マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『遠藤周作「深い河」に思う②』

 前々回、遠藤周作「深い河」の読書会について記しました。この本「深い河(ディープ・リバー)」の題辞、1章の直前に、「深い河、神よ、わたしは河を渡って、集いの地に行きたい 黒人霊歌」との記述が見られます。題辞(エピグラフ)はテーマと関連する言葉が選択されます。「深い河」においては、黒人霊歌「ディープ・リバー」のこの歌詞が作品のテーマと大きく関わると考えられます。

 私の本棚には「『深い河』創作日記(講談社文芸文庫)」もありました。

 この本の巻末には「2016年5月10日第一刷発行」と記されていました。映画「沈黙」の公開直前に、また遠藤周作に関心を持ち購入したように思います。この本のP.129 にこうあります。
『1992年(平成4年)11月9日(月) 「河」という題が「深い河」という題に変わったのは黒人霊歌の「深い河」を昨日聞いて、それこそこの小説の題をあらわしていると思った。作品中にこの霊歌を暗示する一節を入れたい。』
 遠藤周作が友人の文芸評論家に当てた手紙によれば、このとき聞いたのは、このバーバラ・ヘンドリックスのCDのDeep Riverをだったそうです。

   1月13日の読書会では、私はこのCDとCDラジカセを持って行きました。この中のDeep Riverを、読書会の参加者に聴いていただきました。この演奏は以下のURLで聴くことができます。
https://youtu.be/pGb8S-vEcF8?si=POim7FUV-xYxJRXv
 
 先日の読書会では、歌詞と訳詞を印刷して、それを見ながら聴いてもらいました。こうです。

Deep river, my home is over Jordan,
Deep river, Lord,
I want to cross over into campground.
深い河 私の故郷はヨルダン川の向こうにある
深い河 神様、私は河を渡って 集いの地へ行きたい

Oh don't you want to go to that gospel feast,
That promis'd land where all is peace?
Oh deep river, Lord,
I want to cross over into campground.
ああ、あの福音の宴に行きたくないか?
平和に満ちた約束の地に行きたくないか?
深い河 神様、私は河を渡って 集いの地へ行きたい

 この歌詞は、ヨシュアに導かれたイスラエルの人々が、約束の地であるカナンに入ろうとしている状況を歌っています。ヨシュア記3章1節にこうあります。
ヨシュアは朝早く起き、イスラエルの人々すべてと共にシティムを出発し、ヨルダン川に着いた。彼らは川を渡る前に、そこで夜を過ごした。』

 同時にアメリカ南部の黒人たちにとっては、ノースカロライナ州に存在する「Deep river ディープ・リバー」が念頭にあったと考えられます。
 ノースカロライナ州では奴隷制が採用され、南北戦争の際には、奴隷制の維持に賛成する南部州の一つとして北軍(北部州)と戦いました。北部州と南部州の境界に位置する州として、そこを縦断するように流れる河川「Deep river(ディープ・リバー)」は、ヨルダン川のように、自由と隷属、生と死の境として象徴的に解釈されます。
 黒人たちにとって「深い河」とは、見方を変えれば「この川の向こうには自由の世界がある」という希望が託されていたように思います。
 
 そして、「河」は大河であり、すべてが流れて行く場所でもあります。この小説における「深い河」はインドのガンジス川です。「深い河」本編のP.342にこうあります。ガンジス川に身を沈めた美津子の言葉です。遠藤周作が言っていた「作品中にこの霊歌を暗示する一節」かもしれません。
『「信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です」と、美津子の心の口調はいつも間にか祈りの調子に変わっている「その人たちを包んで、河が流れていることです。人間の河。人間の深い河の悲しみ。そのなかにわたくしもまじっています』
 この言葉が遠藤周作の宗教観を代弁しているように思います。河は、多くの方の悲しみや思いを包み込んで流れます。そして「深い河(ディープ・リバー)」が流れていく先には「神の国」があるように私には思われます。そして、遠藤周作もそのように思っていたのではないか、と私は想像しております。