マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

降誕日 聖餐式 『羊飼いたちの礼拝』

 本日は降誕日(クリスマス)です。新町の教会で聖餐式を捧げました。
 聖書箇所は、イザヤ書52:7-10とルカによる福音書1:18-25。クリスマスとはキリスト礼拝であること、また、救い主の降臨を最初に告げられたのが罪人とされた羊飼いであることを知り、この羊飼いたちのように神の大きな愛に応えて、主を崇め賛美して日々を過ごすよう祈り求めました。前橋の教会のステンドグラス「降誕」の画像についても言及しました。

   羊飼いたちの礼拝

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 主の御降誕、おめでとうございます。本日は降誕日(クリスマス)です。教会の暦では降誕節の最初の主日です。降誕節は降誕日(12月25日)から顕現日(1月6日)までのシーズン(期節)を指しています。
 クリスマスは、Christ-masであり、これは、キリストのミサ、キリスト礼拝ということです。私たちは礼拝によってキリストと結ばれ霊的な生命に預かることができるのですから、感謝なことであります。

 本日の福音書箇所はルカによる福音書の2章1節から20節までです。最初のところに、皇帝アウグストゥスが出てきます。アウグストゥスローマ帝国の初代皇帝です。絶大な権力を持ち「全世界の救済者」と崇められ、武力・権力を背景に「ローマの平和」とか「アウグストゥスの平和」と呼ばれるものを築きあげた当時の世界の支配者です。それに対して、イエス様は、彼の治世下のユダヤベツレヘムで貧しい環境のもとで生まれました。両者を対照的に提示することで、この福音書を記したルカは真の平和の確立者としての救い主の本質を示そうとしたのではないかと考えられます。なお、ナザレからベツレヘムまでは直線距離で約130㎞、徒歩で4日ほどかかる距離です。その長い距離を身重のマリアはロバに乗って移動したと考えられます。
 イエス様がお生まれになったのはどこでしたでしょうか? クリスマス物語では馬小屋(家畜小屋)で生まれたことになっていますが、聖書にはそのようなことは記されていません。
 どうしてそこで生まれたと考えられたのでしょうか? 「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」とあり、生まれたばかりの子を「飼い葉桶に寝かせた」という記述から、その生まれた場所は馬小屋(家畜小屋)であると推察され、それがいつの間にか定着してしまったのだと考えられます。なお、イエス様の誕生については洞窟で生まれたという伝承がありまして、絵画等にも描かれています。あるいは洞窟の家畜小屋なのかもしれません。
 前橋の教会のステンドグラスではこのように描かれています。

 馬や牛に囲まれてマリアがイエス様を抱き、ヨセフが手を合わせています。

  さて、イエス様誕生の知らせを最初に聴いたのはどんな人だったでしょうか?(少し待つ) それは羊飼いたちでした。
 羊飼いとはどのような人たちだったでしょうか? 今日スポットを当てたいのはこの「羊飼いたち」です。
 当時の羊飼いの身分や生活がどんなものであったかは、今日の福音書からも想像できます。ルカの福音書2:8にこうあります。
「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。」と。
 当時の羊飼いは、自分の羊を飼っていたわけではありませんでした。羊のオーナーは別にいるのです。彼らは日雇い労働者であり、いつ首になってもおかしくない人々でした。そして、その仕事は過酷を極めました。昼は、照りつける太陽の光を避けることはできず、夜は夜で、しんしんと冷える冷気に身をさらしていなければなりません。そして、羊を襲う野獣をその杖や鞭(むち)、また石ころで追い払わねばならなかったし、羊泥棒もいたので、全員が眠るわけにはいかず、夜通し交代で番をしなければならなかったのです。彼らは家も財産もなく、多分、家族もなく暮らす落ちぶれた人々です。だから、住民登録をする必要もありません。つまり、住民の数に数えられてはいない、アウトカーストカースト外の人たちだったのです。ヨセフと許嫁のマリアは住民登録のため本籍地に移動を余儀なくされましたが、羊飼いたちはそれをする必要がなかったのです。羊飼いたちは、ローマ帝国アウグストゥスから見れば、数えるべき人間でもないのです。そして、ユダヤ人社会の中では、律法に定められた習慣を守ることもできない汚れた罪人であり、周りの人からはとても低く見られていました。ます。つまり、神にも人にも見捨てられた人々ということです。
 しかし、羊飼いたちは、神様が救い主を送ってくださるということを信じ待ち続けていました。救い主であるイエス様誕生の知らせを真っ先に受けたのはこの人たちだったのです。天使が近づき、彼らにこう言っています。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」と。さらにこの天使に天の大軍が加わり、神を賛美して「いと高き所には栄光、神にあれ 地には平和、御心に適う人にあれ。」と。このシーンが今日の礼拝の陪餐後に歌う聖歌第91番「荒野の果てに」の情景です。

