マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「バビロン川のほとりで」に思う(1)』

 先日、2月4日(金)の朝、NHKFMの「古楽の楽しみ」の「古楽のキーワード」のコーナーは、コラール「バビロン川のほとりで」についてでした。番組では3曲が紹介されていました。それはカンタータ「バビロン川のほとりで」BWV267(バッハ作曲)、コラール幻想曲「バビロン川のほとりで」(ラインケン作曲)、「「ライプツィヒ・コラール集」からバビロン川のほとりで BWV653」(バッハ作曲)でした。
 私が親しんでいたのは、3曲目のオルガンソロBWV653(バッハ作曲)で、特にシュヴァイツァーのこのアルバムの演奏でした。

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 「バビロン川のほとりで 」は「ライプツィヒ・コラール集」の3曲目にあります。シュヴァイツァーはこの曲集を「音楽史における最大の出来事のひとつ」と呼んでいたそうです。シュヴァイツァーの 「バビロン川のほとりで 」はこのアドレスで聴くことができます。
  https://www.youtube.com/watch?v=SzUDhoYxuI8
   医師・神学者でもあったシュヴァイツアーの深い精神性に溢れる演奏だと思います。

 「バビロン川のほとりで」は、詩篇137篇の詩に基づき、南ユダ王国が、新バビロニア王国のネブカデネザル2世の時代に滅ぼされて住民の多くがバビロンの都へ連行された「バビロン捕囚」にまつわるものです。詩篇137 篇はこうです(祈祷書による)。
1   バビロンの流れのほとりに座り シオンを思い、すすり泣いた
2   そこの柳の木に∥ 竪琴を掛けた
3  わたしたちを捕らわれ人にした者が歌を求め 虐げる者が自分の慰めに、「シオンの歌をうたえ」と命じた
4   異国の地にあって どうして主の歌が歌えよう
5  エルサレムよ、お前を忘れるよりは わたしの琴を弾く右手が衰えた方がよい
6 もし、わたしがエルサレムを思わず、それを最上の喜びとしないなら わたしは口が利けなくなった方がよい
7 主よ、エルサレムが滅ぼされた日に、エドムの子らのしたことを思い起こしてください 彼らは叫んで言った、「崩せ、崩せ、その基まで」
8 バビロンの娘よ、滅ぼされる者よ お前がわたしたちにしたとおりに仕返しする者が出る
9 お前たちの子供たちを奪い取り 岩をなげうつ者は幸せ
  この詩編には、故郷エルサレムを遠く離れたバビロン川のほとりで捕囚となった自らの身を嘆き、バビロンに対する強烈な復讐心が表れています。

 コラール前奏曲BWV.653は、同じくバッハのコラールBWV.267 「An Wasserflüssen Babylon 」に基づく作品です。礼拝で会衆が歌うコラールの旋律を元に作曲されたオルガン曲で、礼拝開始前に演奏された曲です。詩編137の歌詞は悲嘆にくれる内容ですが、このコラールの旋律は対照的に明るく感じられます。

 この詩編は2600年以上前のものですが、人生の機微に溢れています。祈ることができないときは詩編を読むことが推奨されています。それは理解できることですが、さらに祈れないとき私はバッハのコラールを聴いています。特にシュヴァイツァーの演奏を聴いています。プロの演奏者の精緻に富む演奏とは違いますが、彼の演奏は祈りに満ちています。