マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『遠藤周作「深い河」に思う①』

 かつて一緒に養護学校で勤めたKさんから旧群馬町の図書館で行われている読書会に誘われ、11月4日と先日1月13日に参加しました。それが遠藤周作「深い河」の読書会でした。ここの読書会は「もえぎの会」という名前で、もう30年以上続いているそうでした。この読書会で、ひっかった作品が二つあり、それが「カラマーゾフの兄弟」と「深い河」だったそうです。そこで、今回また「深い河」を取り上げたそうです。11月4日が2回目、12月は教会行事があり参加できず、1月13日が4回目でした。11月4日は15名、1月13日は14名の参加者があり、皆さん、熱心に読んでいる様子が伝わりました。しかし、キリスト教についてはあまりご存知なく、その視点からの考察については弱いように感じました。そこで、司祭である私にお誘いがあったのでした。
 私にとって遠藤周作三浦綾子と並んで、特に20代の後半の信仰に入る前後によく読んでいた作家でした。「深い河」の文庫版を家の本棚で見つけました。

 この本は巻末に、1996年12月18日第3刷発行とありました。遠藤周作は1996年9月26日に73歳で亡くなっていますので、その直後に私はこの本を購入し読んだのだと思います。「深い河」は彼の遺作であります。
 遠藤周作は生前、自分の棺には「沈黙」と「深い河」を入れてほしいと言っていて、実際にそうされたそうです。それほど思い入れのある作品だったのだと思います。
 「深い河」において遠藤周作は、「彼の思うキリスト教像」を提示しています。執筆直前に読んだジョン・ヒックの「宗教多元論(あらゆる諸宗教を等しく価値あるものとみなす)」にインスパイアされ執筆しました。

 この小説では5人の人物の物語が綴られています。概略は以下の通りです。
「磯部の場合」
 磯部は、妻を癌で亡くした。妻は臨終の間際に「必ず輪廻転生するから自分を見つけてほしい」と言い残して死んだ。妻の言葉が気になった磯部は、知り合いの研究者に連絡する。そして前世で日本人の記憶を持つ少女がインドにいることを知る。空虚感を埋めるため、磯部はインドへ向かった。
「美津子の場合」
 キリスト教主義大学の学生だった美津子は、神父を志す大津を弄んだ。「キリストを裏切ればガールフレンドになってあげる」と言って、彼を虜にし、最後には捨てた。その後、新婚旅行先のフランスで彼女は大津と再会する。彼がキリスト教信仰に生きる道を見いだしていることを知り、美津子は自分にないものを彼の中に感じる。しばらくして、離婚した美津子は、大津がインドの修道院にいる噂を聞く。大津の持つ何かを知るために、彼女はインドへ向かう。
「沼田の場合」
 童話作家の沼田は、少年期に大連に住んでいたが、親の離婚で帰国することになり、最愛の飼い犬との離別を余儀なくされた。この体験を基に彼は童話を書いている。ある時、結核を再発する。病室に飼っていた九官鳥を連れてきてもらった。しかし、餌をやり忘れた結果、九官鳥は死んでしまう。医師から自分が手術中に一度心肺停止した事実を知らされた彼は、九官鳥が身代わりになってくれたのだと思う。そのため九官鳥へのお礼として、野生保護区のあるインドに向かい、現地で購入した九官鳥を保護区に放してやろうと決めた。
「木口の場合」
 戦時中にビルマの作戦に参加した木口は、絶望的な退却戦で瀕死状態に陥った。そんな彼を救ったのは友人の塚田だった。戦後に再会した塚田は、アル中になっていた。あの絶望的な退却戦で、塚田は生き延びるために戦友の死肉を食べ、そのことでずっと苦しんでいた。塚田の死後、木口は彼や他の戦友や敵兵を弔うために、仏教発祥の地であるインドへ向かうのだった。
「大津の場合」
 神父を志す大津は、大学時代に美津子に弄ばれて捨てられる。そんな惨めな自分を救ってくれるのはキリストだと再確認する。その後フランスに留学した彼は、西洋の排他的なキリスト教への疑問を呈し、異端者扱いされ、教会を追い出される。それでも大津は、日本人的キリスト教を模索する。行き場を失った彼はインドのガンジス付近の修道院に入るが、そこも追い出され、最終的にはヒンズー教徒の集団に受け入れて貰う。そして、路上で死んだ人たちを運び、火葬してガンジス川に流す仕事をしていた。そんなある日、彼はガンジス川の畔で美津子と再会した。
 大津以外の4人がインドを巡るバスの中で一緒になり、人間模様がモザイクのように重なり合い物語を織りなしています。

 「深い河」は1995年に熊井啓監督によって映画化されました。キャストは以下の通りです。映画では「沼田」がカットされ、逆に「江波」という新婚旅行のカップルが挿入されています。
 美津子:秋吉久美子 大津:奥田瑛二 磯辺:井川比佐志 磯辺の妻:香川京子
 木口:沼田曜一 塚田:三船敏郎 塚田の妻:菅井きん 江波:杉本哲太  
 映画「深い河」は英語字幕付きで、このURLで観ることができます。
https://youtu.be/MhpOSXDwSiI?si=gz491oFMns4gRZ4X
 遠藤周作はこの映画を観て感動し涙を流していたそうですから、かなり彼の意にそった作品になっていると思います。

 主人公と考えられる大津の西洋的キリスト教への疑問は、遠藤周作自身や彼の親友の井上洋治神父の思いを重ね合わせます。また、路上で死んだ人たちを運ぶ大津の姿には、マザー・テレサや大阪釜ヶ崎で活動している本田哲朗神父を思い浮かべます。
 もう一人の主人公、美津子は真実の生き方を探している求道者であると思います。
 7章「美津子の場合」のP.71に、大学のチャペルで美津子が祈祷台に置かれた聖書でたまたま開いた聖句が示されています。イザヤ書53章の苦難の僕です。
「彼は醜く、威厳もない。みじめで、みすぼらしい
 人は彼を蔑み、見捨てた。
 忌み嫌われる者のように、彼は手で顔を覆って人々に侮られる
 まことに彼は我々の病を負い 我々の悲しみを担った」
 美津子はこれを読み、「なんで大津はこんな実感のない言葉を信じられるのか」とつぶやいています。
 しかし、私はここに遠藤周作はさりげなくテーマの一つを示しているように思います。彼の信じるキリスト教はこの苦難の僕のキリストを信じることで、これこそが真実と言っているように私には思えるのです。
 遠藤周作「深い河」から、このようなことを思い巡らしています。