マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

「エリザベス女王葬送式」に思う

 英国の女王エリザベス2世は去る9月8日に逝去され、国葬が19日(月)に行われました。女王は英国聖公会の首長(Defender of the Faith)でもありました。葬送式は、現地時間午前11時(日本時間午後7時)からロンドンのウェストミンスター寺院で執り行われました。この「葬送式」は、全く「The service(礼拝)」と呼ぶに相応しいものでした。
 今回はこの「エリザベス女王葬送式」について思い巡らしたいと思います。

 この式文は、下のURLからダウンロードすることができます。
https://www.westminster-abbey.org/media/15467/order-of-service-the-state-funeral-of-her-majesty-queen-elizabeth-ii.pdf

   BBCは聖歌の楽曲や聖書の朗読場所の選定にはエリザベス女王本人の希望も反映されていると伝えています。聖書朗読はイギリス連邦の長官や英国の首相、祈りはスコットランド教会(長老派)やローマ・カトリックの聖職等も行い、多方面から、そしてエキュメニカルなものでした。
 最初から最後まで、美しい聖歌隊の賛美と聖書朗読、参列者の交唱と聖歌が続き、まるでオラトリオを聞いているようでした。ダイアナさんの葬送式の時のようにCDが出されたら、繰り返し聞いてみたいと思いました。
 主な楽曲は以下のようでした。
 4つの幻想曲、 オーランド・ギボンズ (1583-1625)
 Romanza (Symphony no 5 in D), ヴォーン・ウイリアムズ (1872-1958)
 Reliqui domum meum、マックスウェル・デイヴィーズ (1934-2016)
「ブラザー・ジェームズのアリアについての黙想、ハロルド・ダーク (1888-1976)
「Ecce jam noctis」による前奏曲 作品 157 の 3、ヒーリー・ウィラン (1880-1968)
 詩篇前奏曲1 の 2、ハーバート・ハウエルズ (1892-1983)
「田舎で」 作品194の2、ヴィリヤーズ・スタンフォード (1852-1924)
「オー・パラダイス」のファンタジー、マルコム・ウィリアムソン (1931-2003)
 Elegy Op 58, Edward Elgar (1857-1934) 
 Andante espressivo (Sonata in G Op 28), エドワード・エルガー
 Sospiri Op 70、エドワード・エルガー
  「味わい、見よ、主の恵み深さを」ヴォーン・ウイリアムズ (1872-1958)

 読まれた聖書は最初にⅠコリント15章20–26節、53節でした。そこではキリストの復活が初穂であり、私たちは死に勝利したものとして終わりに日に新しいからだで復活すると約束されています。
 その後、先日就任したばかりのリズ・トラス首相がヨハネによる福音書14章1–9aを朗読しました。そこでは「私が道であり、真理であり、命である⋯⋯私を見た者は父を見たのだ」という有名な言葉が記されています。NHKの同時通訳者は、「Truth(真理)」を「真実」と訳していました。なお、ここの聖書は欽定訳で格調高い英語でした。

 その後、ジャスティン・ウェルビーカンタベリー大主教の説教がありました。大主教は、「この日の悲しみは、亡き女王の家族だけでなく、英国、イギリス連邦、世界のすべての人々が感じており、今はもう私たちの前から消えてしまった、彼女の豊かな人生と愛に満ちた奉仕から生じている」と述べ、「21歳の誕生日に、生涯、公務に身を捧げると宣言したのはよく知られている。これほどまでに約束が守られたことはほとんどない」と述べました。さらに、女王の生き方について「国に仕え人々に仕えるというリーダシップである」いうふうに語られました。そこでは「どのように生きるか」というよりも、「誰に仕えていたか」という視点の大切さを強調していました。女王は、終生キリストに仕え、国民に仕えて来たというものでした。
 
