マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

大斎節第1主日聖餐式 『試みに打ち勝つ信仰』

 本日は大斎節第1主日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。聖書日課はローマの信徒への手紙10:8b-13とルカによる福音書4:1-13。
 説教では、イエス様を信じることによって悪魔の試みに打ち勝つことができることを知り、大斎節をイースターを迎える大切な準備の時として過ごすことができるよう祈り求めました。
 イエス様が試みを受けられたであろう「荒れ野」の風景を写真で紹介しました。

   『試みに打ち勝つ信仰』

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 本日は、大斎節第1主日です。大斎節はカトリックでは四旬節、英語ではレントと言います。大斎節は、「灰の水曜日」(今年は先週の水曜、3月2日)から復活日までの40日間(プラスその間の主日の数、実際は46日間)です。
 コロナウイルスの収束が見えない中、ウクライナで戦争が起こり、世界の平和が脅かされています。そのような状況の中で、大斎節が始まりました。本日は大斎始日の礼拝に続いて、特祷の後でカンタベリー大主教とヨーク大主教が連名で作成された「ウクライナのための祈り」を捧げました。

 今日の福音書を、解説を加えて振り返ります。ルカによる福音書4章1節以下で、「荒れ野の試み」とか「荒れ野の誘惑」と言われる箇所です。
 冒頭に「さて、イエス聖霊に満ちて、ヨルダン川から帰られた。そして、霊によって荒れ野に導かれ、四十日間、悪魔から試みを受けられた。その間、何も食べず、その期間が終わると空腹を覚えられた。」(1・2節)と記されています。イエス様は聖霊の導きにより荒れ野に行かれました。それは神様の意志によってということです。聖書には、40日とか、40年とか、いう「期間」が記されていて、これらはいずれも「準備」と「試練」の期間として、特別の意味を持っています。なお、今回ここで「試み」と訳された言葉(ペイラスモス)は、新共同訳では「誘惑」と訳されていました。「試み」の出来事は誘惑にも試練にもなると言えます。
 イエス様が試みを受けられた「荒れ野」はこのような風景です。

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 見渡す限り、赤茶けた土、岩と砂の土地がどこまでも続いています。木も草もほとんど生えていない、昼は暑く夜は寒い、雨期と乾期しかない、水がない、何の音もしない厳しい自然の風景です。そのような厳しい自然の中、荒れ野で、イエス様は、40日間、断食をし、ひたすら祈っておられたのです。
 その40日の期間が終わろうとする時、悪魔が現れ、イエス様に語りかけました。悪魔は「神の子なら、この石に、パンになるように命じたらどうだ」(3節)と、「神の子」であるための条件を示します。空腹を満たすために「石をパンに変える」人、それが悪魔の考える「神の子」です。これに対して、イエス様は、申命記8章3節の「人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きるということを、あなたに知らせるためであった。」という聖書の言葉を用いて、悪魔の試みを退けられました。イエス様は「神の子」としての力を自分のために利用しようとはしません。人を真に生かす命はパンからではなく、生ける神から来るとイエス様は考えています。

 しばらくして、再び、悪魔が現れ、イエス様を高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せました。そして、悪魔は言いました。6・7節です。「この国々の一切の権力と栄華とを与えよう。それは私に任されていて、これと思う人に与えることができるからだ。だから、もし私を拝むなら、全部あなたのものになる。」と。神の子としてふさわしい権力、栄耀栄華、支配力を与えてやろうと試みたのです。悪魔は、「私を拝め」と迫りました。「もし私を拝むなら」と。それは、相手の前に屈服する姿勢であり、相手を絶対化し、自分自身を失わせる行為です。
 これに対して、イエス様は、「『あなたの神である主を拝み ただ主に仕えよ』と書いてある。」(8節)と、お答えになり、またしても、聖書の言葉(申命記6章13・14節)で悪魔を退けたのでした。

 そして、最後に、悪魔はイエス様をエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言いました。
「神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。なぜなら、こう書いてあるからだ。『神はあなたのために天使たちに命じてあなた守らせる。』また、『彼らはあなたを両手で支え あなたの足が石に打ち当たることのないようにする』」(9-11節)と書いてあるではないかと。今度は、悪魔の方が、聖書の言葉(詩篇91編11・12節)を用いて、試してきました。
 これに対して、イエス様は、「『あなたの神である主を試してはならない』と言われている」(12節)とお答えになりました。これは、申命記6章16節からの引用です。「神様を試す」ということは、自分の考えに神様が合っているかどうかを調べることであり、神様を信じ神の言葉に従うということとは正反対です。
 このように、イエス様は、次々と現れる、悪魔の試みを退け、これに打ち勝たれました。そして、悪魔は、時が来るまで、イエス様から離れました。
 このような話でした。

 この話で神様が私たちに教えていることはどんなことでしょうか?
 イエス様は、聖書の言葉を引用して悪魔を退けました。イエス様は聖書(神の言葉)に聞き従うことによって悪魔の試みに打ち勝ったのです。そうであれば、私たちもイエス様を信じ、神の言葉に聞き従うことによって、試みに打ち勝てるのではないでしょうか? 自分の力だけではすぐ負けてしまいます。しかし、私たちはイエス様を信じることによって、悪の力に、罪のしがらみに打ち勝つことができるのです。本日の使徒書のロマ書10章13節で「主の名を呼び求める者は皆、救われる」とパウロが教えているとおりです。このようなことを神様はこの「荒れ野の試み」の話を通じて教えているのではないでしょうか?

 皆さん、私たちは悪魔を退けてイエス様を信じていけるように、始まった大斎節を心して過ごしたいと思います。悪の力とか、しがらみとか執着心に、度々私たちは巻き込まれてしまいますが、それをこの40日間で断ち切り、世界の平和を求めながら、この大斎節をイースターを迎える大切な準備の時として過ごすことができるよう、共に祈りを捧げて参りたいと思います。