本日は昇天日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。
聖書箇所は、使徒言行録1:1-11、詩編110:1-5とマルコによる福音書16:9-15、19-20。説教では、イエス様の昇天の意味を知り、その恵みに感謝し、私たちが今も後も絶えずイエス様と共にいることができるよう祈り求めました。
イエス様の昇天の意味することについて、パスカルキャンドルの文字等も活用しました。
<説教>
父と子と聖霊の御名によって。アーメン
本日は昇天日です。復活日から40日目の日に当たります。昇天日は7つある主要祝日の一つです。昇天日以外の主要祝日は、復活日・聖霊降臨日・三位一体主日・降誕日(12/25)・顕現日(1/6)・諸聖徒日(11/1)であります。
先ほど読んでいただいた使徒言行録(1:3-11)によりますと、復活したイエス様は40日にわたって弟子たちに姿を現した後、天に上げられました。そこから、昇天日は復活日後40日目の復活節第6木曜日に祝われることになりました。多くのキリスト教国、フランスやドイツなどでは昇天日は法定休日となっています。
今日の福音書箇所は、ルカによる福音書またはマルコによる福音書で選べるのですが、今回はマルコによる福音書の方を取り上げたいと思います。この箇所は、どちらの福音書でも結びにあたります。
イエス様の昇天については、マルコによる福音書16:19に「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右に座られた。」とあることに注目したいと思います。弟子たちからすれば、使徒言行録9・10節にありますように、イエス様が天に昇られて、雲の中に入っていくのを眺めていたという、ぼんやりした感じになっています。しかし、イエス様からすれば、イエス様の本当の故郷はまさしく神様の右の座であり神様と共にあるということですから、イエス様はあるべき所に戻られたということです。人間であるイエス様の故郷はナザレですが、本当の故郷は神様のもとです。私たちもそれぞれにこの世の故郷はありますが、本当の故郷は神様のもとだということを思い起こしたいと思います。
このマルコによる福音書16:19でイエス様は天に上げられますが、さらに20節の後半では「主も弟子たちと共に働き、彼らの語る言葉にしるしを伴わせることによって、その言葉を確かなものとされた。」と語られ、主イエス様が遠くへ去っていったのではないこともはっきりと示されます。「天」とは時間・空間を超えた神様の領域です。ですからイエス様は目に見える姿、手で触れることのできる形ではいなくなりますが、目に見えない形で、弟子たちと共にいてくださるのです。これこそが復活の神秘であり、私たちへの福音(良い知らせ)であります。
イエス様の昇天については2つの意味があると考えられます。
一つは、19節の聖句のように、イエス様が天に昇り、神様の右の座に着いたということから人の子であるイエス様が神の栄光の状態に上げられ、御父のもとで最高の権威に参与されたことです。父なる神様と一つであることが示されたのです。また、イエス様が天に昇られたので、どんな国の人も神様のもとに私たちは共に歩むことができるようになりました。「天」からなら世界中の人にイエス様のメッセージを届けることができるのです。それは、神様の普遍的な愛、それを全ての人が受けられるようになった、ということです。
もう一つは、イエス様の昇天が私たちの昇天の原型であり、保証でもあるということです。本日の特祷に「わたしたちは独りのみ子イエス・キリストが天に昇られたことを信じます。どうかわたしたちも心と思いを天に昇らせ、絶えず主とともにおらせてください。」とありますように、私たちは、私たちに先駆けて天の栄光に入られたイエス様に倣って、いつかイエス様と共にいることができるという希望のうちにこの出来事を祝うのであります。
このことを示している聖歌があります。先ほどの入堂の折りに歌いました聖歌 第498番「主われを愛す」の3番です。こうあります。
『みくにの門(かど)を ひらきてわれを 招きたまえリ いさみて昇(のぼ)らん
わが主イエス わが主イエス わが主イエス われを愛す 』
天に昇られたイエス様は、天の御国の門を開いて私たちを招いてくださいます。私たちも喜び勇んで昇っていきましょう、という意味です。私たちが天の御国に招かれるのはイエス様の昇天のお陰なのです。このことについては、後ほど聖別祷の特別叙唱として祈る中で簡潔に示されています。祈祷書の194ページですがこうあります。
