マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

聖歌519「主よ みもとに近づかん」に思う

 10月4日に前橋聖マッテア教会で葬送式があり、聖歌519「主よ みもとに近づかん」を歌いました。説教では、「召天」という言葉の意味の説明にかかわりこの聖歌の3節を引用しました。今回はこの聖歌全体について思い巡らしたいと思います。

 聖マーガレット教会の信徒による演奏が以下のURLにあります。 https://www.youtube.com/watch?v=pTOauoHx2iM
 聖歌519「主よ みもとに近づかん」の歌詞は以下の通りです。
1 主よ、みもとに 近づかん  のぼるみちは 十字架に
 恐れあれど われは歌わん  主よ、みもとに 近づかん
2 さすろう間に 日は暮れ  石の上の 仮寝の
 夢にもなお 天(あめ)を望み  主よ、みもとに 近づかん
3 主の使いは み空に 通う梯(はし)の 上より
 招きぬれば いざ登りて  主よ、みもとに 近づかん 
4 目覚めてのち 枕の  石をたてて めぐみを
 いよよせつに たたえつつぞ  主よ、みもとに 近づかん
5 うつし世をば はなれて   天(あま)翔ける日 来たらば
 いよよ近く みもとにゆき  主のみ顔を あおぎ見ん

 古今聖歌集やかつての讃美歌では、1節の後半は「ありともなど悲しむべき 主よ、みもとに近づかん」でした。これが分かりづらかったので現行に変わりました。ここは「のぼる道は十字架にありともなど悲しむべき」と続けて読み、「のぼる道は十字架にあると言ってもどうして悲しむことがあるだろうか、いや悲しむことはない。」という意味でした。

 先日の葬送式では3節を取り上げ、こう話しました。
「これは神様により天から地上に梯子(今の訳では「階段」)がかけられ、天の使いが召された人を招いている様子を描いています。Aさん(逝去された信徒)も神様から招かれて天の階段を上り、主なる神様に近づいていったのです。」

「主よ みもとに近づかん」の原詩と訳はこのようです。
Nearer, my God, to thee, Nearer to thee!
E'en though it be a cross that raiseth me, still all my song shall be,
御もとへ 主よ 御もとへに近づかん
いかなる苦難が待ち受けようとも 汝に我が歌を捧げん

Nearer, my God, to thee, Nearer, my God, to thee, Nearer to thee!
御もとへ 主よ 御もとへ  御もとに近づかん

Though like the wanderer, the sun gone down, darkness be over me,
my rest a stone. yet in my dreams I'd be
放浪の中 日は暮れゆく 暗闇が私を覆い
石の上に枕しても ただ夢見るは主の御もと

There let the way appear, Steps unto heaven:
All that thou sendest me, In mercy given: Angels to beckon me
現れる道は天への階段 汝が授けし賜物
慈悲による授かりもの 天使が手招きする

Then with my waking thoughts Bright with Thy praise,
Out of my stony griefs Bethel I'll raise; So by my woes to be
そして私は目覚め 汝への賛美で晴れやかな心
石のような嘆きを捨て 私は「神の家」を建てよう 私の深い悲しみによって

Or if on joyful wing, cleaving the sky
Sun, moon, and stars forget, Upward I fly, Still all my song shall be
喜びの翼に乗り 空を突き抜け
太陽、月、星々に目もくれず 私は高く駆け上る なお一層 我が歌の全ては

Nearer, my God, to thee, Nearer, my God, to thee, Nearer to thee!
御もとへ 主よ 御もとへ  御もとに近づかん

 この聖歌はもともとは、創世記28章のヤコブの夢に由来します。
「主よみもとに、近づかん(Nearer,my God,to Thee)」の作詞者は、英国のセーラ・F・アダムスという女性です。35歳のとき、ヤコブの夢にもとづいて、一日で作りました。この聖歌は米国に伝えられ、1856年にローエル・メーソンが曲をつけると、爆発的に有名になりました。1912年のタイタニック号沈没の際に歌われたというエピソードで有名です。
 セーラは、31歳の時結婚しますが、43歳の若さで世を去りました。結核で死亡した姉の看病で命を縮めたのです。彼女は63篇の歌詞を書き残しました。彼女には深く苦悩する魂が潜んでいました。悲しみが彼女を神に近づけたのです。いや、神である主が、彼女と共にあって、彼女を力づけ、彼女に喜びの賛美を与えたのです。
 原詩を読むと、ヤコブが石を枕に眠り、夢の中で天使を見て、その場所を「神の家」という意味のベテルと名付けた様子が浮かんできます。

  聖歌519「主よ みもとに近づかん」の歌詞は文語であり、やはり分かりにくいといえます。この歌詞を口語として歌っているヴァージョンがあります。それはこのCD、国分友里恵と岩本正樹の「現代賛美歌」にあります。

 このCDの歌詞はこうです。
1 主よ、近くに行きましょう  進む道は十字架と
 歌いながらただひたすら   主よ、近くに行きましょう
2 さすろう間に 日は暮れ  石の上に現れば
 夢にさえも天を望み  主の近くに安らぐ
3 天使たちの行きかう 空に続く階段は
 天国へと招くしるし  主よ、近くに行きましょう 
4 月も星も太陽も 忘れるほど羽ばたいて
 高く高く飛べるならば 仰ぎ見つつ たたえます

 確かに分かりやすくなりましたが、慣れ親しんできた歌詞に比べると何とも軽く、趣に欠けるように思います。聖歌・讃美歌の歌詞はやはり格調が必要です。讃美歌21でも、完全な口語でなくそれぞれの節の最後は「主よ、みもとに近づかん」となっています。そして、「神の招きと応答」という分類の中にあります。
 聖歌519「主よ みもとに近づかん」は葬送式で歌われる聖歌というだけでなく、日々の信仰生活においても心して歌いたいと思います。その3節はこうです。
「主の使いは み空に 通う梯(はし)の 上より
 招きぬれば いざ登りて  主よ、みもとに 近づかん」
 主が天から階段を降ろして私たちを招いてくださっています。それは主が「私はあなたと共にいる。あなたは独りではない」と言っていることです。だから、私たちも勇んで登り、主の御そばに近づくことができるのであります。そのことに感謝して、「主よ、みもとに 近づかん」と高らかに歌い上げたいと思います。