マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「シャルル・ド・フーコーの祈り」に思う』

 前々回のブログでヘンリー・ナウエン「最後の日記」について触れました。この作品はナウエン最晩年の著作で、彼の思想の集大成とも言えると思います。1995年9月、63歳の時にナウエンはサバティカル・イヤー(特別研修休暇)入り、その間のことを日記として記録することを心がけましたが、その最初の日(9月2日)に自身の思いを託して、「シャルル・ド・フーコーの祈り」を記しています。このような祈りです。

父よ、わたしはあなたの手にわたしを委ねます。
わたしを、どうにでもあなたの望むままになさってください。
あなたが何をされても、わたしは感謝します。
わたしには覚悟ができています。わたしはすべてを受け入れます。
わたしのなかに、またすべての被造物のなかに、あなたが望まれることだけを、実現してください。

あなたの手にわたしのたましいを託します。
わたしの心のなかにある愛をすべてこめて、わたしのたましいをささげます。
あなたを愛しているからです。主よ、わたしを受け取ってほしいのです。
わたしは、あなたの手に、自分を残らず、引き渡したいのです。
限りなくあなたを信頼しています。
あなたは、わたしの父、私の神です。アーメン

 ナウエンは日記でこの祈りの前にこう記しています。
「この1年をシャルル・ド・フーコーの祈りをとなえて、始めよう。この祈りをとなえるとき、いつも心が震える。」

 シャルル・ド・フーコーについては、シックス神父のこの本「シャルル・ド・フーコー(原題は「シャルル・ド・フーコーの霊的遍歴」)」(聖母文庫)にくわしく記されています。

 シャルル・ド・フーコー(1858年-1916年)は、フランスのカトリック教会の神父で、探検家、地理学者です。
 1877年にサン・シール陸軍士官学校を卒業後、フランス領アルジェリアに渡り、その後はモロッコに入国して調査を始めました。帰国後、彼はパリのサントギュスタン教会に配属され、1890年に厳律シトー会に入会し、シリアやナザレに向かった。トゥアレグ族と共に行動し、彼らの文化を調査しました。1916年にタマンラセット近郊で暗殺されました。シャルル・ド・フーコーは2005年に教皇ベネディクト16世によって列福され、2022年に教皇フランシスコによって列聖されました。
 シャルル・ド・フーコーは、アルジェリアサハラ砂漠にあるオアシスで、1901年に「イエスの小さい兄弟会」という修道会を始めました。その趣旨は「一人残らず、どんな人とも、真の兄弟になりたい。それはイエスの兄弟になることと同じ」ということで、人々と労働を共にし、イエスのように、イエスと共に、小さく、「使われる側」として働き、祈りました。

  前述の「シャルル・ド・フーコーの祈り」では、彼は父なる神にすべてを委ね、主のみ旨がなされるよう祈っています。また、主を愛し己の魂を捧げています。ナウエンはサバティカルが始まるに当たって、「御心のままに」と思いを新たにして祈ったのでした。
 私は来年の3月で定年を迎えます。その後の道は分かりませんが、どのような場合もこの「シャルル・ド・フーコーの祈り」のように、すべてを主に委ね、主のみ旨がなされるよう自己を捧げたいと願います。