マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

顕現後第7主日 聖餐式 『敵を愛し、慈しみ深くなる』

 本日は顕現後第7主日です。前橋の教会で聖餐式を捧げました。聖書日課
コリントの信徒への手紙一15:35-38、42-50とルカによる福音書6:27
-38。礼拝後は、堅信受領者総会が開催されました。
 説教では、イエス様の命じる「敵をも愛する」「慈しみ深くなる」という愛に生きることができるよう祈り求めました。『汝の敵を愛せよ』というキング牧師説教集の言葉も引用しました。

   『敵を愛し、慈しみ深くなる』

<説教>
  父と子と聖霊の御名によって。アーメン
   
 本日は顕現後第7主日です。福音書はルカの6章27-38、先週の続きの箇所で、いわゆる「平地の説教」(ルカ6章20-49節)の中の言葉です。

 今日の福音書の最初、27節のみ言葉「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい」から、まず圧倒されてしまうのではないでしょうか? これは普段私たちが考える常識とはかけ離れている無理難題のようにも思われます。
 このみ言葉の前に「聞いているあなたがたに言っておく」とイエス様はおっしゃられました。これは、イエス様の言葉を聞く、そのために集まっている、その「あなたがた」に「言っておく」ということです。であれば、主日に、神の言葉、イエス様の言葉を聴こうとして集まっている私たちにも、イエス様は語りかけ命じておられると言えます。
 
 続いて31節で、イエス様は「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」と語られます。これは黄金律(ゴールデン・ルール)と呼ばれるものです。イエス様は「自分がされて嬉しいことを他の人にもしなさい」と命令しているのであります。 
 
 35節で、イエス様はふたたび「敵を愛しなさい」とおっしゃっています。次にこの要求の根拠となる言葉があります。それが35節後半-36節です。「そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。」と。「いと高き方」とは神様のことです。神様は「悪人にも太陽を昇らせ、正しくない者にも雨を降らせる」(マタイ5:45)方です。ここの「たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる」の原文を直訳しますと、「あなたがたにはたくさんの報いがあるでしょう。そして、あなたがたはいと高き方の子となるでしょう」と二人称・複数・未来形で語られていました。
 イエス様は私たちにこうおっしゃっているのではないでしょうか。「敵を愛しなさい。神様は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いのだから、あなたがたもその愛をもって慈しみ深くなりなさい。神様はあなたがたに恵みを与え、あなたがたは神の子となるでしょう」と。
 
 イエス様は私たちに「敵を愛しなさい」「あなたがたも慈しみ深い者となりなさい」と命じておられます。そのようなことが私たちにはできるのでしょうか?

 そのことについては、本日の使徒書(コリントの信徒への手紙一 15章)が参考になります。ここでは、最初の人アダムと最後のアダム(つまり、イエス・キリスト)が登場します。45節にこうあります。『「最初の人アダムは生きる者となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となりました』と。最初の人アダムは「人間一般」の意味で用いられています。そうしますと、パウロはこう主張していると思われます。「人間は最初の人アダムの子孫であるから、地上の命を生きる肉なるものでもあるが、最後のアダムであるイエス様が与える聖霊によって天上の命と関わりをもつ霊的な存在になり得る」と。私たちはイエス様の与える聖霊によって新たな霊的な力で生きる人間になることができ、それにより通常では難しい「敵を愛し、慈しみ深くなる」ことができるのだと考えます。
 そして、それは結果として、それぞれの場所で「憎む者に親切に」するという行動として示されます。

 今日は一冊本をもって来ました。『汝の敵を愛せよ』という題の説教集です。

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 アメリカの黒人の公民権運動に身を投じたマルチン・ルーサー・キング牧師のものです。キング牧師は多くの白人たちからの激しい敵意と憎しみにさらされ、様々な暴力を受けつつ、徹底的な非暴力を貫き、共に戦う人々にもそのことを求めました。そして、最後は暗殺という悲劇的な死を遂げました。
 そのキング牧師が『汝の敵を愛せよ』の説教の終わりのところで、こう語っています。
 『我々は、最も恨み重なる敵対者に対し、次のように言う、「我々は、苦難を負わせるあなたがたの能力に対し、苦難に耐える我々の能力を対抗させよう。(略)
 我々を刑務所に放り込むがいい、それでも我々はあなたがたを愛するだろう。 我々の家庭に爆弾を投げ、我々の子どもらをおどすがいい、それでも我々はなお、あなたがたを愛するだろう。(略)」。
 愛は、この世で最も永続的な力である。我々のキリストのご生涯にきわめて美しく例示されているこの創造力は、人類が平和と安全を追求する際に用いうる最も強力な手段である。』

 キング牧師の語る「非暴力」の武器は、「敵への愛」です。相手の悪に対して、善をもって報いるのです。迫害する者のために祈り、いかなる苦難をも甘んじて受け入れる「敵への愛」です。それこそが「神の愛」であります。

 皆さん、イエス様は「敵を愛し、憎む者に親切にしなさい」そして、「慈しみ深い者となりなさい」と命じておられます。それは人間の力では難しいですが、神様は聖霊によって私たちを、それをなすことができるよう新たな霊的な力で生きる人間にしてくださいます。この敵をも愛する優れた賜物を私たちにお与えくださるようお祈りいたしましょう。私たちが人に慈しみ深くなる時、神様は私たちに恵みをくださり、私たちを「神の子」としてくださると約束しておられます。
 私たちが、「敵をも愛する」「すべての人に慈しみ深くなる」、そのような愛に生きることができるよう聖霊の導きを祈り求めて参りたいと思います。