マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『プロコル・ハルム「青い影」に思う』

 エリック・クラプトンのコンサートで聞いたプロコル・ハルム「青い影」のメロディーが頭から離れず、「確かあったはずだ」と探したら、このシングル盤がありました。若かりし頃に購入し、何度も聞いたことを思い出しました。

 「青い影」(原題:A Whiter Shade of Pale)は、英国のロック・バンド、プロコル・ハルムが1967年に発表したデビュー曲で、全英シングルチャートで6週連続で1位を記録しました。米国や欧州、日本でも大ヒットし、ユーミンもこの曲から大きな影響を受け「ひこうき雲」や「陰りゆく部屋」等を作曲しました。以下のURLで当時のプロコル・ハルム「青い影」のミュージックビデオを観ることができます。
https://www.youtube.com/watch?v=cTxvYuyEssU

 バッハのG線上のアリアからインスパイアされて生まれたロックとクラシックの融合の名曲で、ビデオでも大聖堂の前で撮ったり、オルガンのマシューがカプチン会かベネディクト会の修道士のような祭服を着て演奏していることからも宗教曲を意識していることは明らかです。1967年当時はナイスやムーディー・ブルース等、クラシックから影響を受けたロックバンドも多くありました。しかし、プロコル・ハルムのようなツイン・キーボードのバンドは珍しかったと思います。
 先日のクラプトンのコンサートでは、ツアーメンバーだったゲイリー・ブルッカープロコル・ハルムのヴォーカル・ピアノ)を悼んで「Tears in Heaven」の間奏で「青い影」のメロディーの一節が流れたに過ぎませんでしたが、以下のURLでは、来日したクラプトンのメンバーで1曲、聞く(観る)ことができます。今年の英国、1月1日のチャリティーコンサートでの演奏です。
https://www.youtube.com/watch?v=yHpVnBFSKX8

 ここではクラプトンが心を込めて歌っています。泣きのギターが曲想に合っています。もしかしたら、このバンドのツイン・キーボードはプロコル・ハルムの影響かもしれません。

「青い影」(A Whiter Shade of Pale)の歌詞と和訳を下に示します。歌詞はメンバーの一員で作詞が担当のキース・リード作です。

『A Whiter Shade of Pale』

We skipped the light fandango turned cartwheels ‘cross the floor
I was feeling kinda seasick but the crowd called out for more
The room was humming harder as the ceiling flew away
When we called out for another drink the waiter brought a tray
軽いファンダンゴでスキップしたら フロアの向こうへカートを押し出してしまった
ちょっと船酔いしたみたいだ でも群衆はもっとやれと言っている
天井が飛び去って 部屋はより激しくざわついていた
大声でもう一杯頼んだら ウエイターがトレイを持ってきた

And so it was that later as the miller told his tale
that her face, at first just ghostly, turned a whiter shade of pale
随分遅くなった 粉屋が延々と打ち明け話をするにつれて
彼女の顔色が(最初は幽霊みたいだった)みるみる青白くなってきた

She said, ‘There is no reason and the truth is plain to see.’
But I wandered through my playing cards and would not let her be
one of sixteen vestal virgins who were leaving for the coast
and although my eyes were open they might have just as well've been closed
彼女は言った「理由なんてない、“真実”は明白」
だが僕はトランプをしながらぶらついた
彼女を海岸に向けて発っていった16人のヴェスタの処女の一人のようにさせるわけにはいかない
目は開いているのに 半分寝ているみたいな感じがしていた

If music be the food of love then laughter is its queen
and likewise if behind is in front then dirt in truth is clean
My mouth by then like cardboard seemed to slip straight through my head
So we crash-dived straightway quickly and attacked the ocean bed
もし音楽が愛の糧ならば 微笑みはその女王だ
同じようにもし後ろが前であれば 汚れも実は綺麗なものなのだ
その時までのボール紙のような僕の口は まっすぐ僕の頭を滑り抜けるように思えた
それで僕らは直ちに急速潜航して 海底を攻撃した

 なかなか難解な歌詞です。粉屋の打ち明け話とは、カンタベリー物語の「粉屋の物語」をモチーフにしていると考えられ、それは粉屋の主人が妻を若者に寝取られる話です。であればここでは、暗に「不義を犯しているか」と聞き、妻が「理由なんてない、“真実”は明白」と言って、それを認めるように展開しています。このようなことから、この「青い影」の歌詞は、不貞を行ったパートナーをゆるせるかどうかがテーマのように思いました。
 そのことから思い浮かべたのは旧約聖書のホセア書です。ホセア書の主たる内容は「預言者として神に召されたホセアに対する神の試練と、その試練に耐えて不義の妻を許したホセアが、主を捨て、バールを礼拝し、宗教的にも道徳的にも腐敗したイスラエルの人々に、不義に対する神の罰と悔い改めによる罪のゆるしについて説くこと」です。ホセアは「愛の預言者」と言われ、自分の妻ゴメルの不貞をゆるした体験から、神も人々が偶像崇拝から立ち帰れば愛と憐れみでゆるしてくださると説きました。

 自分がこのような立場になったらゆるせるかどうか、心もとないところがありますが、思うのは「ゆるしと祈り」の関係です。祈りのないところにはゆるしはないと思います。祈りによりゆるしが可能になるといえると思います。
 マルコによる福音書11:25にこうあります。
『また、立って祈るとき、誰かに対して何か恨みに思うことがあれば、赦してあげなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの過ちを赦してくださる。』
 私たちは自分を省みれば、誰も神の前に自分の正当性を訴えることはできません。その自分が人を罪に定めることができるでしょうか? 恨みに思うことはあっても祈る時に赦すことをイエス様は求めておられます。祈りにおいて他人を赦せば自分も赦されるのであります。

 このようなことを「青い影」の歌詞から思い巡らしました。また、曲想でいえばプロコル・ハルムはバッハの音楽を現代風に甦らせ、多くの大衆の支持を得ました。私も2000年以上前の御言葉を今の状況に即して、目の前の人々に甦らせることができるよう祈り求めたいと思います。