 私たちのため、また、最も低く神にも人にも見捨てられた人々のために救い主はこの世界に来られたのです。この時の羊飼いたちの思いを想像してみます。「どうせ自分たちは神様にも人にも見捨てられた半端者だ」と人生に対して投げやりになっていたかもしれません。しかし、天使は羊飼いたちに「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」と告げ、羊飼いたちがダビデの町(ベツレヘム)に行ってみると天使が言うとおりだったのです。羊飼いたちはこのように思ったのではないでしょうか?
「神様は私たちを見捨ててはおかれなかった。神様は私たちに目を掛けてくださっている。私たちは生きるに値する存在なのだ」と。
  
 ところで、イエス様は神の独り子ですから、神様は立派なお城や設備の整った場所や家で産まれさせることもできたでしょうに、どうしてイエス様を洞窟の馬小屋で生まれさせたのでしょうか?
 イエス様が王の宮殿や、偉い人の家、金持ちの住まいなどにお生まれになっていたら、貧しい羊飼いたちはイエス様に会うどころか、そばに近寄ることもできなかったでしょう。でも、生まれたばかりの赤ちゃんのイエス様は、だれもが訪れることのできる馬小屋の飼い葉桶の中で眠っておられます。それは、イエス様は、すべての人のため、特に周りの人から低く見られ、貧しくされた人たちのためにこの世に来られたことを神様がお示しになったからだと思います。
 そして私はこうも思います。羊飼いたちは洞窟の馬小屋で何もないイエス様たちをご覧になり、あまりにみすぼらしかったから自分たちの持っている物、食料や毛布などをお捧げし、分かち合ったのではないだろうかと。もしかしたら一緒に何かを食べ、薪があれば燃やし一緒に暖めあったかもしれないと。そして、羊飼いたちは「貧しく低く見られている自分たちが神様の独り子のお役に立った」という喜びを感じたのではないかと。
 前橋のステンドグラスの右下にふたの開いた箱が描かれていますが、それは羊飼いたちや3人の博士が差し上げた物が入っているのではないかと私は思うのです。

 皆さん、神様は貧しく小さくされた人々に温かいまなざしを向けられているのです。クリスマスの時に、このことに思いをはせたいと思います。そして、イエス様の誕生を目撃した羊飼いたちは「神を崇め、賛美しながら帰って行った」ことにも注目したいと思います。神様から特別に目をかけられた貧しい羊飼いたちは、イエス様こそ罪の暗闇から救って下さる方であることを周りの人々に伝えたのでした。
 私たちも心に暗闇を抱える貧しい者です。その私たちに神様は温かなまなざしを向けておられます。そして光としてイエス様をこの世に派遣されました。それこそAmazing Grace(驚くべき恵み)です。そのことを覚え、神様の大きな愛に応えて、主を崇め賛美して日々を過ごしたいと思います。

 最後に、お祈りいたします。
「父なる神様、降誕日(クリスマス)の聖餐式に私たちをお招きくださりありがとうございます。この日にあなたの独り子である主イエス様を生まれさせてくださり、感謝いたします。
 あなたは、救い主であるイエス様誕生の喜びの知らせを周りの人から低く見られていた羊飼いたちに最初に伝えられました。また、あなたはイエス様を王の宮殿や金持ちの豪華なベッドではなく、みすぼらしい馬小屋の飼い葉桶の中に産まれさせました。それはイエス様が、すべての人、特に貧しく小さくされた人たちのためにこの世に来られたことを示すためでした。私たちも心に暗闇を抱える貧しい者です。その私たちのために、あなたは光としてイエス様を派遣されました。それは驚くべき恵みです。そのことに深く感謝いたします。
 主よ、私たちが日々の生活の中でイエス様から愛され、温かいまなざしを向けられていることを実感できますように。また、あの羊飼いたちのように、主を崇めて日々を過ごすことができますよう、お祈りいたします。
 また、本日、様々な事情で聖餐式に集うことができなかった方々にもあなたが祝福してくださいますように。そして、新町聖マルコ教会に連なるすべての方々にあなたが目を留め、恵みをお与えくださいますようにお祈りいたします。
  この感謝と祈りを主イエス・キリストによって御前にお捧げいたします。アーメン」