マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『祈りのともしび「トマス・アクィナスの祈り」に思う』

 去る6月19日のブログでFEBC(キリスト教放送)の番組「祈りのともしび~ひとつごころで御前に立つ」の「マルティン・ルターの祈り」について思い巡らしました。FEBCのオンラインは放送終了後の1ヶ月間聞くことができます。ここ1ヶ月のこの番組では6月5日の放送も心に残っています。この日は「10 わたしを忘れないでください―トマス・アクィナスの祈り」で、以下のURLで聴くことができます。
https://www.febcjp.com/2024/06/05/

 ここで紹介された祈りは、次の「トマス・アクィナスの祈り(石川康輔神父訳)」です。この祈りは以下の小冊子「聖人たちの祈り Saints' Prayers」(ドン・ボスコ社)にも収録されています。

  私を忘れないでください

私の神よ、私があなたを忘れても
あなたは私を忘れないでください。

私があなたを見捨てても
あなたは私は見捨てないでください。

私があなたから離れても
あなたは私から離れないでください。

私が逃げ出しても呼び戻し
反抗しても引き寄せ
倒れても起きあがらせてください。

私の神、主よ、お願いいたします。
いかなるむなしい考えによっても
あなたから遠ざかることのない目覚めた心を、

いかなるよこしまな意向によっても
ゆがめられることのないまっすぐな心を、

いかなる逆境にもめげず
勇敢に立ち向かう強い心を、

いかなる卑しい情欲によっても
打ち負かされることのない自由な心を、
主よ、私にお授けください。

主よ、お願いいたします。
あなたを求める意志を
あなたを見いだす希望を
あなたの望まれる生き方を
信仰をもってあなたを待ち望む堅忍
そして、ついにあなたを所有できるという信頼心を
主よ、この私にお与えください。

 この祈りは、冒頭から「私があなたを忘れても あなたは私を忘れないでください。」というように、見方によっては厚かましいわがままな祈りのようにも思えるかもしれません。しかし、このように子どものように率直に願いをぶつけることも「祈り」なのだと思います。
 それは先主日福音書で、突風の中でイエス様に「先生、私たちが溺れ死んでも、かまわないのですか」(マルコ4:38)と率直に言う弟子たちの姿勢と共通します。ちなみにこの平行箇所であるマタイ8:25では、「主よ、助けてください。このままでは死んでしまいます」とさらに具体的に切実に訴えています。

 トマス・アクィナスは、13世紀、南イタリアシチリア王国の出身のドミニコ会修道士です。また、大著「神学大全」で知られる中世の最も偉大な神学者・哲学者、聖人であり、教会博士、天使的博士の称号が与えられています。
 そのような偉大なる聖人が、このような率直で切実な願いを神に訴えています。私たちも形にこだわるのでなく、自分の願い・思い・祈りを子どものように率直に神に訴えて参りたいと思います。