マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『前橋上泉町教会献堂20周年記念礼拝説教』

 4月29日に前橋上泉町教会献堂20周年記念礼拝に招かれ、奏楽と説教の奉仕をしました。

キリスト教はなぜ十字架なのか?」というテーマを与えられ、30分以上話し、30名弱の会衆の方が熱心に耳を傾け頷いたりメモをとったりしていました。以下のその説教原稿を記します。

<説教>
 主よ、私の岩、私の贖い主、私の言葉と思いがみ心にかないますように。父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 前橋上泉町教会の献堂20周年、おめでとうございます。
 私は日本聖公会の司祭で、前橋聖マッテア教会牧師のマルコ福田弘二と申します。既に、今回の記念集会のはがきでお知らせしてありますが、簡単に自己紹介をさせていただきます。私は現在69歳ですが、60歳の定年まで公立学校の教師として38年間務めました。最初の10年間は小中学校の通常教育、残りの28年間は特別支援学校(当時は養護学校)などの特別支援教育に携わり、退職してから神学校(聖公会神学院)に入学しました。そして、2018年に執事、2019年に司祭に按手(叙階)されました。現在、前橋・高崎・新町の教会の牧師と玉村の幼稚園(認定こども園)のチャプレンをしています。
 聖公会は、受付でお渡しました「前橋聖マッテア教会の教会案内」の中の解説にありますように、プロテスタント的でありながらカトリック教会と共通する多くの伝統や考えを残している教派です。言い換えれば聖書と伝統を重んじる「中道」ということですが、部分的にはカトリックよりも伝統的ではないかと感じるときもあります。例えば聖餐式で使う聖品(チャリス・ベール)や礼拝で行う所作(ひざまずく)などです。今回、事前の打ち合わせで、私に関しては聖公会の方法で進めてよろしいとなりましたので、そうさせていただきます。皆様には違和感を感じるところがあるかもしれませんが、ご理解をお願いします。

 今回、内田彰先生から記念礼拝で「キリスト教はなぜ十字架なのですか?」というテーマでお話をしてほしいと依頼を受けました。内田先生とは30年近くの知り合いで、先生がまだ教員で、前橋市養護学校にお勤めの頃に出会いました。私はその頃、県教育委員会特別支援教育の指導主事で、国の教育課程の研修会でご一緒したのを覚えています。 
 その後、内田先生が牧師になられてからは何度か前橋上泉町教会の礼拝や祈祷会に参列し、そして公民館で実施していた三浦綾子読書会にも参加したことがあります。これまでの長いお交わりに感謝しております。

 さて、「キリスト教と十字架の関係」ということでどの聖書箇所がいいか色々と考えましたが、今回は、先ほど朗読し皆さんにも部分的に唱えていただきましたマルコによる福音書15:1-39としました。聖書は一番新しい訳の聖書協会共同訳を使いました。ここは聖金曜日(受苦日)の夜明けの裁判から午後3時にイエス様が息を引き取られるまでを描いた箇所です。
 あらすじはこうです。
『夜が明けると、祭司長たちはイエス様をピラトに渡しました。ピラトは祭りのたびに囚人を一人釈放していた慣習に従い、イエス様を釈放しようとします。しかし、祭司長たちに扇動された群衆たちの声に負けて、ピラトはイエス様を十字架につけるために引き渡しました。兵士のあざけりを受けた後、イエス様はゴルゴタの丘に引かれて行き、十字架につけられました。途中でキレネ人のシモンに十字架を担がせました。通り掛かった人々も、一緒に十字架につけられた強盗もイエス様を侮辱しました。イエス様が十字架の上で息を引き取ると、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、百人隊長は「まことに、この人は神の子だった」と言うのでした。』
 