 参列者が歌った聖歌は3曲でした。女王自身が選んだもののようで、どれもよく知られており、私たちも礼拝でよく歌います。
The day thou gavest, Lord, is ended,(聖歌32「この日も暮れゆきて 今朝のほめ歌」)
The Lord's my shepherd, I'llnot want;(聖歌461「主はわが飼い主 われは羊」)
Love divine, all loves excelling,(「聖歌491「あめなる喜び こよなき愛を」)

 今回はこの中の2曲目、The Lord's my shepherd, I'llnot want;(聖歌461「主はわが飼い主 われは羊」)に焦点を当てます。
 メディアはこの聖歌が1947年の女王の結婚式で歌われたことを強調していました(確かにこれによってこの聖歌は親しまれるようになりました)が、聖歌461の歌詞は詩篇23編に基づくもので、この詩篇は葬送式では必ず唱えられるものであり、この場にふさわしい選曲と言えます。
 以下のURLでこの葬送式での歌唱を聞く(見る)ことができます。
https://twitter.com/i/status/1571823888966848513

 原詩はこうです。
1 The Lord's my shepherd; I'll not want. He makes me down to lie
 in pastures green; he leadeth me the quiet waters by.
2 My soul he doth restore again and me to walk doth make
 within the paths of righteousness, e'en for his own name's sake;
3 Yea, though I walk in death's dark vale,  yet will I fear no ill; 
 for thou art with me, and thy rod and staff me comfort still.
4 My table thou hast furnished in presence of my foes;
 my head thou dost with oil anoint, and my cup overflows.
5 Goodness and mercy all my life shall surely follow me,
 and in God's house forevermore my dwelling place shall be;

聖歌461はこうです。
1.主はわが飼い主 われは羊  み恵みによりて すべて足れり
2.緑の牧場に われを伏させ  憩いの水辺に 伴いたもう
3.主はわが魂 生きかえらせ  正しき道へと 導きたもう
4.死の陰の谷を 行くときにも  わざわい恐れじ 主 ともにます
5.恵みにあふるる 宴ひらき  油そそぎたもう わが頭に
6.命ある限り 幸は尽きず  主の家にわれは 永遠に住まわん

 この聖歌は詩篇23編をパラフレーズしたスコットランド詩編歌です。詩篇23編そのものといえるほど聖書に忠実です。
  この聖歌は「主はわが飼い主 われは羊」で始まります。これは神である主が羊飼いで、私はその羊飼いから世話を受ける羊だということです。ここでは羊飼いである神に導かれていく歩みを「み恵みによりて すべて足れり」と歌い、その豊かさを具体的に述べています。羊飼いが、緑の牧場に羊を導き、牧草を食べさせ、また、水場に伴われ、水を飲ませるように、神は、厳しい日々の私の歩みを支え導き、必要を備えて下さると歌っています。4節に「死の陰の谷を 行くときにも  わざわい恐れじ 主 ともにます」とあります。今まさに死のうとしている、その時にあっても「わざわい恐れじ」と言います。それは「主が私と共にいてくださる」からです。最後に、この聖歌は、私が帰るところは神の家で、私は永遠にその家に住むと歌っています。

 葬送式の終盤で、カンタベリー大主教は女王に「告別の祈り」を捧げました。この祈りは、故人の魂を神のもとにゆだねる祈りとして唱えられているものです。

 エリザベス女王の葬送式は、ほぼ日本聖公会祈祷書の葬送式文の流れに沿っていました。女王というより一人のキリスト者が神のものとで安らかに憩うことができるように、参列者が共に祈りを捧げる礼拝といえるものでした。
 全世界の多くの人々がまた日本の多くの人々が、女王の葬送式を通して、キリスト教の死生観や福音の核心に触れることができました。

 女王の逝去が伝えられた2時間後にカンタベリー大主教が公表した「祈り]はこのようでした。

    女王もまた神の僕であり、彼女の信仰や義務を果たしたことを神に感謝しています。そして、女王の見本が私たちに霊感を与え続けるように祈っています。
 私たちも、信仰を大切に、与えられた義務を果たすことができるよう、聖霊の導きにより主の御心を行うことができよう祈り求めたいと思います。