マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「讃美歌21」575番「球根の中には」に思う』

 去る10月14日(土)に、共愛学園国際大学の学園祭「シャロン祭」に行きました。古澤ゼミの発表で「まちなか教会群」の紹介がありマッテア教会も掲示されているとのことで見に行ったのでした。チャペルで聖歌隊のコンサートがあったので聞きました。この中で一番心に残った曲が「讃美歌21」575番「球根の中には」でした。私は初めて聴いた聖歌でしたが、聖歌隊の指導をしておられる先生によると「生徒に最も人気のある聖歌」とのことでした。
 ネットで検索すると、多くのキリスト教主義学校でこの曲は歌われているようでした。立教女学院聖歌隊が歌っているCDがあるのが分かり、早速購入しました。

 このCDには通常の聖歌のほかアンセムやオルガン独奏などが収められ、バラエティーに富む内容で楽しめます。
 「球根の中には」は私たち日本聖公会の聖歌集には収められていませんが、聖公会関係の学校でも歌われていて、以下のURLで立教新座中高の聖歌隊の演奏を聞く(見る)ことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=mZYh1AC8W8s

 この曲を作詞・作曲したナタリー・スリースはアメリカ・メソジスト教会の牧師夫人で、癌の告知を受けた夫に捧げられたそうです。
 この曲の歌詞を示します。

1 球根の中には 花が秘められ、さなぎの中から いのちはばたく。
  寒い冬の中 春はめざめる。その日、その時をただ神が知る。
2 沈黙はやがて 歌に変えられ、深い闇の中 夜明け近づく。
  過ぎ去った時が 未来を拓く。その日、その時をただ神が知る。
3 いのちの終わりは いのちの始め。おそれは信仰に、死は復活に、
  ついに変えられる 永遠の朝。その日、その時をただ神が知る。 

 球根やさなぎは死んでいるように見えますが、そこから花が咲きいのちがはばたく、と歌い出します。この曲のキーワードは「いのちの終わりは いのちの始め」と思いますが、そこから様々なものがおそれと信仰、死と復活と対語をならべ、それらが全体として豊かな希望のメッセージを伝えています。
 賛美歌21の楽譜の参照聖句では、コヘレトの言葉3章1節「何事にも時があり 天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(新共同訳)と記されていますが、私はマルコによる福音書13章 32節「その日、その時は、誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」も影響を与えていると思いました。

 英語のオリジナルは以下のURLで聞く(見る)ことができます。First-Plymouth Church Lincoln Nebraskaの映像です。
https://www.youtube.com/watch?v=2Gndx39q7QM

 原詩と翻訳を下に示します。 
In The Bulb There Is A Flower(A Hymn Of Promise)《球根の中には(約束の聖歌)》Sleeth

In the bulb there is a flower; in the seed, an apple tree;
In cocoons, a hidden promise: butterflies will soon be free!
In the cold and snow of winter there's a spring that waits to be,
Unrevealed until its season, something God alone can see.
球根の中には、花があり 種の中には、りんごの木がある。
さなぎの中には、約束が隠されている、蝶がもうすぐ解き放たれるだろう!
冬の寒さや雪の中で 春がじっと待って 
その季節が来るまで秘められていて、神だけがご存知だ。

There's a song in every silence, seeking word and melody;
There's a dawn in every darkness, bringing hope to you and me.
From the past will come the future; what it holds, a mystery,
Unrevealed until its season, something God alone can see.
全ての沈黙の中に歌があり、歌詞やメロディを探している。
全ての闇の中に夜明けがあり、あなたや私に希望をもたらす。
過去から未来はやってくる、それは神秘を抱え込んで、
自分の時が来るまで秘められていて、神だけがご存知だ。

In our end is our beginning; in our time, infinity;
In our doubt there is believing; in our life, eternity,
In our death, a resurrection; at the last, a victory,
Unrevealed until its season, something God alone can see.
私たちの臨終こそ始まり、私たちの時間にこそ、無限がある。
私たちの疑いの中にこそ信仰があり、私たちの生命の中にこそ、永遠がある。
私たちの死の中にこそ、復活があり ついには、勝利がやってくる、
その季節が来るまで秘められていて、神だけがご存知だ。

 日本語の歌詞は、かなり原詩に忠実であることが分かります。しかし、原詩の方が多くの情報があり、多くの福音を伝えているように思います。特に3節の初行、「In our end is our beginning; in our time, infinity;(私たちの臨終こそ始まり、私たちの時間にこそ、無限がある。)」には、永遠の命の希望が感じられます。

 実は、先日11月23日(木)と11月28日(火)と続けて、この9月に帰天された二人の姉妹の埋葬(納骨)式があり、その折りに、この聖歌「球根の中には」を教話の中で解説し、参列者と共に歌いました。教話では「この墓に葬られた方々は新しい命に生きています。私たちもいつかその方々にまみえることができるのです。その日、その時は神様だけが知っています。そのことを思って、この聖歌を一緒に歌いましょう」と話しました。
 豊かなメッセージと永遠の命への希望に満ちた聖歌「球根の中には」に出会えたことを主に感謝し、埋葬式だけでなく逝去者記念の式や様々な機会に、この聖歌を味わい歌っていきたいと思います。「死者の月」である11月の最後の日にこのようなことを思いました。