マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「宣教協働特別委員会巡礼企画(前橋)」に思う』

 日本聖公会の北関東教区と東京教区が新教区設立に向けて取り組んでいる「宣教協働特別委員会」の活動の一環である巡礼企画が、2月3日(土)、前橋聖マッテア教会を主会場に行われました。この巡礼のねらいは「北関東教区と東京教区の教会を相互に訪問し、その教会と置かれている地域について知り、人と地域の交わりが与えられる。」です。
 マッテア教会にとっては、一昨年12月の東京教区聖アンデレ教会の皆さん、そして昨年10月の中部教区林間聖バルナバ教会の皆さんの訪問に続く、3度目の巡礼でした。
 東京教区宣教主事の福澤眞紀子姉が3月3日発行の「きょうどう通信第11号」で「教会訪問記」としてこの巡礼企画について記しておられます。以下にその記事を掲載します。
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 2月3日、よく晴れた空の下、前橋聖マッテア教会を訪問しました。
 前橋マッテア教会の建つエリアは、群馬県庁、前橋市役所など行政の中心地で、歴史ある町です。そして「まちなか教会群」として前橋の観光リーフレットに載るほど、キリスト教の教会が集まっています。明治期に製糸工場が造られ、前橋には西洋からの製糸技術と共にキリスト教も広まったのだそうです。
 今回は、前橋聖マッテア教会で朝の礼拝をささげた後、「まちなか教会群」巡りに出かけました。昼食は教会の新しい会館で「上州御用鶏めし」と、手作りみそ田楽、庭でとれたハッサク、前橋のお菓子など、温かく迎えてくださった教会の皆様に感謝いたします。 教会巡りは目から鱗がいっぱいの時間でした。語り尽くせませんがほんの少しご紹介です。聖マッテア教会からすぐ近くの日本基督教団前橋教会は新島襄の弟子、海老名弾正によって始められた教会とのこと。建物は現代的で、寄付を募って改装した「誰でもトイレ」のさりげない虹色のマークが印象的でした。そこから歩くこと数分の前橋ハリストス正教会は「前橋のニコライ堂」と呼ばれ、聖堂内には神の国のイメージを表すイコンが美しく並んでいます。大通りをまたぐと、ネオ・ゴシックの塔が二つ、カトリック前橋教会がありました。1945年8月5日、大空襲で一帯が焼け野原となりましたが、石の柱と壁を持つこの聖堂だけが残ったそうです。最後に、聖マッテア教会。北関東教区主教座聖堂であり、また「マキム主教記念聖堂」と名付けられた礼拝堂には親しみ深い空気を感じました。短い懇談の時間をもって今回の巡礼企画は終わりました。
 知ること、出会うこと。歴史や浪漫。訪れる場所ごとに地域の特色があり、感動があります。巡礼企画、今回は約20名の参加者でした。次は、これを読んだ貴方もご一緒に!(福澤眞紀子記)
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 人の心に残るのは、教会の建物などの物理的なことでなく、おもてなし(hospitality)などの精神的なものなのだと思いました。
 この巡礼企画については、巡礼チームのブログに詳しく記録されています。今回は東京教区の中村真希執事さんが執筆されました。以下のURLをぜひ、ご覧ください。訪れた各教会の様子や多くの写真等が掲載されています。最後にマッテア教会聖堂及びその聖職・信徒の映像もあります。
https://junreiteam777.blog.fc2.com/blog-entry-14.html

 「教会通り」とも呼ばれる通りの左右にある4つの教会を訪ねる巡礼は、キリスト教2000年の歴史に思いを馳せる旅でもあります。西方のカトリック教会と東方の正教会が分裂したのが1054年カトリック教会から聖公会(英国教会)が分かれたのが1534年、聖公会から組合教会(日本キリスト教団前橋教会の教派)が分かれたのが1600年です。4つの異なる教派の教会を訪ねることで共通点と相違点を実感し、所属する教会のことをより深く理解できると思います。 聖公会の特徴としては、元々が国教会だったため、教会に所属する信徒だけでなく教会のあるその教区の住民すべてが司牧の対象ということがあります。私の英語の名刺の肩書きが、PastorでなくRectorなのもそのゆえです。
 先人の残した賜物を大切にしつつ、新しい状況に即した宣教のあり方を模索していきたいと思います。皆さん、どうぞ前橋聖マッテア教会を訪問してください。いつでも歓迎いたします。