マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

復活節第7主日(昇天後主日) 聖餐式 『すべての人の一致を祈るイエス様』

 本日は復活節第7主日(昇天後主日)です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、ヨハネの黙示録22:12-14、16-17、20とヨハネによる福音書17:20-26。イエス様がすべての人の一致を祈っていることを知り、私たちもこの祈りの心を私たちの心として、日々の信仰生活を歩み続けていけるよう祈り求めました。また、本日の使徒書にあるイエス様が「アルファでありオメガである。」であることについて、祭壇の左のパスカルキャンドルから語りました。

   すべての人の一致を祈るイエス

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 本日は復活節第第7主日(昇天後主日)です。今年は復活日が4月17日で、先週の木曜が40日目で昇天日、本日はその直後の主日です。そして来週の日曜日が聖霊降臨日となります。今日私たちは、昇天日と聖霊降臨日の間にいます。受付にあります小冊子「み国が来ますように(Thy Kingdom come)」という「祈りのしおり」では第4日目に当たります。後ほど代祷の最初にこの「み国が来ますように」の祈りを捧げますが、毎日この冊子を用いることで、主の御心を知り祈りの姿勢を整えることができますので、ぜひご活用下さい。

 本日の福音書箇所はヨハネによる福音書17:20-26です。告別説教(13:31-16:33)に続くヨハネ福音書17章は、「大祭司の祈り」と呼ばれています。イエス様は、神様と人との間に立ち、とりなしを願う大祭司のように、この世に残していく弟子たちのために祈っています。本日の福音書の中で、イエス様は、父なる神様とイエス様が一つであるように弟子たちも一つとなるように、そして、すべての人を父なる神様とイエス様の内にいるようにしてくださいと、父なる神様に祈っておられます。イエス様ご自身が弟子たち、さらには、私たちのために「とりなしの祈り」をしてくださっているのです。

 今日の福音書の最初の20節でイエス様は、「また、彼らについてだけでなく、彼らの言葉によって私を信じる人々についても、お願いします。」と祈られました。この「彼らについてだけでなく」の「彼ら」とは、目の前にいる、11人の直弟子たちのことです。「彼らの言葉によって私を信じる人々」とは、直弟子たちの言葉によって、イエス様のことを信じた人々、さらに、直弟子だけでなく、その後にイエス様を信じて語った人たちの言葉を聞いて信じたすべての人々のためにも願い、祈っておられます。そこには、今を生きる私たちも含まれています。

 そのイエス様が、父である神様にお願いされた内容は、今日の福音書の中で、2つの祈りとして記されています。その第一は、次のような祈りです。21節~23節です。
 「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らも私たちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたが私をお遣わしになったことを信じるようになります。あなたがくださった栄光を、私は彼らに与えました。私たちが一つであるように、彼らも一つになるためです。私が彼らの内におり、あなたが私の内におられるのは、彼らが完全に一つになるためです。こうして、あなたが私をお遣わしになったこと、また、私を愛されたように、彼らをも愛されたことを、世が知るようになります。」
 今、読みました祈りの中に、「一つになる」という言葉が、5回も出ています。さらに「内にいる」という言葉が、4回、記されています。
 「一つになる」という言葉は、ばらばらになって散らばっている状態から、その散らばったものを集めて一つにするとか、沢山あるものを、だんだん、まとめていって、やがて、一つにするという意味です。
 しかし、イエス様が願っておられる「一つになる」とは、「私たちが一つであるように」と、父である神様と、子であるイエス様との関係が「一つであるように」、ずっと、初めから今に至るまで、いや未来永劫にいたるまで、「一つであり続ける」そのような状態のことです。
 そして、このイエス様の言葉は、人々の間の一致は何よりも、人間の努力の結果というよりも、天からの賜物であることを示していると考えます。

 次の、イエス様が父である神様にお願いされた第二の祈りはこうです。24節~26節です。
「父よ、私に与えてくださった人々を、私のいる所に、共にいるようにしてください。天地創造の前から私を愛して、与えてくださった私の栄光を、彼らに見させてください。正しい父よ、世はあなたを知りませんが、私はあなたを知っており、この人々はあなたが私をお遣わしになったことを知っています。私は彼らに御名を知らせました。また、これからも知らせます。私を愛してくださったあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるようになるためです。」
 今、読みました祈りの中に、「知る」という言葉が、5回も出ています。ここでの「知る」には「知り続ける」という含みがあります。ヨハネ福音書が述べる「知る」とは知識ではなく、対象を受け入れるという姿勢があります。
 この祈りでは、父である神様がみ子であるイエス様を愛されたようにイエス様を信じた人々を愛されたこと。そして、この世の人々が、そのことを知ることができるように愛するみ子イエス様をこの世にお遣わしになったことを述べておられます。そのようなことを私たちが知り続け、受け入れることをイエス様は祈っておられます。
 ここでは、父である神様、子であるイエス様、そして、聖霊である神様が、それぞれの位格(ペルソナ)を持ちながら一つの神である、そのような三位一体の在り方を示しておられるのではないでしょうか? そして、神様とイエス様を結ぶ愛、イエス様と私たちを結ぶ愛、そして、神様と私たちを結ぶ愛、そのような関係が一つとなることを願い、祈っておられると考えます。
 私たちは、この地上の生涯で、もっと深く神様のことを知り、イエス様のことを知って、神様と一つになっていくならば、ここでイエス様が祈っておられることが成就されるように思います。

 そのように祈られるイエス様とはどのようなお方でしょうか? それは先ほど読んでいただいた本日の使徒書、ヨハネの黙示録22:13にこうあります。
「私はアルファでありオメガ、最初の者にして最後の者、初めであり終わりである。」 
 これはどういう意味でしょうか?
 皆さんから見て、祭壇の左にありますパスカルキャンドルをご覧ください。

 この復活ローソクに描かれた十字架に、アルファ(Α)とオメガ(Ω)が刻み込まれています。ギリシャ語アルファベットの最初の字がアルファ(Α)で、最後の字がオメガ(Ω)です。聖書では、アルファ(Α)とオメガ(Ω)は、万物の最初と最後を意味し、天地創造の前から存在し永遠の存在者である主イエス・キリストを指しています。
 本日は、オメガとしてのイエス様に注目したいと思います。万物を完成された方としてのイエス様。主が昇天して、神様の右の座に着いておられる。そのような姿こそが、私たち全人類の目標であって、それが私たちの向かっていくオメガ(最終地点)であり、そこにイエス様がおられるです。パスカルキャンドルはそのことを表しています。そこで、葬儀でも用いられます。

  神様は、私たちがそのようなイエス様に対してどうすることを求めておられるでしょうか? それは先ほど入堂の折に歌った聖歌393に示されています。3節にこうあります。
「わが主をわれらの メシアと信じて 一つに結ばれ 互いに親しめ
 心を通わせ 祈りを捧げて わが主のみ名をば あがめてたたえよ」
 主イエス様を私たちの救い主と信じて祈りを捧げ、イエス様の御名をあがめて称えることが求められているのであります。

「父よ、あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。」
「父よ、私に与えてくださった人々を、私のいる所に、共にいるようにしてください。」
 私たちはこれらのイエス様の祈りの心を、私たちの心として、日々の信仰生活を歩み続けていきたいと願います。そうできるよう祈り求めて参りたいと思います。