マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『若松英輔「君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた」に思う』

9月17日(火)から20日(金)まで聖公会神学院の説教セミナーに参加していました。2日目くらいから咳が出ていて、3日目には薬局で咳止めを買ってなんとかしのいでいました。金曜に家に戻り少しだるかったのですが、土曜の朝熱を測ったら38度あり、念のため発熱外来を受診したらコロナの陽性が出てしまいました。その後熱は8度5分まで上がりましたが、幸い高価ですが良い薬を処方してもらい、翌日には6度台まで熱が下がりました。
 昨年のお盆の頃にもコロナに罹り、その時は40度を超え39度前後が3日間続きましたが、今回は軽く済みました。咳がまだ少し出ています。
 昨年のコロナの時には40度を越した夜は10歳の時に死別した実母が現れ、翌日の39度前後の時に亡くなった父や養母や兄などが現れましたが、今回は薬が良く効き熟睡し、そのようなことはありませんでした。
 夜中に目が覚め眠れないときがありました。そんな時、以前読んで途中までだった若松英輔の「君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた」をはじめから読み直しました。

 若松英輔については、私は内村鑑三遠藤周作「深い河」についての評論等で親しんでいて、最近ではNHKEテレの「100分で名著~新約聖書」の解説が分かりやすかったので信徒の方々にお勧めをしました。

 若松英輔「君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた」は特定の方への手紙の形式で書かれた彼の心情のあふれる文章が詩のように綴られています。それは、11年の闘病生活を経て妻を喪った彼が到達した一つの真理だと私は思います。
 彼は東日本大震災で大切な人を喪った10代の若者にはこう書いています。
「君たちは、深い悲しみを経験した。~悲しいと思うとき君たちは、見えない形で深く世界とつながっている。次に引く詩は君たちの声でもあるんじゃないだろうか。ぼくも、こんな夜をいくつも過ごした。
  暗やみの中で一人枕をぬらす夜は
  息をひそめて
  私をよぶ無数の声に耳をすまそう
  地の果てから 空の彼方から
  遠い過去から ほのかな未来から
  夜の闇にこだまする無言のさけび
  あれはみんなお前の仲間達
  暗やみを一人さまよう者達の声
  沈黙に一人耐える者達の声
  声も出さずに涙する者達の声
 夜一人、悲しくてさびしくて、枕がぬれるほどに涙が出る。そんなとき、作者は、息をひそめて、耳をすます。すると、どこからか無音の「声」が聞こえてくる。・・・」(p.47-48)
 若松英輔が引用したのは、ブッシュ孝子という1973年に28歳で亡くなった女性の詩です。彼女はドイツ人の夫と結婚してブッシュという姓になった2年半後に永眠しています。彼女は自分が乳がんであることが分かってから詩を書き始めました。若松英輔はこう言います。
「彼女は、詩人を志していたんじゃない。でも、試練が彼女を詩人にした。その言葉は、四十年後のぼくらの魂をも照らす光になっている。」(p.49)
「悲しみを生きることはむしろ、人生という大地を深く掘ることに似ている。悲しみは、いつか「愛(かな)しみ」にかわる。その深みで、ぼくらは亡き人たちと再び出会うのではないだろうか。」(p.50)。

 別の試練の中にある方への手紙では、こう言っています。
「亡くなった人がそばにいてくれる、まるで風が吹くような感じで死者の訪れに気がつくことがある。でも、死者はむしろ、空気のように存在しているのかもしれないんだ。
 風と空気は違う。風は吹かないときも、空気は存在している。
 日ごろ、ぼくらはあまり空気があることに注意を向けない。でも、空気がぼくらを生かしている、死者は空気のように存在していて、ぼくらを生かし、助けてくれている、そう強く感じられる。」(p.61)。
 これには私には実感があります。10歳で死別した実母は、いつもそばにいてくれているような感覚がありました。そして人生の大事な時・大変な時、例えば大学入試、教員採用、特別支援教育に移った時、聖職への道を悩んだ時等々、亡くなった母がいつも共にいて良い方向に導いてくれたように思うのです。昨年のお盆の頃、コロナに罹り熱が出て一番苦しかった時も現れました。
 死は永訣ではないと、真実思います。それは先日ご主人が帰天されたSさんもそうであると確信します。
 コロナに罹り伏せって読んだ、若松英輔「君の悲しみが美しいから僕は手紙を書いた」から、このようなことを思い巡らしました。