 マルコ福音書は、異邦人、特にローマ人向けに書かれましたので、この当時の読者(主にローマ人)にとっては十字架刑は馴染みのあるものですが、現代の私たちがこの聖書箇所を理解するには、当時の十字架刑について知る必要があります。
 十字架刑は、ギリシア人及びローマ人が発明した刑です。元々は反乱した奴隷に限って用いられ、その後すべての犯罪者に適応されました。見せしめのために長く苦しむ死刑の方法です。十字架刑は、刑を受ける人が十字架を担いで行きます。その向かう途中で群衆の嘲りを受けます。この刑の本来意味していることは、かつて反乱した者が、今は「ローマ法に従順に服している」という姿を見せることでした。

 今回は読みませんでいたが、使用聖書箇所のプリントの2ページの後半にあるマルコによる福音書8:34をご覧ください。
「私の後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を負って、私に従いなさい。』とあります。
 「自分の十字架」とは、イエス様と同じような苦しみの十字架を担げという意味ではありません。「自分の十字架」とは、比喩的表現で「自分の思いと神の思いが交差する時、自分の思いを捨てて神の思いに従順になりなさい」という勧めです。
 つまり、「十字架を運ぶ」「十字架を負う」とは「従順の勧め」です。十字架刑が意味しているのは、ローマ法への従順、つまり、「支配している権威への従順」です。イエス様は、父なる神に従順に歩まれました。どこまで従順だったかというと、「死に至るまで」です。そのように、私たちも、神様の御心に従順になる必要があると思います。自分の思いを優先させたい、自分の欲望を満たしたいと思う時に、そうではなくて、神様の御心に従順になること、それが「自分の十字架を負う」という意味であると言えます。
 ですから「自分の十字架を負う」とは「自分の問題、悩み、傷等を背負って生きる」ということではありません。そうではなく、「主に従う」ということです。言い換えれば「神様の御心に従う」ということが、「自分の十字架を負う」ということであると思います。

 また、先ほど聖書朗読をしたマルコによる福音書15:1-39の中では、21節にこうあります。
「そこへ、アレクサンドロとルフォスとの父でシモンというキレネ人が、畑から帰って来て通りかかったので、兵士たちはこの人を徴用し、イエスの十字架を担がせた。」
 イエス様が十字架を担いで歩いているときに、この十字架が重過ぎてもう担げなかったのです。倒れてしまって、もう、持てなかったので、担ぐ人を探し、キレネ人のシモンに十字架を担がせたのです。
 キレネ人のシモンは、「何で自分がこんな十字架を背負わなければならないのか」と心の中でつぶやきながら担いだと思います。マルコの福音書は「アレクサンドロとルフォスとの父で」と、息子の名前2人を記していますが、それはこの2人が初代教会のリーダーでよく知られていたからです。そこから考えられるのは、キレネ人のシモンはこの後に回心して、キリストに従う者になったということ。一緒に十字架を担ぐことがきっかけで、彼は洗礼を受けた、ということが考えられます。一緒に十字架を担いだことは、彼の生涯において宝物になった、と思います。それは私達にとっても、同じだと思います。自分で苦しんでるだけならば、それはただの苦しみですが、その苦しみをイエス様と共に苦しむならば、どれほど恵みと価値があって、自分の宝物になるのかということです。
 十字架は本来、死刑の方法で、見せしめであり権力者への従順を示す悲惨なものですが、主に従い、イエス様と担ぐことでパラドクス(逆説)として、宝物となるのであります。

 十字架について、さらに思い巡らします。
 25節にありますように、イエス様が十字架につけられたのは午前9時です。罪状書きには、「ユダヤ人の王」とあり、ただの犯罪人の一人としてイエス様はあげられました。人々は頭を振りながら、イエス様を罵って言いました。29節・30節です。
『そこを通りかかった人々は、頭を振りながらイエスを罵って言った。「おやおや、神殿を壊し、三日で建てる者、十字架から降りて自分を救ってみろ。」』
 誰も十字架を意識していません。十字架にかからない賢い生き方、それこそが、救いだと思っているのでしょう。律法学者や祭司長たちはこう言いました。
「他人は救ったのに、自分は救えない。メシア、イスラエルの王、今すぐ十字架から降りるがいい。」
 彼らは上手に困難をくぐり抜け、結局は自分が良いところに置かれるために、信仰を生きようとしているように思われます。

