マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

「巡礼企画~立教女学院、聖マーガレット教会、ナザレの家~に参加して」

 去る12月2日(土)に、宣教協働特別委員会の「巡礼企画」が、立教女学院聖マーガレット礼拝堂、聖マーガレット教会、ナザレの家聖家族礼拝堂を主会場に行われ、妻と前橋の信徒2名と共に参加しました。
 この企画は、北関東教区・東京教区が両教区の合併・新教区設立に向けて交流を深めることの一環として行われています。お互いの教区の教会を相互に訪問し、その教会と置かれている地域について知り学ぶ機会を持ち、また訪問を通して人と地域の交わりが与えられることをねらいとしています。
 ほぼ北関東教区と東京教区の教会を交互に訪問しており、今回が10回目で参加者は14名でした。立教女学院聖マーガレット教会~ナザレの家を徒歩で移動しました。

 当日は午前10時に立教女学院坂下門前に集合し、女学院チャプレンの須賀義和司祭に校内を案内していただき、聖マーガレット礼拝堂等の諸施設を訪れ説明を受けました。当日は土曜で授業はありませんでしたが、部活動等の生徒や教師が数名おりました。1932年建立の聖マーガレット礼拝堂では午後に結婚式が予定されており、ちょうど奏楽者がおられパイプオルガンの演奏を聴かせていただきました。豊かな響きに癒やされました。1877年創立の立教女学院では礼拝が毎日あり、落ち着いた雰囲気で心身をはぐくむのにふさわしい環境と思いました。
 次に訪れた聖マーガレット教会では、まずホールで当教会牧師の塚田重太郎司祭からこの教会の由来、まずは立教女学院のホールとして使用され、それから学校と地域両方のために設立され昨年75周年を迎えたこと等を伺いました。地域のためとしては、月1度、信徒や地域の方に昼食を用意する「ひつじカフェ」が好評とのことでした。教会の紹介ビデオを視聴しました。
 その後、2階の礼拝堂に移動しました。聖マーガレット教会の現在堅信受領者は240~250人くらい、礼拝出席者は平均90人くらいとのことでした。この礼拝堂の「十字架の道行」は静岡の「ラルシュかなの家」の政一さんに依頼して制作してもらったそうです。その一つがこの絵です。

 温かみのある絵です。私は神学校2年生の夏の実習で3週間、「かなの家」に寝泊まりし、政一さんとも親しくさせてもらっていたので旧友に会えたような気がして嬉しかったです。
 翌日の主日礼拝のために奏楽の練習に来られたオルガニストがパイプオルガンを弾いてくださり、聖歌を一緒に歌いました。聖マ-ガレット教会の信徒の方と共に讃美することができ、感謝な時でした。
 またホールに戻り昼食をいただきました。聖マーガレット教会信徒有志の手作りで、「ひつじカフェ」にお出ししたハッシュドビーフやデザートで、とても美味しかったです。歓待してくださった聖マーガレット教会の聖職・信徒の皆さんに感謝いたします。
 
 午後1時過ぎに聖マーガレット教会を出発してナザレの家に向かいました。
聖マーガレット教会〜ナザレの家間は徒歩で約30分でしたが、井の頭公園の中の紅葉や池などを見ながらの移動で長くは感じずに「ナザレの家」に到着しました。 
 聖家族礼拝堂に集合し、ナザレの家管理人の西島厚さんからお話をいただきました。ナザレ修女会が昨年6月に閉院し、今年4月より日本聖公会「ナザレの家」として管区事務所が管理を引き継ぐことになったことや、修女さんから「黙想や研修の場として有効に活用してほしい」と言われたことなどを話されました。そして、これまでは入れなかった修女さんたちの住まいや生活の場(図書室や刺繍室を含む)や研修用の宿泊室等を案内していただきました。最後に礼拝堂で祈りを捧げ、今回の巡礼企画が終了しました。

 私は神学校1年生の年度末に開催された「クリスチャンアカデミー(超教派・校長関田寛雄牧師)」で、ナザレ修女会エピファニー館に二泊したことを思い出していました。観想修道院だったナザレ修女会の精神を引き継ぎ、神様との対話・黙想に心がけたいと思いました。

 次の巡礼企画は2月3日(土)に前橋聖マッテア教会で開催される予定となっています。近隣の教会(カトリック・ハリストス正教会日本基督教団)も訪れ、有意義な巡礼としたいと思います。

 現代の巡礼は、どうあるべきでしょうか?
「現代の巡礼」について、教会問答勉強会のテキストとしてきた竹内謙太郎司祭の「2018年改訂新版 教会に聞く-日本聖公会の教会問答を読み解く-」の中にこうあります(P.252・253)。
『現代の巡礼は、過去の巡礼がそうであったように、主イエスの足跡をたどることに熱心でありたいと思います。ただその場所に立つことだけではありません。主イエスが最も強く深い関心を示された事柄に注目すべきだと思います。(中略)主イエスの立たれた所に立つということは、単に場所だけのものではないはずです。むしろ主イエスが出会われたような人々に出会うことが、聖地旅行を聖地巡礼とすることだと思います。主イエスのおいでになる所こそ目的地とならなければなりません。』
 単に聖地や教会を巡るのでなく、主イエスの関心事や主イエスが心に留めた人々と出会うことに配慮していきたいと思います。それが主イエスの足跡をたどることであり、キリスト者のなすべき現代の巡礼であると考えます。