マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『FEBC「神との親しみを深めるために」に思う』

 FEBC(Far East Broadcasting Company)というキリスト教放送局をご存じでしょうか? 
 私は40年以上、この放送局を聞き続けています。かつてはAMラジオの1566kHzに合わせて夜9時半から1時間15分、耳を凝らせて聞きました。今はインターネット放送をしているので、PCやスマホでも聞くことができますが、私は「ラジオ毎月便」のMP3ディスクをICレコーダーにダビングして聞いています。番組案内を100枚送っていただきましたので、前橋・高崎・新町の各教会の受付に置いています。

 FEBCはかつてはプロテスタントの牧師の説教や信徒の証し等だけでしたが、昨今はカトリックの神父・シスターや聖公会の信徒も番組に登場し、超教派でのキリスト教番組を放送しています。
 先週土曜(5月25日)放送の「神との親しみを深めるために(英 隆一朗)」の番組が、最近では心に響きました。
 以下のURLで、その番組はじめその日の放送を聞くことができます。ぜひお聞きください。
https://www.febcjp.com/2024/05/25/
  
 今回のこの番組では、英神父が「賛美の力」、特に「賛美の祈り」がもたらす働き等について力説しています。
 祈りの内容については、感謝・賛美・懺悔(告白)・祈願・代祷(とりなし)等が挙げられますが、私たちが祈る時、感謝と祈願は必ずあるのに賛美と懺悔が少ないことは以前にも記しました。しかし、聖餐式でも必ず唱えるように(祈祷書P.173)、「感謝と賛美は私たちの務め」なのだと思います。
 英神父の今回の番組では、「賛美は主を褒めること。神様も褒められるとうれしい」と話され、さらに、喜びの時・順調な時だけ賛美する(主を褒める)のでなく、苦しい時・大変な時も賛美する(主を褒める)ことの重要性を語っておられます。その例として、旧約聖書続編「ダニエル書補遺 アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌」で、バビロンのネブカドネツァル王により異教の神々を拝まないゆえに炉の中に投げ込まれた三人の若者が、主を賛美しほめたたえている様子を紹介しています。

 その時の三人の若者の賛歌を、私たちは、「万物の歌」として「朝の礼拝」で降臨節及び大斎節中に、または「朝の祈り」で金曜日の賛歌で唱えています。それは以下のようです。
万物の歌(アザルヤの祈りと三人の若者の賛歌34~64)
(平日には4節から17節までを省いてもよい。)
1主に造られたものよ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
2天よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
3主のみ使いよ、主の万軍よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
4空の上の水よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
5日と月よ、空の星よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
6雨と露よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
7風よ、火と熱よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
8夏の暑さと冬の寒さよ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
9露と霜よ、夜と昼よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
10光と闇よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
11氷と寒さよ、あられと雪よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
12稲妻と雲よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
13地よ、山と丘よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
14すべての草木よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
15泉よ、海と川よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
16鯨とすべて水に住む生き物よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
17空の鳥よ、野のけものと家畜よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
18すべての人よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
19神の民よ、主の祭司よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
20主のしもべよ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
21義人の魂よ、心清くへりくだる者よ、主をたたえ∥世々にほめ歌え
22父と子と聖霊をたたえ∥世々にほめ歌え

 このように燃えさかる火の中で三人の若者は主を賛美しほめたたえたのです。その時の様子をダニエル書3:23-25はこう伝えています。
『シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は、縛られたまま燃え盛る炉の中に落ち込んだ。その時、ネブカドネツァル王は驚いて、慌てて立ち上がり、顧問たちに尋ねた。「あの三人は、縛ったまま火の中に投げ込んだのではなかったか。」彼らは王に答えた。「王様、そのとおりです。」王は言った。「しかし私には、四人の者が縄目を解かれ、火の中を歩いているのが見える。しかも何の害も受けていない。四人目の者の姿は神の子のようだ。」』
 主を賛美しほめたたえ続けた三人は、燃えさかる火の中で何の害も受けず歩き、そばには天使がいて守られたのです。英神父はこれが「賛美の力」であるとして、この三人のように、苦しい時・大変な時にも主を賛美し褒めたたえることを勧めていました。それにより神様もうれしくなり恵みが与えられると・・・。
 
 大変な時も神を賛美した人として、星野富弘さんを挙げることができるのではないでしょうか? 怪我をした当初は、「あの時模範演技をしなければ」と悔やんでも悔やみ切れず、「あの時に戻りたい」と願っていた富弘さんですが、神の愛を知り、主を賛美するように変えられました。
 私たちも普段の祈りにおいても、大きな神の愛を知り、感謝や祈願だけでなく、主を賛美しほめたたえる「賛美の祈り」をもっとできるよう祈り求めたいと思います。