 次に、イエス様が十字架上で述べられた言葉に注目します。34節にこうあります。
『三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。』
 「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」はイエス様がお話ししていたアラム語です。マルコはこの言葉をあえてイエス様が叫ばれた言葉そのもので記しました。これは父なる神様に訴える、人間的な率直な叫びです。イエス様は「わが神、わが神」と二度唱え、親しみを込めて語りました。この言葉は、詩編22編の最初の言葉でもあります。
 そして、37節です。
『しかし、イエスは大声を出して息を引き取られた。』
 マルコではイエス様の最後の言葉の内容は記されていませんが、ルカではこう記されています。23:46です。
『イエスは大声で叫ばれた。「父よ、私の霊を御手に委ねます。」こう言って息を引き取られた。』
 ここの「私の霊を御手に委ねます。」は詩編31編6節の言葉です。もしかしたらイエス様は詩編を22編の最初からここまで唱えていたのかもしれません。
 私たちは不安と戸惑いの中で、神様に「なぜか」と問いかけます。イエス様の「なぜ」も同じだと考えます。沈黙する神様に「わが神、わが神」と呼びかけるイエス様は、「なぜ」と問いながら、神様の声が聞こえるのを待っています。この叫びは絶望ではなく、神様の応答を求める祈りです。そこにあるのは「神様への全幅の信頼」であります。
 イエス様は十字架上で、人間的な「なぜ私をお見捨てになったのですか」という訴えの後、最後は「御手に委ねます。」と神様の思い(意志)を全面的に受け入れたのです。 

 さらに、39節の百人隊長の反応を見たいと思います。こうあります。
『イエスに向かって立っていた百人隊長は、このように息を引き取られたのを見て、「まことに、この人は神の子だった」と言った。』
 「このように」とは、イエス様が息を引き取られたとき、神殿の垂れ幕が裂けて神と人を断絶させていたものが取り払われたということです。それを見て、百人隊長は、「イエス様は神の子だった」と断言したのでした。異邦人であるローマの百人隊長がイエス様を神の子であると告白したのです。
 この百人隊長の反応は、35・36節の人々の反応と対照的です。どちらの箇所にも原文を見ると「そばに立っていた」という分詞(35・39節)と、「見る」という動詞(36・39節)が使われていますが、同じ動詞を使うことによって、イエス様の十字架をめぐる二つの立場が対比されています。一方にとって十字架は嘲笑の対象であり、他方にとっては神様のみ心を読み取るしるしです。何がこの違いを引き起こすかといえば、イエス様に対して取っている百人隊長の姿勢と言えます。彼は十字架の「そばに立っていた」だけでなく、イエス様と「向かい合って」います(39節)。百人隊長はイエス様と「向かい合って」いたのです。この「向かい合う」はギリシャ語原文では「エナンティオス」であり「相対している」という意味です。英語の聖書では「facing(直視して、顔と顔を合わせて)」とありました。十字架のイエス様と「向かい合う」「顔と顔を合わせる」なら、イエス様を神の子と告白する者となるのです。イエス様をからかう者は「そばに立って」はいても、目をイエス様に向けてはいません。そのような者には十字架は嘲笑の対象でしかありません。イエス様と向かい合い、十字架の死を直視する者には、十字架を通して語りかける神様の声が聞こえます。

 本日お持ちした、イエス様が十字架についた磔刑像をご覧ください。

 

『イエスは十字架にかけられる前、言いました。「人の子が・・・多くの人ための、贖いの代価として、自分の命を与えるために来た(マタイによる福音書20章28節)」』
「贖い」と訳されているギリシャ語の元々の意味は、奴隷や人質を買い戻し自由にすることです。イエス様は様々なことにとらわれている私たちのために十字架に付き「贖い」、私たちを解放してくださるのです。これこそキリスト教の本資であり、「救い」の根本です。

