マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

顕現後第1主日・主イエス洗礼の日 聖餐式「イエス様の洗礼・私たちの洗礼」

 本日は顕現後第1主日・主イエス洗礼の日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。聖書箇所は、創世記1:1-5、詩編29、使徒言行録 19:1-7、マルコによる福音書  1:4-11。  
 説教では、キリストの洗礼の場面から、イエス様が洗礼を受けた意味及び私たちが洗礼を受ける意味を知るとともに、洗礼時の「キリストを主と信じて従い、生涯その模範にならう」という約束を日々の生活の中で現していくよう祈り求めました。
 本日の福音書箇所である前橋の聖堂のステンドグラス「イエスの洗礼」の絵を紹介しました。
 説教原稿を下に示します。

<説教>
父と子と聖霊の御名によって。アーメン
 
 1月1日の主イエス命名の日の礼拝の後、午後4時過ぎに石川県能登半島で大きな地震が起きました。津波も起き、一刻も早く「高台に逃げて」というテレビのアナウンサーの呼びかけが続きました。翌2日には羽田空港海上保安庁の航空機とJALエアバスとの衝突事故がありました。新しい年がこのように始まりました。先ほど特祷の後に「能登半島地震のための祈り」を捧げましたが、主のみ守りと必要な支援が速やかに与えられるよう祈りたいと思います。

 さて、本日は顕現後第1主日、顕現日の後の最初の主日であり、主イエス洗礼の日という祝日であります。
 顕現日とは、異邦人である東方の博士たちがイエス様と出会ったことから、救い主がユダヤ人だけでなく、異邦人にも現れたことを記念する日で、1月6日です。カトリックや一部のプロテスタント教会では公現日と言います。英語では、Epiphanyです。本日はその顕現日後の最初の主日です。
  なお、本日の福音書の箇所では、イエス様は、ヨルダン川で洗礼を受けられたときに、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と神様によって宣言され、神の子として世界に現れました。つまり顕現されました。ですからイエス様の洗礼と顕現は同じ意味を持つのであります。
 
 イエス様が洗礼を受けたのはなぜでしょうか? また、イエス様の洗礼と私たちとの関係、さらに私たちが洗礼を受ける意味は何でしょうか? 今日はこのようなことを思い巡らしたいと思います。

 本日の福音書箇所はマルコによる福音書1:4-11です。4-8節は、降臨節第2主日でも読まれましたので、今回は主に後半の9-11節について考えたいと思います。
 イエス様は、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられました。そして、水から上がっているとき、天が裂け、霊が鳩のように下り、その時、「これは私の愛する子、私の心に適う者」という声が、天から聞こえた、というところです。

 ヨハネの洗礼は「罪の赦しを得させるための」洗礼でしたが、そうならば、罪のないイエス様がなぜ、ヨハネから洗礼を受けたのでしょうか? 
 イエス様の洗礼の前にマルコ1:5に「ユダヤの全地方とエルサレムの全住民は、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた」とありますように、ヨハネの洗礼が住民に広がっていたことが分かります。それを思い起こすと、イエス様の洗礼は、それによってこの民の仲間となり、彼らを新たな時代へと招くためだと考えます。
 
 10節に「天が裂けて、霊が鳩のようにご自分の中に降って来るのをご覧になった」とありますが、ここの「天が裂けて」に注目したいと思います。「裂ける」は直訳では「引き裂かれる」であり、その行為が神によって起こされたことを婉曲的に示す神的受動態でした。神様によって天が引き裂かれたのです。イエス様の受洗と共に、神の介入が開始されたのです。天が裂かれ、霊が下ってくる。この霊と共に、「人々を新たな命へ導く」という神様からの使命がイエス様に与えられ、それを果たす力も付与されたのです。これはイエス様に自らの使命を自覚させる出来事だと言えます。
 なお、聖霊を鳩と結びつける考え方の起源は、先ほど読んでいただきました創世記1:2に示されています。こうあります。
「地は混沌として、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」
 ここの「神の霊が水の面を動いていた。」とは、母鳥が卵を抱くように、神の霊が地表を抱いているという意味の言葉が使われています。  
 マルコ福音書の「霊が鳩のようにご自分の中に降って来る」というのも、霊が優しくイエス様御自身を包み込むイメージです。
 続いて、11節です。『すると、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。』
  ここの「私の心に適う者」の直訳は「あなたを私は喜ぶ」であり、英語の聖書(NRSV,NIV)では「with you I am well pleased.」でした。 
 天からの声が「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」と語りかけ、神様からの使命を担うイエス様を励まします。洗礼によって民の罪を背負う歩みへと踏み出したイエス様に、神様は限りない愛と支持を語りかけて、イエス様を勇気づけているのです。 
  
 また、「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」というこの声は、私たちすべての人間に向けられた、神様の心であります。イエス様の洗礼という出来事を通して、私たちすべての人間が「あなたは私の愛する子、私はあなたを喜ぶ」とされていることが明らかにされたのです。私たちの洗礼は私たちが「神の愛する子」とされ、それが神の喜びであることを意味しているのです。

 この聖堂の後ろ、左側のステンドグラス「イエスの洗礼」をご覧ください。

  ヨルダン川で洗礼者ヨハネによって洗礼を受け、祈っているイエス様の様子が描かれています。霊の光が天から注がれています。イエス様の受洗とともに、神によって天が引き裂かれ霊がイエス様に降っています。神がこの世界に介入しています。イエス様はじっと手を合わせて祈っておられます。そして、自分の使命について思い巡らしています。ここに、イエス様の洗礼の意味が表現されていると思います。

 イエス様は公生涯を始めるに当たって、洗礼をお受けになりました。洗礼という出来事を通して、私たちすべての人間が「あなたはわたしの愛する子、私はあなたを喜ぶ。」と言っていただけるのです。私たちもキリスト者としての人生の始まりに洗礼を受けることは神様の喜ばれることであり、私たちが「神の愛する子」とされることを表していると言えます。それによって使命が与えられました。 

 私たちの教会は、昨年二人の方が洗礼の恵みに預かりました。これは私たちにとって大きな喜びであると共に、神様がその方々に「私の愛する子、私の喜び」と言ってくださっていることを思います。ここで、私たちは洗礼式の誓約の最後に志願者と会衆が誓約したことを思い起こしたいと思います。祈祷書のP.278-279です(見せる)。
『司式者 あなたは、キリストを主と信じて従い、生涯その模範にならうことを約束しますか
志願者 神の助けによって努めます
司式者 今、この誓約の証人となった兄弟姉妹よ、皆さんは、この人が、生涯この約束を守ることができるように祈り、助けますか
会衆 力を尽くして祈り、助けます  』
「キリストを主と信じて従い、生涯その模範にならうこと」を志願者は誓約し、私たちは志願者がそうできるよう祈り助けることを約束したのです。そのことを確認したいと思います。
 
 皆さん、私たちは今日、洗礼により、天が裂け、聖霊が鳩のように降り、父なる神が私たちを「愛する子」であり「私の喜び」と言ってくださること、その時、三位一体の聖なる神が共に働き、私たちを祝福してくださることを知りました。私たちも神の子とされ、それぞれに使命が与えられ、それを日々の生活の中で現していくように召されたのです。また、私たちは、洗礼の時に「キリストを主と信じて従い、生涯その模範にならうこと」を約束しました。それを日々の生活の中で現していくことができるよう祈り求めて参りたいと思います。
 
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン