マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

逝去者記念の式(前橋空襲慰霊)教話 『慰霊し平和を祈る』

 8月5日(土)に前橋空襲一斉慰霊が前橋の聖マッテア教会でも行われました。
当教会では逝去者祈念の式として執り行いました。教会のホームページにその模様の映像が掲載されました。以下のURLです。
https://www.youtube.com/watch?v=gHCuLm1v9WQ

 当日は、当教会の信徒、一般の前橋市民、日本基督教団・群馬地区の信徒の方たちが一堂に会して、前橋空襲の惨劇を語り継ぎ、この教会の一隅で亡くなった当教会の信徒及び前橋空襲で逝去された方々を慰霊し、私たちが「平和の器」「平和を実現する手段」として用いていただけるよう祈り求めました。
 「前橋聖マッテア教会130年の歴史年表(1889年~2019年)」の中の文章等も活用しました。
 私の教話原稿を下に記します。

<教話>
 教話をさせていただきます。

 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 私たちは逝去者記念の式(前橋空襲慰霊)のため、ここに集められました。この式を皆さんとお捧げできることを感謝いたします。
 
 前橋空襲については、さきほど開会に当たり司会の方から概要が話され、また、この後、前橋学市民学芸員の方から全体について詳しく解説がありますので、私からはこの教会に関わってのことだけお話したいと思います。また、キリスト教における死や平和の考え方等についてもお話ししたいと思います。

 受付でお渡ししたA4の裏表の資料をご覧ください。これはこの本「前橋聖マッテア教会130年の歴史年表(1889年~2019年)」からの抜粋です。P.72 の上の欄「1945年(昭和20年)8月5日の「マッテア教会のできごと」をご覧ください。

 こうあります。
「前橋空襲にて聖堂、幼稚園舎一切の建物焼失。大野司祭は焼夷弾が袖をかすめるも防空壕に避難し無事。その晩構内一隅でエリザベツ福島くに姉が死去」
 当教会の信徒の福島くにさんは「教会だから爆弾は落ちないだろう」と思って教会に避難してきたという話を聞きました。当教会は元々米国聖公会の宣教によりできた教会ですので、米軍は避けると思ったのかもしれません。しかし、姉妹は空襲により命を落とされました。本当に痛ましいことです。
「参考文献より」の中には「礼拝堂、司祭館はじめ、建物全部を焼失した。」とあり、大野敏之司祭の話で「自分たちは防空壕にいたが、弾が自分の右腕スレスレに落ちた。」とあり、九死に一生を得たのだと思いました。また、「附属の幼稚園は建築して3年目で」とあり、もったいないことで、その後幼稚園は再開しませんでした。

 今回、この資料で初めて気がついたことがあります。P.69の旧聖堂外観の下、左側の「某氏証言」をご覧ください。

こうあります。
「教会は戦時中、敵国の宗教ということで目の敵にされていたが、空襲で焼けたことで仲間として見られるようになった。」
 私はこの教会で昭和56年に斎藤章二司祭から洗礼を受けたのですが、章二先生は戦争中は高崎の教会の牧師でしたが出征し、奥様のたまいさんが留守を守っておられ、「聖堂に石を投げられたことがある」と話されてされていたことを思い出します。キリスト教の聖職と信者は非国民と見なされていたのでしょう。「教会が空襲を受けたことで仲間として見られるようになった」とはなんとも悲しいことだと思います。自分の信じる宗教を信仰することも肩身が狭い、はばかれる、そして、批判されたのです。戦争にはこういう面もあるということを思いました。

