本日は降誕後第2主日ですが、顕現日として執り行い、前橋の教会で聖餐式を捧げました。
聖書箇所は、イザヤ書 60:1-6・9、詩編72:1-7・10-14、エフェソの信徒への手紙3:1-12及びマタイによる福音書2:1-12。説教では、イエス様が「イエス(主は救い)」と命名されたことの意味を考え、3人の博士たちがイエス様を礼拝した意味やイエス様がすべての人々に救いをもたらすためにこの世に送られたことを理解し、主イエス・キリストを礼拝し主が必要とされるものを献げた東方の博士たちの信仰に倣うよう祈り求めました。
本日のテーマと関係する「アパ・ルーム(日々の黙想の手引き書)の紹介、およびその2025年1・2月号の表紙の絵を活用しました。
本日の説教原稿を下に示します。
<説教>
主よ、わたしの岩、わたしの贖い主、わたしの言葉と思いがみ心にかないますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン
2025年になって初めてお会いした方もおられますので、新年の挨拶をしたいと思います。明けましておめでとうございます。
今年、最初の主日礼拝を守っています。新しい年も、皆さんに主にある平安と祝福が豊かにありますようお祈りいたします。
教会暦では本日は降誕後第2主日で、明日が顕現日(エピファニー)です。この日には聖餐式がありませんので、今日は顕現日のインテンション(意図・意向)で礼拝を行うこととします。
顕現日(カトリックや日本キリスト教団では公現日)は1月6日で、その日までがクリスマスシーズンで、その日まではクリスマスの飾りを飾ります。
顕現日とは、異邦人である博士たちがイエス様と出会ったことから、救い主がユダヤ人だけでなく、異邦人にも現れてくださったことを記念する日です。「顕現」という言葉は、神様がはっきりとした形をとって現れることを意味します。ユダヤ教では救いの対象はユダヤ人だけであると信じられていました。しかし救い主であり、神の独り子であるイエス・キリストは、公に異邦人にも現れたのです。このことを感謝し、記念するのが顕現日・公現日です。
本日の福音書は、マタイによる福音書2:1~12で、東方の博士たちが生まれたばかりのイエス様のもとを訪れ、礼拝する箇所です。
この箇所はクリスマス物語のクライマックスに当たり、多くの幼稚園や日曜学校の聖劇やページェントでも馴染みのある場面です。マッテア教会でも日曜学校でイブの礼拝の中でページェントをした時、この3人の博士はいつも一番人気で、なり手が多くじゃんけんで決めていたことを思い出します。ちなみに、マリアとヨセフは余り人気がなく、いつもお願いしてなってもらいました。マッテア教会の日曜学校がなくなって10年近くなってしまい、これも懐かしい思い出です。
3人の博士について、本日の聖書日課(聖書協会共同訳)では「博士」とありますが、新共同訳聖書では「占星術の学者」でした。しかし、その前の口語訳では「博士」でしたので、以前の訳に戻った形です。原文のギリシャ語はマゴス、英語ではMagi、これはMagic(魔術)の語源になった言葉です。博士、占星術の学者、どちらにも訳せる言葉です。聖書に博士たちの人数は記されていませんが、イエス様への贈り物が3つだったので一般に「東方の三博士」と呼ばれています。
本日の箇所で何度も出てくる言葉が2つあります。それは「星」と「拝む(新改訳では「礼拝する」)」です。「星」と「礼拝する」がこの箇所のキーワードです。東方の三博士たちは、「星」に導かれ、イエス様を「礼拝した」のです。「星」とは天の光、つまり神の意志と言えます。博士たちは神様の意志に従い、救い主であるイエス様に出会い礼拝したのです。
東方の三博士たちは何のためにユダヤの国までやって来たのでしょうか? 彼らの国(おそらくペルシア)からユダヤまでは数百キロも離れています。彼らはその遠路を、駱駝に乗ってやって来たのです。ものすごい長旅です。何のためにそんなことをしたのでしょうか? 将来、交易関係を結んで利益を得るために顔を出しておいた方がよいと思ったのでしょうか? そうではありません。彼らは預言の成就として神に立てられた「ユダヤ人の王」「メシア」を「拝む」、ただそのために、はるばるやって来たのです。そして、彼らは幼子イエス様にひれ伏し、自分たちが持っている大切な財産である黄金、乳香、没薬を献げて帰っていきました。ここに礼拝の原型があります。礼拝のことを英語でworship service と言われる由縁です。
博士たちは自分たちを導いてきた星が、イエス様のおられる所で止まった時に、「喜びに溢れた」とあります(10節)。ここを原文から直訳すると「ものすごく大きな喜びを喜んだ」となります。この「大きな喜び」という言葉は、天使が羊飼いにイエス様の誕生を知らせる時にも出てくる言葉です。イブの夕の礼拝で朗読された聖書箇所ですが、こうあります。ルカによる福音書2:10〜11です。
「恐れるな。私は、すべての民に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町に、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」
羊飼いたちも、三博士たち同様に喜びに溢れてイエス様を礼拝しました。家畜が餌を食べる飼い葉桶に寝かされているイエス様を、「救い主」「主メシア」として礼拝したのです。東方の三博士たちが異邦人の代表であるとするなら、羊飼いたちはユダヤ人の中の罪人の代表です。神様はそういう人々にまず、クリスマスの大きな喜びをお与えになったのです。
なぜ、博士たちはこの3つの贈り物をイエス様にお献げしたのでしょうか?
