前々回のブログでは、毎朝行っている「ロザリオの祈り」の中の「アヴェ・マリアの祈り」、特に最初の2行の言葉に焦点を当てて思い巡らしました。去る4月25日は「聖マリアへのみ告げの日」で、この2行を含む天使ガブリエルがマリアへ受胎告知をしたとされる祝日でした。
今回は合唱曲としての「アヴェ・マリア」、そして、「アヴェ・マリアの祈り」の3・4行の言葉について記したいと思います。
合唱曲「アヴェ・マリア」では、日本では三大アヴェ・マリアとして、グノー=バッハ、シューベルト、カッチーニのものが有名ですが、シューベルトとカッチーニのものは本来の「アヴェ・マリアの祈り」の歌詞ではありません。
最近、聖堂を練習で使用された群馬室内合唱団というアマチュアの合唱団があります。先日、3月12日に高崎芸術劇場で第11回定期演奏会があり、私も聞きに行きました。アカペラで「バードの4声のためのミサ曲」等を演奏され、とても丁寧で美しいハーモニーでした。
群馬室内合唱団は2019年12月に前橋聖マッテア教会でクリスマスチャリティーコンサートを行い、その映像がyoutubeにあります。その中の「アルカデルトのアヴェ・マリア」のURLを下に示します。ぜひご覧(お聞き)ください。(119) Ave Maria Arcadelt - YouTube
アルカデルトは、16世紀、盛期ルネサンスのフランドル楽派の作曲家です。「アルカデルトのアヴェ・マリア」と一般にいわれる作品は、アルカデルト作のシャンソン『男たちは恋を徳と見』をもとに、19世紀フランスの音楽家が改変をくわえて捏造したもののようです。ザ・ドリフターズの番組『8時だョ!全員集合』で、少年少女合唱隊オープニング曲として知られています。
ここで「アヴェ・マリアの祈り」のラテン語の原文(歌詞)と逐語訳を下に示します。
Ave Maria, gratia plena,
おめでとう マリア 恵みに満ちた方
Dominus tecum,
主はあなたとともにある
benedicta tu in mulieribus,
あなたは女性の中で祝福されている
et benedictus fructus ventris tui Jesus
そしておなかの中の子、イエスもまた祝福されている。
Sancta Maria mater Dei,
聖なるマリア 神の母
ora pro nobis peccatoribus,
私たち罪人のためにお祈りください
nunc, et in hora mortis nostrae.
今も、私たちの死のときも
Amen.
アーメン
かつての文語訳(天使祝詞)はこうでした。
めでたし、聖寵充満てるマリア、
主 御身と共にまします。
御身は女のうちにて祝せられ、
御胎内の御子イエズスも祝せられ給う。
天主の御母聖マリア、
罪人なるわれらのために、
今も臨終の時も祈り給え。
アーメン
現行の「アヴェ・マリアの祈り」はこうです。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、
主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、
ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、
わたしたち罪びとのために、
今も、死を迎える時も、お祈りください。
アーメン。
現行の「アヴェ・マリアの祈り」はラテン語原文にかなり忠実であると言えます。
既に述べたように、最初の2行は、天使ガブリエルのマリアへの受胎告知の挨拶の冒頭(ルカ1:28)であり、続く3・4行はエリサベトがマリアに向かって述べた挨拶の冒頭(ルカ1:42)から取られています。
今回は3・4行について思い巡らします。
天使ガブリエルの知らせを聞いたマリアは、親類エリサベトを訪問しました。マリアの報告を聞いたエリサベトはマリアに声高らかに伝えました。42節から45節です。
「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子様も祝福されています。私の主のお母様が私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び躍りました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」
ここでは、主の御言葉を信じることが推奨されています。そして、マリアは、エリサベトの声に応えるようにして、神をほめたたえる賛歌を歌いました。それが「マリアの賛歌」です。祈祷書から引用します。
1わたしの魂は主をあがめ∥わたしの霊は救い主である神を喜びたたえる
2神はこの貧しい女にも∥目を留められた
3今から後いつの世の人も∥わたしを幸いな女と呼ぶ
4力ある方が∥わたしに偉大なみ業をなさったから
5主のみ名は聖∥その憐れみは世々、主を敬い畏れる人に
6主はみ腕の力を振るい∥思い上がる者を打ち散らし
7権力を振るう者をその座から下ろし∥身分の低い人を引き上げ
8飢えた人を良い物で満たし∥富んでいる人をむなしく追い返される
9神は父祖アブラハムとその子孫に∥永遠に約束されたように
10憐れみを忘れず∥僕イスラエルを助けられた
栄光は∥父と子と聖霊に
初めのように、今も∥世々に限りなくアーメン
「マリアの賛歌」を私たちは「夕の礼拝」等で唱えています。「マリアの賛歌」は合唱曲ではバッハやモンテヴェルディの「マニフィカート」(Magnificat)して知られています。ラテン語詞文の第1語「マーグニフィカト」を以ってこのように呼ばれています。ラテン語の最初の部分はこうです。
Magnificat anima mea Dominum.
「マーグニフィカト」は、「崇める」という意味の動詞「マーグニフィコー」(Magnifico) の直説法現在能動相三人称単数形です。ここから英語のMagnification(拡大)が派生しました。マリアが「崇めた」ということは「拡大した」ということです。何を崇め拡大したかといえば「救い主である神」と言えます。ここにキリスト教信仰の大事な点が示されているように思います。それは「神様を大きな存在として拡大し、崇めること」ではないでしょうか?
神様を拡大すればするほど、結果として私たち人間は小さくされるのです。「謙遜の美徳」と言えるでしょう。
マリアは神ではありません。それは「神を拡大し崇めた」ことからも明らかです。神であるイエス様の母となった方ですが、ご自分はそれを誇ることはせず、謙遜なお方です。
私たちもこのマリアのように、「神様を大きな存在として拡大し、崇めること」ができるよう祈り求めたいと思います。