 A4の使用聖書箇所のプリント2ページの終わりから2つ目のみ言葉、マタイによる福音書11章28-30節をご覧ください。
「すべて重荷を負って苦労している者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。私は柔和で心のへりくだった者だから、私の軛を負い、私に学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に安らぎが得られる。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いからである。」
 イエス様はこう言っています。「私の軛を負い、私に学びなさい。」と。軛は二頭の首にかけられています。この場合の二頭とはどういうことかと言えば、一頭はイエス様で、もう一頭は自分だということです。イエス様と二人で軛を合わせていくには、歩調が合わなければうまくいきません。イエス様があっちに行こうとしているのに、自分がこっちへ行こうとしたらだめだし、イエス様がゆっくりしようと思っているのに早くしようと思ったらだめです。歩調を合わさない限り、軛は合いません。そして、何をするかと言ったら、土を耕すということです。耕さなければならないものがあるのです。それは私たちの固い心かもしれません。それをイエス様と軛を合わせてやらなければ、土をうまく掘り起こせないのです。この土とは日本の社会や家庭などかもしれません。そこをイエス様と共に耕していく、すると安らぎが与えられる。それをするように、私たちは呼ばれているのだと思います。
 端的に言えば、「私の軛を負い、私に学びなさい」とは「イエス様と一緒に軛を負い、イエス様のリードに従って歩みなさい」ということです。そうすれば「魂に安らぎが得られる。」というのです。なぜなら「私の軛は負いやすく、私の荷は軽いから」です。イエス様は「私がうまくリードする、あなたが負いきれない重い荷物は載せないから」というのです。

 ところで、カトリック聖公会の聖職者は、首にカラーを着けます。このカラーは、何のために着けているのかご存じでしょうか?
 諸説ありますが、一つには神様につながれていることをいつも自覚するということです。そして、周りの人もそれを着けている人は「神様に仕え福音を伝えるために生きている人だ」と見ます。日本ではあまりそういう目で見る人は多くありませんが、カラーを着けて街を歩いていると、時々恭しく挨拶したりする外国人の方もいます。ですから、聖職カラーは神様につながれている軛の象徴と言えます。
 しかし、重荷を負って苦労しイエス様のもとに来た私たちもまた、実はイエス様のもとで休ませてもらった後、イエス様の軛を負わされているのです。それは、目には見えない軛です。カラーのように、人に気づかれるものではありません。イエス様から与えられる軛は負いやすく、その荷は軽いのです。それはこの軛がイエス様によって一人一人に応じて作られ、そしてその荷物はイエス様が共に担ってくださるからです。
 私たちは皆、何らかの重荷を負っている者です。その私たちにイエス様は「私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう。」とおっしゃっておられます。重荷とは十字架と言い換えてもいいかもしれません。イエス様が一緒に重荷(十字架)を負っておられ、イエス様と二人で軛につながれ、イエス様のリードで人生を歩むとき、魂に安らぎが得られるのです。

 イエス様の十字架は十字架では終わりません。3日後に復活し、弟子たちの前に現れました。この場面を描いたマッテア教会のステンドグラスでは、イエス様の右の掌にはっきりと釘の傷跡が記されています。

 イエス様の傷跡に関しては、使用聖書箇所のプリントの最後のイザヤ書53章5節にこうあります。
『彼は私たちの背きのために刺され、私たちの咎のために砕かれたのだ。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、その打ち傷のゆえに、私たちは癒やされた。』
 イエス様の受けられた傷によって、私たちに平安と癒しが与えられたことを思います。私にはこのステンドグラスのイエス様の右の掌の傷が輝いて見えます。