 次に、キリスト教における死や平和の考え方等についてお話しします。
 キリスト教では、私たちは父なる神様のいる天の御国からこの世に派遣され、この世の生を終えたとき故郷であるその国に帰ると考えております。そこで「帰天」という表現をしています。
 この式の始めに交互に唱えた詩篇第23編をご覧ください。式文の1ペ-ジです。
 この詩は「主はわたしの牧者」の言葉で始まります。これは神様が羊飼いで、私たちはその羊飼いから世話を受ける羊だということです。
 4節に「たとえ死の陰の谷を歩んでも、わたしは災いを恐れない∥ あなた
がわたしとともにおられ、あなたの鞭と杖はわたしを導く」とあります。
 今まさに死のうとしている、その時にあっても「私は恐れない」と言います。
それは「あなた、つまり「神様が」わたしと共にいてくださる」からです。神様がいつも私たちと一緒にいてくださるので、どんなときも恐れない、怖くないと詩人はうたっています。  
 5・6節で、この詩は、私たちが帰るところは、「食卓が整えられた」神様の家で、私たちは永遠にその家に住むと言っています。 
 私たちは、死後は神様の家に帰り(帰天)、先に帰られた皆さんとその場所に永遠にいるのであります。

 最後に、平和についてです。聖堂正面の祭壇の上のステンドグラス「復活のイエス」をご覧ください。

 このステンドグラスが表しているのは復活したイエス様が弟子たちに現れた場面です。ここでイエス様は弟子たちの真ん中に立ち「あなたがたに平和があるように。」と言って、手と脇腹を彼らに示されました。
 ここの「平和があるように」は「平安があるように」とも訳すことができ、ヘブライ語では「シャローム」です。「シャローム」はユダヤ人の日常の挨拶の言葉です。「シャローム」の意味する平和とは、戦いや争いのない状態というより、「神が共におられる」、そうした安らぎの状態を意味します。恐れや苦しみの中にあっても、神が共におられるという平安がイエス様によって示されたのです。この言葉が復活したイエス様の弟子たちへの第一声でした。裏切った弟子たちに対する恨みの言葉ではなく、安らぎを祈る言葉だったのです。そして手と脇腹を見せ、自分が十字架に付き復活したイエスであることを示しました。
 この場面を描いたマッテア教会のステンドグラスでは、イエス様の右の掌にはっきりと釘の傷跡が記されています。それはイエス様が受けた十字架という傷でありますが、それを私たちに見せているのはそれを忘れてはいけない、今日の前橋空襲一斉慰霊に即して言えば、戦争による大きな被害、それを覚えていなさいと言っているようにも思うのであります。
 
 本日の式の最後に歌う聖歌第417番「あなたの平和の」をご覧ください。この曲はアシジのフランシスコの「平和の祈り」を聖歌としたものです。この聖歌はオリジナルを「Make me a channel of your peace」と言い、ダイアナ妃の葬儀で歌われ知られるようになった聖歌です。「channel」は「運河」や「海峡」などと訳されますが、ここでは「手段」や「ルート」という意味と考えられます。「私をあなたの平和を実現するための手段として用いてください」ということです。
 これは、イエス様が裏切った弟子たちに対して恨みではなく安らぎを祈ったことと同様の発想である、と考えます。
 この聖歌は「あなたの平和の器にしてください 主よ 私をあなたの 平和の器に」で始まり、最後は「赦すことにより 私たちは赦され 神の愛を伝える 平和の器に」で終わります。私たちが神様にこのように「平和の器」「平和を実現する手段」として用いていただけるよう祈り求めたいと思います。
 
 この後も、前橋空襲で逝去された方々の慰霊と平和のための祈りを続けましょう。

 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

* 「祈る」ということについて少しお話しします。「祈る」のギリシャ語は、「プロセウコマイ」です。この言葉は直訳すれば「プロス(前に)+エウコマイ(置く)」ですが、では「何の前に何を置くか」と言えば、「神様の前に自分自身を」ということだと思います。つまり、「祈る」ということは「神様の前に自分を置く」ことだということです。
 また、祈る方法として「テオリア」というギリシャ語があります。これはtheoryやtheatreの基になった言葉です。「テオリア」を訳せば「観想」「見神」であり、神との一致を求めて神を観ることと言えます。
 16:50になりましたら短鐘(短いかね)が33回、鳴ります。33はイエス様の地上での生涯の数です。鐘が鳴っている間、そしてその後しばらく、祭壇の十字架のイエス様を見つめて、黙祷いたしましょう。