この3月でNHK朝の連絡テレビ小説「ブギウギ」が終了しました。戦前は「スウィングの女王」、戦後は「ブギの女王」と言われ、多くの人に支持された笠置シヅ子をモデルとした作品でした。趣里が熱演していました。私は毎朝よく見ていました。この笠置シヅ子に多くの作品を提供したのが服部良一です。このドラマでは草彅剛が演じていました。
私はある知的障害者の施設で月2回ミュージック・ケアをしているのですが、先日のセッションで「東京ブギウギ」を取り上げたところ、いつも「いいよー」と首を振ってしたがらないHさんが、この曲に合わせて鳴子と鈴を振ってうれしそうに行進する様子がありました。「東京ブギウギ」のリズムが快かったのでしょうか? 服部サウンド、恐るべしです。
服部良一の音楽は、同時代の古賀政男などと比べるとジャズやポップス色が強くバタ臭いものです。曲調もどちらかというと明るく長調が多く、人生を謳歌し励ますような歌詞が多いように思います。
彼の音楽のルーツは何か、と思って彼の自叙伝「ぼくの音楽人生」を購入し読み進めました。
すると、この本の最初のほうの「明治・大正の洋楽」という項目の中にこうありました。
『明治の洋楽で、今一つ忘れてならないのは讃美歌だと思う。開港開国とともにキリスト教が奔流のごとく入ってきて、教会が津々浦々に建てられた。楽器は主としてオルガンだったが、その音色とともに歌われる讃美歌は文明開化を象徴するようなハイカラな旋律だった。
ぼくの西洋音楽への目覚めも、この讃美歌であったといっていい。六歳の頃だ。近くにメソジスト派の教会があって、日曜学校をひらいていた。そこで、初めてオルガンというものを見聞し、讃美歌を歌った。子供のころのぼくの声は女の子ように澄んだ美しい音色のボーイソプラノだったそうである。そこで教会の合唱隊の一員に加えられ、いつもソプラノパートを歌っていた。日曜学校には十歳くらいまでの四年間ほど通い続けた。(P.19,20)』
服部良一の音楽のルーツの一つは讃美歌だったのです。6歳から10歳という少年期に、メソジスト派の教会に通い聖歌隊で合唱していたのです。メソジスト派は音楽を重要視して、有名な讃美歌作曲家であるチャールズ・ウェスレーが多くの名曲を生み出しています。おそらく服部良一少年は日曜学校の教えと讃美歌等の教会音楽から大きな影響を受けたと考えられます。ちなみに、先主日の説教で触れた「ジーザス・クライスト=スーパースター」の作曲家のロイド・ウェーバーも少年期にウエストミンスター寺院の聖歌隊に所属していたそうです。多くの作曲家が聖歌・讃美歌から影響を受けているのです。
服部良一の音楽で、讃美歌のような作品を探してみました。私は彼の多くの曲を収めてある3枚組のCD「服部良一-ぼくの音楽人生-」で聞いています。
この中の3枚目に「山のかなたに」という昭和25年5月に発売された藤山一郎の歌があります。以下のURLで聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=SU_8gYjYkBg
「山のかなたに」は、石坂洋二郎の小説が昭和25年に映画化されたときに主題曲として作られました。作詞は西条八十で、歌詞は以下のようです。
1 山のかなたに あこがれて 旅の小鳥も 飛んで行く
涙たたえた やさしの君よ 行こよ 緑の尾根越えて
2 月をかすめる 雲のよう 古い嘆きは 消えて行く
山の青草 素足で踏んで 愛の朝日に 生きようよ
3 赤いキャンプの 火を囲む 花の乙女の 旅の歌
星が流れる 白樺こえて 若い時代の 朝が来る
4 山のかなたに 鳴る鐘は 聖(きよ)い祈りの アベ・マリア
強く飛べ飛べ 心の翼 光る希望の 花のせて
山のかなたにあるものにあこがれる。そこではアベ・マリアの祈りの鐘が鳴る、という。修道院でしょうか? そこからアンジェラスの鐘が聞こえるのでしょう。「愛の朝日」「花の乙女」「聖い祈りのアベ・マリア」「心の翼」「光る希望」などの言葉からキリスト教的な香りがしてきます。
この「山のかなたに」と類似した聖歌・讃美歌として、思い浮かぶのが聖歌444(讃美歌301)「山べに向かいて」です。下のURLで聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=deZswFUgx5g
この曲の歌詞は以下の通りです。
1 山べに向かいて われ目を上ぐ 助けは いずかたより来たるか
あめつちのみ神より 助けぞわれに来たる
2 み神は 汝の足を強くす み守りあれば 汝はうごかじ
み民をば守るもの まどろみ眠りまさじ
3 み神は仇をふせぐ盾なり 汝が身をつねに守る影なり
夜は月、昼は日も 汝をば損のうまじ
4 み神は災いをも避けしめ 疲れし魂をも休ます
出るおり入るおりも たえせず汝を守らん
1節で、山に向かって目を上げると天地を創られた神から助けが来ることが分かる、と始め、2節・3節で、その神様は私たちの足を強く、盾となり私たちをいつも守ってくださる、4節で、疲れた心を休ませてくださる、と詠っています。全能の父なる神への賛歌です。
この聖歌の歌詞は、英国の貴族ジョン・キャンベルが詩篇121編を韻律化し作詞し、それを別所梅之助が翻訳したものです。どの聖歌集にもこの歌詞で載っており、それはこの曲が日本語讃美歌として普遍的な価値を持っているからだと思います。別所梅之助(1872年-1945年)はメソジスト派の牧師、青山学院専門部・神学部教授でした。讃美歌(1903年)編集では中心的人物として携わり、それまでの生硬な歌詞を洗練された美しい日本語にする上で大きな貢献をした、と言われています。
子供の頃、メソジスト派の教会に通っていた服部良一がこの曲に親しんでいたことは十分考えられます。そうでなくても、この聖歌・讃美歌は今でも世界中で愛唱されていますので、耳にはしていたと思います。服部良一の音楽の歌詞もメロディーも讃美歌の影響を受けていたのです。
服部良一が影響を受けた音楽にはアメリカのブルースやジャズもあります。どちらも黒人霊歌(ゴスペルソング)から生まれています。服部良一のサウンドの根っこにキリスト教があったことは間違いないと確信します。