マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「主よ、人の望みの喜びよ」に思う』

 先主日は「喜びの主日」でした。すべての人の救い主であるイエス様がもうすぐ来られるという大きな喜びがテーマの主日でした。イエス様自身が「喜び」でもあります。そのことを表している曲があります。それがヨハン・セバスチャン・バッハの「主よ、人の望みの喜びよ」です。この曲名はバッハが1723年に作曲した教会カンタータ『心と口と行いと生活で』(BWV147)の終曲のコラール「イエスは変わらざるわが喜び」(Jesus bleibet meine Freude)の、英語によるタイトル"Jesu, Joy of Man's Desiring"に基づきます。私の好きなバージョンは、ケルティック・ウーマンによるものです。ファーストアルバムの中にあります(日本盤ボーナストラック)。

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 下のアドレスから御覧いただけます。
https://www.youtube.com/watch?v=JA1P2jG-EnE
 
 歌詞はこうです。

Jesu, joy of man's desiring
Holy wisdom, Love most bright
Drawn by Thee, our soul aspiring
Soar to uncreated Light
Word of God, our flesh that fashioned
With the fire of Life impassioned
Striving still to truth unknown
Soaring, dying round Thy throne
Jesu, joy of man's desiring
Holy wisdom, Love most bright
Drawn by Thee, our soul aspiring
Soar to uncreated Light
Word of God, our flesh that fashioned
With the fire of Life impassioned
Striving still to truth unknown
Soaring, dying round Thy throne

 日本語訳はこうです。

エスよ、人の望みの喜びよ
聖なる知恵、最高に輝く愛よ
あなたに惹かれ、私たちの魂は切望する
創造されたことのない光へと はばたくことを
神のことばが、私たちの肉を身にまとわれた
いのちを燃やすほどの情熱をもって
(それゆえ私たちは)まだ知らない真理を追い求めつつ
あなたの王座を切に憧れ、はばたいて行く。

 "Jesu, Joy of Man's Desiring"は直訳すれば、「主(イエス)こそが、人の望む喜び」となり、イエス様自身が私たち人類が望む「喜び」そのものだということだと思います。

 この歌詞から思い浮かべるのは詩編18編1-19節です。主ご自身が私たちへの燃えるような愛をもって迫って来てくださり、そこに主の愛に包まれた喜びと平安が生まれます。
 祈祷書における詩編18編1-19節は以下の通りです。
1 主よ、わたしはあなたを慕う∥ あなたはわたしの寄りどころ
2 主はわたしの岩、わたしの砦、わたしの救い、わたしの神、避けどころ∥ わたしの盾、救いの角、わたしのやぐら
3 ほめたたえられる方、主に助けを求め∥ 敵の手から救われる
4 死の波がわたしに迫り∥ 滅びの流れがわたしをのみ込む
5 死の綱がわたしに絡みつき∥ 滅びのわながわたしを襲った
6 悩みの中からわたしは主を呼び、わたしの神に向かって叫びを上げる∥ 主はその住まいでわたしの声を聞き、わたしの叫びはその耳に届いた
7 神が怒りを現されると∥ 地は揺らぎ、山々の基は揺れ動いた
8 その頂きから煙を吹き上げ、火を吐いて∥ 火柱はあたりを燃やし、焼きつくした
9 天を傾けて神は降りて来られ∥ 黒雲は、その足もとを覆った
10 神はケルブに乗って飛び∥ 風の翼で駆け巡られた
11 神は暗闇に覆われ∥ 厚い雨雲を幕屋とされた
12 神の輝きは雲を貫き∥ ひょうと火の雨が降り注ぐ
13 主は天に雷鳴をとどろかせ∥ いと高き方はみ声を鳴り響かせた
14 神は矢をつがえて四方に放ち∥ 稲妻はきらめき、八方に走る
15 主の言葉と息吹によって∥ 海の底は現れ、地の基があらわになる
16 神は上からわたしに手を延べ∥ 海の中からわたしを引き上げられる
17 わたしを憎む者はわたしよりはるかに強い∥ 神はわたしを強い敵から救われる
18 彼らが襲ってくる災いの日には∥ 主はわたしを支えてくださる
19 神はわたしを慈しんで救い出し∥ 広い所に導いてくださる

 同じ歌はサムエル記下22章にもあり、ダビデの生涯の総まとめ的な意味があります。ダビデはサウル王に命を狙われ、同胞のユダ族からも裏切られ、明日の命が分らない緊張の中に長い間、放置されました。そのような中で彼は最初に、「主よ、わたしはあなたを慕う。」(1節) と歌います。これは創造主への極めて個人的な愛の歌であり、主への信頼に溢れています。

 "Jesu, Joy of Man's Desiring"(主よ、人の望みの喜びよ)のオリジナルが入っているバッハのカンタータ『心と口と行いと生活で』(BWV147)の終曲のコラール「イエスは変わらざるわが喜び」(Jesus bleibet meine Freude)の日本語訳はこうです。

なんと幸いなことか、わたしにイエスがおられることは。
ああ、どれほど堅くわたしは彼を抱くことか。
彼はわたしの心を力づけてくださる、
わたしが病のときも、悲しみのときも。
エスがわたしにおられる。彼はわたしを愛し、
ご自身をわたしに与えてくださる。
ああ、そのゆえにわたしはイエスを離さない、
たとえわたしの心が破れても。

 ちなみに、カンタータ『心と口と行いと生活で』(BWV147)のテーマは、次主日福音書箇所である「イエス様を胎に宿したマリアが、親戚のエリサベトを訪問する場面」ですが、そのマリアのエリサベト訪問を記念する日の礼拝のために、バッハはカンタータ147番『心と口と行いと生活で』を作曲したのでした。

 「主よ、人の望みの喜びよ」"Jesu, Joy of Man's Desiring" はイエス様自身が「喜び」であることを表しています。その主がもうすぐこの世界に来られることを、感謝して待ち望みたいと思います。