マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「沖縄週間/沖縄の旅」に思う』

 今年の「沖縄週間」は6月20日~25日でした。先主日の説教でも触れましたが、私は22日(水)と23日(木)の両日、「沖縄週間/沖縄の旅Webプログラム」に参加しました。今回初めてこの旅に参加しました。これまでも関心はありましたが、なかなかこの時期にまとまった時間を取って沖縄に行くことは難しく、参加を見送っていました。しかし今回は、オンラインによる午後7時からの開催ということでハードルが低くなり参加できました。また、私は教区の人権担当で、今年、北関東教区が東京教区と協力して開催する「2022年人権セミナー」の準備委員であり、10月にこれもオンラインで行いますので参考にしたいという思いもありました。

 本土復帰及び沖縄教区移管50周年である今年のプログラムは、復帰の意味について思い巡らし、主イエス様のみ言葉に聴き、参加者一人一人が平和について歩み出すことを目指して構成されていました。今回はこれまでの「沖縄週間/沖縄の旅」の実施状況や反省を踏まえ、限られた時間内で様々な工夫をされたプログラムだったと思います。
 今回のテーマは「命(ぬち)どぅ宝(たから)~すべては神様の創られた大切な命~」、中心聖句は「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネによる福音書 第13章34節)でした。

 以下、印象的だったことについて記します。
 まず、第1夜の「開会の祈り」に続く上原榮正沖縄教区主教様の「あいさつ」に大きな示唆をいただきました。主教様は日本の皇民化政策等の沖縄の歴史に触れ「復帰というが、どこへの復帰かという問いかけであり、平和憲法への復帰だったと思っている」と話され、この「沖縄週間/沖縄の旅」で「私たちが取るべき道を分かち合いたい」と期待を述べられました。
 続く、小林祐二司祭様による「アイスブレークの時間」は「ちむどんどん」等沖縄の言葉の紹介で、楽しく学ぶことができ、緊張を解く役割も果たしました。
 そして、「本土復帰についての証言」をお二人(聖職・信徒)からビデオで伺いました。高良孝誠司祭様のお話は、米国聖公会沖縄伝道教区から日本聖公会沖縄教区への移管について、「米国聖公会時代から礼拝も最初から日本語であり、大きな反対はなかったように思う」とのことでした。真喜屋明さん(島袋諸聖徒教会信徒)の「ぜひ沖縄に来て現状を見てもらいたい、一緒に礼拝をして陪餐を受け交流してほしい」との言葉が印象的でした。その後のグループシェアリングでは、6人ずつ7つのグループに分かれ、30分間分かち合いの時を持ちました。グループ内に沖縄の方もいて、50年前及び現在の様子を具体的に伺うことができ有意義でした。

 第2夜は、沖縄教区の仲宗根遼祐聖職候補生がご自身のお祖父様(81歳)にインタビューするビデオを見て、復帰前後の様子を知ることができました。復帰前に労組の反対運動があったことや「復帰して良かった」とお話されていました。
 続いて、「グループ別聖書の分かち合い」が「スウェーデン方式」で行われました。この方式については前々回のブログで詳しく説明しました。これにより、一人一人の参加者が中心聖句を自分との関係で思いを深めました。さらに、グループごとのまとめを漢字一文字で表すように課題が提示され、各グループでさらに沖縄や平和について分かち合い、私たちは「赦」としました。この作業はかなり難しかったです。

 今年の「沖縄週間/沖縄の旅」は、参加者一人一人が復帰50年を迎えた沖縄在住の方の思いを知り、平和について思い巡らすことができ、平和のために歩み出すきっかけになったと思います。ただ、私のように今回初めての参加者がいることを踏まえ、現在の沖縄の現実について、たとえば外から見た基地の様子や島における基地の占める面積の分かる映像等を見たかったと思いました。次回の「沖縄週間/沖縄の旅」では、実際に沖縄に伺い現状を見て、共に礼拝を捧げることができるよう祈ります。

 最後に、主日の礼拝でもお捧げした「沖縄週間の祈り」を記します。祈ります。
『歴史と生命の主である神よ、わたしたちを平和の器にしてください。
 嘆きと苦しみのただ中にあなたの光を、敵意と憎しみのただ中にあなたの愛と赦しをお与えください。 
 わたしたちの出会いを通して悲しみの中に慰めを、痛みの中にいやしを、疑いの中にあなたへの信仰を、主よ、豊かに注ぎ込んでください。
 この沖縄週間を通してわたしたちを新たにし、あなたの示される解放と平和への道を歩む者としてください。
 わたしたちの主イエス・キリストのいつくしみによって、このお祈りをお献げいたします。 アーメン』