マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『トルストイ「イワン・イリッチの死」に思う』

 個人的なことになりますが、8月13日(日)の夕方から発熱があり、抗原検査をすると「陽性」でした。その夜から3日間発熱が続き、特に深夜に高熱が出ました(13日は40.1度、14日は39.6度、15日は38.7度)。16日(水)にやっと37度台になり、医者に行くことができました。その後は急速に熱は引きましたが、未だ咳が止まらず、体調は完全ではありません。
 20日の礼拝はそのように体調に不安があり司式・説教をできる状況になかったので、前橋の教会の担当でしたが他の聖職にお願いしました。
 
 熱が下がって横になりながら、時間がとれたら読もうと思っていた本を読むことにしました。トルストイ、晩年の中編「イワン・イリッチの死」です。黒澤明の映画「生きる」の原作としても知られています。この本は、最近はアメリカの病院チャプレンの継続研修の資料となっているそうです。
 私が読んでいるのは、この米川正夫訳の岩波文庫版です。

 この文庫版の表紙にある作品紹介はこうです。
『一官吏が不治の病にかかって肉体的にも精神的にも恐ろしい苦痛をなめ、死の恐怖と孤独にさいなまれながらやがて諦観に達するまでの経過を描く。題材は何の変哲もないが、トルストイ(1828‐1910)の透徹した人間観察と生きて鼓動するような感覚描写は、非凡な英雄偉人の生涯にもましてこの一凡人の小さな生活にずしりとした存在感をあたえている。』
 実際に読んでみると「諦観に達する」とは必ずしも言い得てはいないと思いました。私の目からこの本を見つめてみたいと思います。

 「イワン・イリッチの死」のあらすじはこのようです。
『裁判所判事イワン・イリッチが死んだ。彼は頭がよく、順調に出世街道を駆け上がる人物だった。また、収入を重視する俗物だった。打撲がもとで内臓系の病気になり、苦痛にのたうちまわる。その中で自分の人生が虚飾だったことに気づく。
 肉体的な苦しみもそうだが、それ以上に理解されない精神的な苦しみが大きかった。そして最後の捜し物をする。結果としてこのように思い当たる。
「私の人生は、なにもかも間違っていた、だがかまわない、なすべきことをすることはできる」
 彼は息子と妻を憐れみ、そのことによって救われる。
「なんと簡単なことだろう。では、死は? 死はどこだ?」
(以下引用P.102)
 彼は古くから馴染みになっている死の恐怖を探してたが、見つからなかった。いったいどこにいるのだ? 死とはなんだ? 恐怖はまるでなかった。なぜなら、死がなかったからである。
 死の代わりに光があった。
「ああ、そうだったのか!」彼は声にたてて言った。「なんという喜びだろう!」(~中略~)
「いよいよお終いだ!」誰かが頭の上で言った。
 彼はこの言葉を聞いて、それを心の中で繰り返した。「もう死はおしまいだ」と彼は自分に言い聞かせた。「もはや死はなくなったのだ。」
 彼は息を吸い込んだが、それも中途で消えて、ぐっと身を伸ばしたかと思うと、そのまま死んでしまった。』

 これだけ読むと単純な物語のように思えるかもしれませんが、実際は紆余曲折があり、まるでキューブラー・ロスの「死の瞬間」のように「なぜだ? なぜ私に? 私の人生はこれで良かったのか? 私の何が良くなかったのだ?」などど自問自答が繰り返されます。
 職場でいかに地位や名誉を得ても、それは死を前にしては何の解決も与えません。では、死を前にした人が求め、必要なことは何でしょうか?