「み子は尊いよみがえりの後、明らかに使徒たちに現れ、わたしたちのために住まいを備えるため、その目の前で天に昇られました。これは、わたしたちを主のおられる所に昇らせ、ともに天の栄光の座に着かせてくださるためです」
イエス様の昇天は私たちを天の御国に迎えるための準備のためであり、イエス様は私たちを天に昇らせ、共に天の栄光の座に着かせてくださるのです。このことを記念するのが本日の昇天日なのです。
皆さんから見て、祭壇の左にありますパスカルキャンドルをご覧ください。
この復活ローソクに描かれた十字架に、アルファ(Α)とオメガ(Ω)が刻み込まれています。ギリシャ語アルファベットの最初の字がアルファ(Α)で、最後の字がオメガ(Ω)です。聖書では、アルファ(Α)とオメガ(Ω)は、万物の最初と最後を意味し、永遠の存在者である神様と主イエス・キリストを指しています。
本日の昇天日では、オメガであるイエス様に注目したいと思います。万物を完成された方としてのイエス様。主が昇天して、神様の右の座に着いておられる。そのような姿こそが、私たちの目標であって、それが私たちの向かっていくオメガ(最終地点)であり、そこにイエス様がおられるです。パスカルキャンドルはそのことを表しています。そこで、葬儀でも用いられます。
さらに、「復活→昇天→聖霊降臨」を時間的な流れの中で起きた出来事としてとらえたいと思います。「復活」は、イエス様が死に打ち勝ち今も生きているという面を表します。「昇天」は、イエス様が神様のもとに行き、そこで神様と共に永遠の命を生きる方となったという面を表します。そして「聖霊降臨」は、イエス様が聖霊を送り、目に見えないけれども私たちのうちに今も働いておられることを表していると言えます。特に、「昇天」から「聖霊降臨」については、今日からの11日間を、神様とイエス様の恵みを覚え、管区から送られてきた小冊子「み国が来ますように(Thy Kingdom come)」という「祈りのしおり」を毎日使用することで、この意味も実感することができると考えます。この「祈りのしおり」は昨年から主教会が黙想文を作成し、日本社会に即した内容となっています。ぜひ今日からの毎日、この小冊子を活用してほしいと思います。
なお、この運動は、祈りを通してイエス様との交わりを深め、主を証し、他の人をイエス様のもとに導くことを目的としています。それは本日のマルコによる福音書16章で、復活したイエス様が、天に昇る前に弟子たちに語った15節のみ言葉「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」に基づくものと考えます。ぜひ、皆さんの周りでイエス様のもとに導きたい5人の方の名前をご自分のしおりに書いて祈っていただきたいと思います。私も福音を宣べ伝えたい5名の名前を記しました。
イエス様の復活の後、教会は昇天を祝い、さらに聖霊降臨、三位一体と祝っていきます。イエス様が父のみもとに帰ることによって聖霊を遣わされる、実にイエス様の昇天は天と地を結びあわせるものでもあります。そして、イエス様は、天の御国の門を開いて私たちを招いて下さるのです。私たちの生きる命は、空しく消えていくものではなくて、復活と、復活の先にある、神様のもとに私たちも向かっているのです。
そして、最後にもう一度確認しますが、私たちの本当の故郷は、イエス様と同じように、この地上にあるのではありません。私たちは神様のもとから来て神様のもとに帰っていく存在であるということをイエス様の昇天と共に、もう一度思い起こしたいと思います。私たちの故郷はやはり天の国、神の国です。私たちは神様が統治・支配するところから来て、そこに帰っていく存在なのです。何か天の国とか神の国と言うと、現実味が感じられないところがあるかもしれませんが、それこそ本当の故郷であるということを、イエス様の昇天が語っているのです。私たちの本当の故郷は神様のもとにあって、そこではイエス様が神様の右の座に着いておられ、そこに私たちは帰っていくのであります。
皆さん、イエス様の昇天の出来事は、神様の普遍的な愛と私たちが天においてイエス様と共にいることができるという福音を伝えています。私たちはその恵みに感謝し、今も後も絶えずイエス様と共にいることができるよう祈り求めて参りたいと思います。
父と子と聖霊の御名によって。アーメン