いろいろに解釈されますが、その一つを紹介します。黄金は、イエス様が王様であるということを、乳香は神への祈りにささげられる香りでイエス様が神様であるということを、没薬は死体の防腐剤や痛み止めの薬として使われますが、これはイエス様が人々を救うために苦しまなければならないということを意味していると考えられます。彼らの商売道具だとも言われていますが、どれも高価で貴重なものでした。そして、イエス様はこの後、ヘロデ大王から逃れてエジプトに向かいます。そこにヘロデが死ぬまで滞在しますが、そのためには生きるために黄金や髙く売れる乳香は必要であったでしょうし、病気やけがをしたときに没薬も役に立ったと考えられます。神様は東方の三博士を通して、その時のイエス様とその家族に必要なものを与えになったのだと考えます。
今日の聖書箇所で、神様は私たちに何を伝えているのでしょうか?
占星術の学者である3人の博士たちは夜、天を見上げ、いろいろ思い巡らし、その星に導かれて、行動し、救い主であるイエス様に出会うことができました。私たちはいつも忙しく生活に追われていますが、夜、静まった時には天を見上げて思い巡らす、つまり「黙想」することが大切だと、神様は伝えているのではないでしょうか?
また、3人の博士たちは東の国の人で、ユダヤ人ではありませんでした。つまり異邦人、ユダヤ人にとっては外国の人です。その人たちが星に導かれてイエス様を礼拝し、自分の持っている大切なものを献げたのです。そして、イエス様に出会った3人は今度は別の道で帰りました。これはつまり、これまでのこの世の富を求める生き方を捨てて、イエス様が示す新たな方向に歩み始めることを示していると考えられます。
さらに言えば、私たちも黄金、乳香、没薬を献げるよう求められているように思います。黄金は自分の持っている一番尊いもの、価値あるものです。乳香はお祈りに使うものですから、祈りを神様に献げることを意味します。没薬は死者の葬りのために使うものですから苦しみの象徴で、日々の苦しみを神様に献げることです。持っている一番尊いものと祈りと苦しみを神様に献げること、これこそ、私たちがなすべき神様への贈り物ではないでしょうか? 神であるイエス様が御自身を捧げてくださったのですから、私たちも自分のできる最大限の捧げ物をするように求められていると考えます。先ほど福音書前に歌った聖歌111の3節に「みつの宝を み子のみ前に おしまずささげ そなえしごとく わがものみな(一切)を 今こそささぐ」とあるとおりです。
皆さん、この小冊子をご覧下さい。これは「アパ・ルーム」という日々の黙想の手引き書です。毎日、1ページずつ読み祈るものです。1ページごとにその日の聖書のみ言葉と黙想文と祈りの言葉が入っています。私はもう30年近く、このDevotional book(信仰書)を毎日読んでいます。
2025年1・2月号の表紙の絵をご覧ください。
左上の星に導かれて3人の博士たちが贈り物を持って旅をしています。この3人の年齢層はどうでしょうか?・・・青年・壮年・老年ですね。どこの世界の人でしょうか?・・・アジア(中近東)・アフリカ・ヨーロッパの人のようです。つまりこの3人はそれぞれの年代や人種を代表していると考えられます。神様の福音はすべての人に向けられているのです。そして、恵みを受けた私たちは、今度は自分の大切なものを神様に献げるのです。
イエス様誕生の知らせは、まず羊飼いたちという貧しい人たちへ伝えられました。そして、外国人である3人の博士が星に導かれてイエス様を礼拝しました。神様の愛は、全世界のすべての人々へ向けられています。イエス様はユダヤ人だけでなく、すべての人々に救いをもたらすためにこの世にお生まれになったのです。そして、イエス様に出会った人たちは生き方が変わり、イエス様が示す新たな道を歩むようになります。その始まりや原動力は天使や星の導きに従うことです。このようなことを、神様は私たちに伝えたかったのではないでしょうか?
私たちも、神の意志である星に導かれて救い主を求めて旅するこの博士たちのようです。私たちは人生のある時、神の導きにより神様の独り子である救い主イエス・キリストに出会い、大きな喜びに満ち、主に従う者となりました。私たちはこの博士たちのように、天を見上げ思い巡らし、その導きに従い、主キリストを礼拝し、祈りや苦しみも含めて自分の持てるものを主に献げたいと願います。日々、黙想し、イエス様にとって必要なもの、つまり、世界や日本、そして私たちの近くにいるイエス様である隣人にとって必要なもの、ニーズのあるものを献げて参りたいと思います。そして、それこそが、この東方の三博士たちが示した信仰と言えます。
これからの1年、東方の三博士の信仰に倣い、クリスマスの本来の意味であるキリストを礼拝(Christ-mas)し、このような生き方をさせていただけるよう主イエス・キリストによって祈り求めたいと思います。
最後にお祈りいたします。
天の父なる神様、あなたの独り子であるイエス様をこの世にお送りくださり、ありがとうございます。イエス様はユダヤ人だけでなく、私たちを含むすべての人々に救いをもたらすためにこの世にお生まれになったことを感謝します。
遠い東の国からやってきた3人の博士たちは、星の導きに従い救い主である幼子のイエス様を礼拝し、贈り物を献げました。その後は、別の道で帰って行きました。私たちもこの博士のように、人生のあるとき、イエス様に出会い、新たな方向に歩み始めました。私たちはこの博士たちの信仰に倣い、日々黙想し、主キリストを礼拝すると共に、祈りや苦しみも含めて自分の持てる大切なものを主に献げたいと願います。主よ、私たちが世界や日本、そして、私たちの近くにいるイエス様である隣人に、必要なものを献げることができるよう、お導きください。
この感謝と祈りを、私たちの主イエス・キリストによってみ前にお捧げいたします。アーメン