 私は平日の毎日10時半からマッテア教会の聖堂で、「朝の祈り」と「ロザリオの祈り」を捧げているのですが、ある日、それを終えてステンドグラスのイエス様を見つめた時に、こんな声が聞こえたような気がしました。それは「傷も賜物だよ」という声でした。
 このことで私には思い当たることがあります。
 私は26歳の時、1981年のイースターに洗礼を受けました。信仰歴は43年になります。キリスト教との出会いは入学した大学が、たまたまキリスト教主義学校だったことです。卒業後、教師となり群馬県の山間部の小学校に赴任し3年を過ごし、そこではなんとか務めることができました。しかし、その後、都市部の中学校の教師になった時、その学校がかなり荒れていてどう対応したらいいか悩み、同僚の教師からは「もっと厳しく指導すべきだ」と言われました。生徒にも教師にも傷つけられ、ついには学校に行けず、不登校のような状態にまでなってしまいました。そんな折、大学で受けたキリスト教教育を思い出し、それこそが真実の教育であると思い、もっとキリスト教を知りたいと考え、出身大学と同じ聖公会の教会の門をくぐりました。それがアドヴェントの頃で、通って行くにつれ癒され希望が見えてきました。そして次の年のイースターに洗礼を受けました。それ以降、「イエス様の教え、キリスト教精神で生徒たちに接しよう、教育に当たろう」と考え、実践し、60歳の定年まで勤めることができました。
 生徒にも教師にも傷つけられ、苦しかったのですが、その傷のゆえに教会に通うようになり受洗し、さらに今は聖職として聖務を果たしています。まさに「傷も賜物だ」と思います。

 ここにお集まりの皆さんも、何かの傷を受け苦しんでおられるかもしれません。しかし、それは神様から与えられた「賜物」なのかもしれません。イエス様も傷を受けられたのです。それがイエス様の十字架であり、私たちは十字架のイエス様と向き合うことが求められていると考えます。

  本日の礼拝で十戒の後に歌った讃美歌294番「みめぐみゆたけき」をご覧ください。この曲は少し歌詞は違うのですが聖公会聖歌集では「聖歌520番」で私の愛唱聖歌であり、新島襄の妻、新島八重の愛唱聖歌でもあります。1節にこうあります。
「みめぐみゆたけき 主の手にひかれて この世の旅路を あゆむぞうれしき
 たえなるみめぐみ 日に日にうけつつ みあとをゆくこそ こよなきさちなれ」
 この歌は神様を信じて生きていく喜びと感謝に満ちています。「主の手にひかれて」とは「主と軛をつながれて共に歩むこと」だと思います。そして、その主は傷を負った十字架のイエス様です。イエス様はこう言っておられます。「私のもとに来なさい。私の軛は負いやすく、私の荷は軽いから、あなたがたの魂に安らぎが得られる。」と。私たちはこのイエス様と向き合い、そして、共に歩んで参りたいと思います。

 お祈りします。
「恵みに富みたもう父なる神様、私たちを前橋上泉町教会献堂20周年記念礼拝にお招きくださりありがとうございます。いつも私たちをみ守り導いてくださるあなたを賛美し崇めます。
 本日の聖書箇所から、十字架は見せしめであり悲惨なものですが、主に従い、イエス様と担ぐことで宝物となることを知りました。あなたは、十字架のイエス様と向かい合い共に歩むことを私たちに望んでおられます。イエス様が十字架につかれたのは私たちの罪を贖うためであり、それほど私たちを愛してくださっているのに、私たちは時に、思いと言葉と行いによってあなたから離れていることを懺悔します。「まことに、この人は神の子だった」と言った百人隊長のような信仰を持つことができますように。そして、どうかあなたの心を私たちの心として、み旨を行うことができるようお導きください。
 前橋上泉町教会がますますあなたに喜ばれる教会となり、この教会に連なるすべての方々にあなたの恵みと祝福がありますように。これらの祈りを私たちの牧者である救い主、イエス・キリストによって御前にお捧げいたします。アーメン」

 父と子と聖霊の御名によって。アーメン