  この小説では3つのことが描かれていたと思います。
 一つは、病を得て仕事の同僚や家族からも疎まれたイワン・イリッチが心をゆるし信頼を置いた使用人、ゲラーシムの対応や発想です。彼は、体の動かなくなったイワン・イリッチのトイレを含めた身の回りの世話を厭わずやっていました。「堪忍してくれ」というイワンに対して、ゲラーシムは「骨折るなあ当たり前じゃございませんか。なにしろ旦那はご病気なんですからね。」と言います。ゲラーシムだけがイワンの状況を理解して、彼を気の毒に思いました。そこでイワン・イリッチは、この男と一緒にいる時だけ気持ちがよかった、と記しています。「死」に対して、ある時、ゲラーシムは「何事も神様のお心でございますよ。誰だってみんな、あそこへ行くんでございますからね。」と言いました。さらに、P.72にこうあります。
『人間はみんな死ぬ者ですからね、骨折るなあ当たり前でがすよ。と彼は言った。それは自分がこうした労苦を厭わないのは、死にかかっている人間のためにしているからで、こうして置けばまた自分が死ぬる時にも、だれか同じ苦労をとってくれるかもしれない、といったような気持ちを現したものらしい。』 

    ゲラーシムの相手を理解しよう、相手の気持ちに寄り添った対応、自分がしてほしいことを人にもしようという発想こそが必要なことを伝えています。

 次に描かれていたのが、死の三日前の聖餐式についてです。これは妻の懇願により実施されました。P.97にこうあります。
『妻がそばへ来て言った。「Jean、後生ですから、わたしのためにしてちょうだいな。それはなにも害になるわけじゃありません。それどころか、かえってよく利くことがあるんですもの。」
 僧が来て懺悔の式を執り行った時、彼は気分が和らいで、なんとなく疑惑が軽くなり、したがって、苦しみも薄らいだように思われた。一瞬間、希望が彼を訪れた。彼は目に涙を受けながら聖餐にあずかった。
 聖餐式がすんで、床に寝かされた時、彼はちょっとの間、気分が軽くなった。そして、再び生きる希望が現れた。』
 死を目前とした時も、いやその時だからこそ、御聖体の果たす役割と力は大きいものがあるのだと気づかされました。

 最後は、家族のイワン・イリッチへの関わりです。この聖餐式と同じ頃、イワン・イリッチ夫妻が望んでいた相手が娘へ正式の結婚の申し込みをして、彼を安心させました。さらに死の二時間前に、中学生である息子が父の部屋にそっと忍び込んで、寝台のそばへ寄りました。P.100にこうあります。
『瀕死の病人は絶えず自暴自棄に叫び続けながら、両手を振り回していた。ふとその片腕が中学生の頭に当たった。中学生はその手をつかまえて、自分の唇へもってゆくと、いきなりわっと泣き出した。
 ちょうどその時、イワン・イリッチは穴の中へ落ち込んで、一点の光明を認めた。そして、自分の生活は間違っていたものの、しかし、まだ取り返しはつく、という思想が啓示されたのである。彼は「本当の事」とは何かと自問して、耳傾けながら、じっと静まりかえった。その時、誰かが自分の手を接吻しているのを感じた。彼は目を見開き、わが子のほうを見やった。彼は可哀想になってきた。妻がかたわらへ寄った。彼は妻を見上げた。妻は口を開けたまま、鼻や頬の涙を拭こうともせず、絶望したような表情を浮かべながら、じっと夫を見つめていた。彼は可哀想になってきた。
 すると、突然はっきり分かった。-今まで彼を悩まして、彼の体から出て行こうとしなかったものが、一時にすっかり出て行くのであった。四方八方、あらゆる方角から。妻子が可哀想だ。彼らを苦しめないようにしなければならない。彼らをこの苦痛から救って、自分も逃れなければならない。』
 最愛の息子の愛の行為である接吻が一点の光明となりました。そして、妻の慈しみから来る涙が彼の家族への思いやりを生み出したのです。それが彼の中から出て行ったのです。

 死を前にした人に必要なことは、シンプルなことと思われるかもしれませんが、家族や周りにいる人が寄り添い愛の行為を行うこと、そして宗教の存在であると私は思います。思い浮かべた聖句があります。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイによる福音書7章12節)
 いわゆる黄金律(ゴールデン・ルール)ですが、この節の前に「天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる。」とあり、神の恩寵が先にあることを忘れずにいたいと思います。
「自分がしてほしいことを人にもしよう」という発想こそ、人が人生を歩むときも、死を前にしても、最も重要なもののと考えます。
 トルストイ作「イワン・イリッチの死」から、このようなことを思い巡らしました。