットで検索したら、同じ演奏をyoutubeで聞く(見る)ことができます。以下のURLです。
https://www.youtube.com/watch?v=41blIyHQ0hs&t=231s

 バッハの「マニフィカト」は、まず1723年に変ホ長調で作曲され、これには通常のラテン語の「マニフィカト」のテクストの間にクリスマス用の4曲の挿入曲がありました。1728年から1731年にかけてバッハはこの作品を改定し、挿入曲を除き、調性をニ長調にして現在の形に書き直しました。通常の演奏にはこれが使用されます。華やかにトランペットやティンパニが活躍する作品です。

 ラテン語の歌詞および日本語対訳を下に示します。

Magnificat anima mea Dominum.  Et exsultavit spiritus meus in Deo salutari meo.
わたしの魂は主をあがめ、私の霊は救い主である 神を喜びたたえます。

Vom Himmel hoch da komm ich her, ich bring euch gute neue Mär,
der guten Mär bring ich so viel, davon ich singn und sagen will.
高き天よりわたしはやって来る、あなたがたに新しい知らせを持ってくる、
良い知らせをたくさん、そのことを歌って知らせよう。

Quia respexit humilitatem ancillae suae: 
ecce enim ex hoc beatam me dicent omnes generationes.
身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いなものと言うでしょう、

Quia fecit mihi magna qui potens est: et sanctum nomen eius.  
Freut euch und jubiliert, zu Bethlehem gefunden wird
das herzliebe Jesulein, das soll euch Freud und Wonne sein.
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、喜んで声を上げよう。ベツレヘム
愛らしいイエス様が見つかった。これこそがあなたがたの喜びと愉しみです。

Et misericordia eius a progenie in progenies timentibus eum.
その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。

Fecit potentiam in brachio suo: dispersit superbos mente cordis sui.
Gloria in excelsis Deo! Et in terra pax hominibus bona voluntas
主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、
いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。

Deposuit potentes de sede et exaltavit humiles.  
Esurientes implevit bonis: et divites dimisit inanes.
権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。

Virga Jesse floruit, Emanuel noster apparuit
induit carnem hominis, fit puer delectabilis. Alleluja.
エッサイの若芽は萌え出で、われらのエマヌエルが現わられた。
人として肉体を受けられ、喜びの御子がお生まれになった。アレルヤ

Suscepit Israel puerum suum, recordatus misericordiae suae.  
Sicut locutus est ad patres nostros, Abraham et semini eius in saecula.
その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、
わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してもとこしえに。

Gloria Patri et Filio et Spiritui Sancto. Sicut erat in principio et nunc et semper
et in saecula saeculorum.  Amen.
父と子と聖霊に栄光あれ、初めにあったように、今も、いつも代々限りなく。
アーメン。

 この箇所は、聖書のルカによる福音書1章46~56節です。天使ガブリエルから受胎告知を受けたマリアが親類のエリザベトを訪問し、エリサベトの声に応えるようにして、神をほめたたえる賛歌を歌いました。それが「マリアの賛歌」です。祈祷書から引用します。
1わたしの魂は主をあがめ∥わたしの霊は救い主である神を喜びたたえる
2神はこの貧しい女にも∥目を留められた
3今から後いつの世の人も∥わたしを幸いな女と呼ぶ
4力ある方が∥わたしに偉大なみ業をなさったから
5主のみ名は聖∥その憐れみは世々、主を敬い畏れる人に
6主はみ腕の力を振るい∥思い上がる者を打ち散らし
7権力を振るう者をその座から下ろし∥身分の低い人を引き上げ
8飢えた人を良い物で満たし∥富んでいる人をむなしく追い返される
9神は父祖アブラハムとその子孫に∥永遠に約束されたように
10憐れみを忘れず∥僕イスラエルを助けられた
栄光は∥父と子と聖霊
初めのように、今も∥世々に限りなくアーメン

  この「マリアの賛歌」の初めに「わたしの魂は主をあがめ」とありますが、「魂」のギリシャ語は「プシュケー」で「命」や「心」とも訳せます。「私の心が、神をあがめる」とマリアは言うのです。「あがめる」とはギリシャ語で「メガリュオー」で、これは、「大きくする」という意味です。よく「メガトン級」などと言います。「メガ」は「巨大な」という意味です。
  神をあがめるとは、神を巨大に大きくすることなのです。しかも原語でマリアが、まず口を開いて言うことは、「メガリュオー」(大きくする)で、ラテン語ではMagnificat(マニフィカト)です。「マリアの賛歌」で強調しているのは神の偉大さなのであります。
 6節から8節に示されているように、その偉大な神が、「思い上がる者を打ち散らし 権力を振るう者をその座から下ろし 身分の低い人を引き上げ 飢えた人を良い物で満たし 富んでいる人をむなしく追い返される」のです。これは、現在ウクライナパレスチナで苦しんでいる民衆のことを思うとき、神が弱く飢え困難を抱えた人々に目を向け、抑圧している権力者を一掃するということに望みを持ちます。もうすぐ降誕日を迎えますが、イエス様は弱くされ現実に苦しんでいる人々のために、降臨されたことを思うのであります。そしてイエス様は、私たち、貧しく低く飢餓状態にある者にも目を留め、降臨し引き上げ満たしてくださるのです。それがクリスマスという出来事です。
 バッハの「マニフィカト」から、このようなことを思い巡らしました。