マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「レクチオ・ディヴィナ」に思う』

 前回のブログで「meditation」及びその語源であるラテン語の"meditatio"についても記しました。「meditatio(黙想)」で思い浮かぶ聖書の読み方があります。それが「レクチオ・ディヴィナ」です。今回は、レクチオ・ディヴィナ(lectio divina)について思い巡らしたいと思います。

 私はこの本、来住英俊神父の「目からウロコ 聖書の読み方 レクチオ・ディヴィナ入門」から多くの示唆を得ました。

 レクチオ・ディヴィナ(lectio divina)とは「聖なる読書」という意味で、古代から行われたきた最も基本的な祈りの手法です。
 レクチオ・ディヴィナでは4つのステップを歩みます。それは、レクチオ・メディタチオ・オラチオ・コンテンプラチオであり、読む・黙想・祈り・観想と訳されています。
 レクチオ・ディヴィナは「聖書を読むこと」=「祈ること」という独特の読み方であり、一言一句に重みをかけながら時間をかけてゆっくり読んでいくものであり、主に修道会で用いられてきた伝統的読書・黙想法です。 
 ラテン語でlectioとは「読むこと」という名詞、divinaは「聖なる」という形容詞であり、英語ではlecture, divineという言葉と派生関係にあります。
 古代の修道院では、聖書を読んでいる時間が、そのまま「祈り」でもありました。ラテン語という、通常は使わない普遍教会の共通語である言語で読むこともあり、正確に精読し、心を静めて集中するよう努力して時間を保つ必要がありました。

 およそ12世紀ごろから、レクチオ・ディヴィナにおける精神の働きを4つに分類するようになりました。
1.レクチオ(lectio)… 読む → み言葉に聞く
2.メディタチオ(meditatio)… 黙想 → 思いを巡らす
3.オラチオ(oratio) … 祈り → 神に語りかける
4.コンテンプラチオ(contemplatio)… 観想 → 神を見つめ、神の前にとどまる
 英語のlecture,lessonなどは1から来ています。meditationはこの2から来ており、口の、口頭のという意のoralは3から来ています。

 レクチオ・ディヴィナの読み方は、急いではなりません。速読とは全く反対の作法であり、ゆっくりと、単語一つ一つを噛み締めて味わうように、ひと言ずつ確かめて読むことを要します。
 言葉を読むというよりは、言葉を聴き、味わい、思い巡らし、得心し、悩み、疑問に問いを発し、納得し、黙想し、静かに感じるといった内省的作業、及びその状態そのものを「レクチオ・ディヴィナ」と言います。固定観念や先入観を捨て、混じり気のない心で、行ったり戻ったりしつつ、時に何度となく戻って読み直しながら進みます。無理はしない、止まっても良い、疲れたらそこで終えても良い。修道院生活者でさえ何時間もできるものではなく、惰性や苦行でやるものでもありません。「主の祈り」をもって終えることが望ましいとされています。

 今回は特に、3段階目のオラチオ(oratio)に焦点を当てて考えたいと思います。oratio(祈り)の動詞の命令形がoraであり、この言葉からは、ベネディクト修道院のモットーとして有名な「祈り、かつ働け」(ora et labora)を思い浮かべました。
 これは「オーラー・エト・ラボーラー」と発音します。ōrā は、「祈る」という意味の第1変化動詞ōrō,-āre の命令法・能動態・現在、2人称単数です。labōrā も、「働く」を意味する第1変化動詞labōrō,-āre の同じ形(命令法・能動態・現在、2人称単数)です。
 オーラーが「祈りなさい」、ラボーラーが「働きなさい」という意味ですが、綴りを見ると、labōrā の中に ōrā の文字が見つかります。つまり、「勤労の中に祈りがある」という考えが文字の上でも表現されているのです。ここに大きな真実があります。つまり、「働くという行為に祈りが含まれている」ということです。これは、マザー・テレサの精神にも共通するものと考えられます。マザーは「貧しい人に奉仕することが祈りなのだ」と言っています。
 「祈り、かつ働け」は先日、9月3日に洗礼堅信を受領したY兄が自身の洗礼名にベネディクトを選んで理由でもあります。「ora et labora(オーラー・エト・ラボーラー)」、この言葉を私たちも日々唱え、実践したいと願います。

 レクチオ(読む)・メディタチオ(黙想)・オラチオ(祈り)・コンテンプラチオ(観想)の4段階で聖書を読み、主の御心に近づきたいと思います。