マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『讃美歌 298番・聖歌第291番「安かれ、わが心よ」に思う』

 先主日の説教で「死後はイエス様と共に楽園にいる」ことの惠みについて述べました。前々回のブログで触れた讃美歌 298番「安かれ、わが心よ」でも、主イエスが共におられることで痛みも苦しみも耐えることができる、と歌っています。讃美歌 298番「安かれ、わが心よ」は聖公会では、聖歌第291番にあたります。
 「安かれ、わが心よ」(ドイツ語: Stille, mein Wille! dein Jesus hilft siegen)は、フィンランドの作曲家シベリウス交響詩フィンランディア』の旋律が用いられた讃美歌・聖歌です。18世紀ドイツ福音教会の修道女カタリーナ・フォン・シュレーゲルによって作詞され、神への信従と待望をテーマとしています。
 19世紀半ばに英訳されて、1932年にアメリカの長老派の歌集 "The Hymnal" に編入されてから有名になりました。アメリカ長老派賛美歌集の編集委員会は、当時68歳のシベリウスの承諾を受け、編曲ができたそうです。
 英語の歌詞はこうです。

 『Be Still My Soul』

1. Be still, my soul, the Lord is on thy side;  Bear patiently the cross of grief or pain.
 Leave to thy God to order and provide;  In every change He, faithful, will remain.
 Be still, my soul, thy best, thy heavenly friend  Through thorny ways leads to a     joyful end.

2. Be still, my soul: Thy God doth undertake  To guide the future as he has the past.
  Thy hope, thy confidence let nothing shake;  All now mysterious shall be bright at   last.
  Be still, my soul: The waves and winds still know  His voice who ruled them      while he dwelt below.

3. Be still, my soul: when dearest friends depart,  and all is darkened in the veil of    tears,
  then shalt thou better know His love, His heart,  who comes to soothe thy sorrow   and thy fears.
  Be still, my soul: thy Jesus can repay  from His own fullness all He takes away.

4. Be still, my soul: The hour is hast'ning on  When we shall be forever with the      Lord,
  When disappointment, grief, and fear are gone,  Sorrow forgot, love's purest joys    restored.
  Be still, my soul: When change and tears are past,  All safe and blessed we shall    meet at last.

 讃美歌 298番は3番までで英語版の4番の歌詞がありませんが、聖歌第291番の歌詞は4番まであります。このようです。

1.やすかれ わが心よ 主イエスは 共にいます
  痛みも 苦しみをも おおしく しのび耐えよ
  主イエスの共にませば 耐ええぬ悩みは なし

2.やすかれ わが心よ なみかぜ たけるときも
  父なるあまつ神の  み旨に 委ねまつれ
  み手もて導きたもう 望みのときは近し

3.やすかれ わが心よ わが友 旅立つとき
  悲しみ 沈みゆくも 愛もて強めたまえ
  父なる神の心 豊かにわれを包む

4.やすかれ わが心よ み国のまねきせまる
  悲しみ 恐れは去り 愛なる喜び満つ
  涙の過ぎ去るとき ふたたび われらまみゆ

 この曲を聖マーガレット教会聖歌隊の方が歌っておられるサイトがあります。下のURLです。
https://www.youtube.com/watch?v=N_3uuwFIwPw

 聖歌291番は私たち聖公会の聖歌集では「葬送の式」というジャンルに入っているためか、普段あまり歌われる機会がないようですが、私はかつて前橋YMCAで発達障害についての講演を依頼された折、主催者がこれ(讃美歌 298番ですが)を選曲し、講演会の前に歌い「いい曲だな」と思ったことを覚えています。

 英語の歌詞(1節)を直訳してみます。
Be still, my soul, the Lord is on thy side;
Bear patiently the cross of grief or pain.
心安らかであれ、主は汝のそばにおられます。
苦しみや痛みの十字架を耐え抜きなさい。

Leave to thy God to order and provide;
In every change He, faithful, will remain.
すべてを神にゆだねなさい。
いかなる時も主は誠実であられます。

Be still, my soul, thy best, thy heavenly friend
Through thorny ways leads to a joyful end.
心安らかであれ、汝、最高の天界の友よ。
いばらの道を通して、喜びに満ちた終末へ導きます。

「主はいつも私たちのそばにおられます。だから十字架を耐え、心安らかでありなさい」と歌っています。
 ここから思い浮かぶ聖書箇所があります。それはヨハネによる福音書 20章19-21節です。
『その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちは、ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸にはみな鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手と脇腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」』
 ここの「平和があるように」は「エイレーネー(ヘブライ語では「シャローム」)」であり、「平安あれ」とも訳せる言葉です。
 この箇所は復活したキリストが弟子の前に現れ挨拶をする場面です、マッテア教会にはこの場面を表したステンドグラスがあります。

 ここでは、イエス様の右の手のひらにはっきりと釘の傷跡が記されています。
エス様の傷跡に関しては、イザヤ書53章5節にこうあります。
「彼は私たちの背きのために刺し貫かれ 私たちの過ちのために打ち砕かれた。彼が受けた懲らしめによって 私たちに平安が与えられ 彼が受けた打ち傷によって私たちは癒やされた。」
 イエス様の受けられた傷によって、私たちに平安と癒しが与えられたことを思います。

 聖歌第291番は「やすかれ わが心よ 主イエスは 共にいます」で始まります。イエス様が私たちに「平安あれ」と命じることのできる根拠は、主人であるイエス様が共にいてくださることにあります。私たちのなすべきことは何でしょうか? 2節に「父なるあまつ神の み旨に 委ねまつれ」あるように、主の御旨がなされるように祈り委ねることだと思います。
 讃美歌 298番・聖歌第291番「安かれ、わが心よ」からこのようなことを思い巡らしました。