マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

「使徒聖マッテヤ日」に思う

 本日(2月24日)は「使徒聖マッテヤ日」です。朝の礼拝の中で、そのことをおぼえて祈りを捧げました。特祷はこうでした。
『全能の神よ、あなたは忠実な僕マッテヤを選び、み子イエスを裏切ったユダに代えて十二使徒に加えられました。どうか常に主の公会を守り、偽りの使徒を防ぎ、忠実な牧者によって治め導かれるようにしてください。主イエス・キリストによってお願いいたします。アーメン』
 このマッテヤが、私たちの教会の守護聖人の聖マッテアです。マッテアは、イスカリオテのユダの代わりにキリストの十二弟子として選ばれた使徒です。聖書の邦訳では、マッテヤ(文語訳、口語訳、新改訳)、マティア(新共同訳、聖書協会共同訳)、マッティア(新改訳2017)など様々に訳されており、原語(ギリシャ語)の発音はマッティアン、英語表記はMatthias です。
 私たちの教会が「前橋聖マッテア教会」と命名されたことについては、2019年2月24日に発行された「マッテア教会130年年表-ダイジェスト版-」にこう記されています。

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『1900(明治33)年4月上旬、会堂落成。同時に教会設置の認可を受け、前橋聖マッテア教会と名づく(名称はチャペル師が選んだ)。当時の信徒数は21名、2名の洗礼志願者。』
 ここから「マッテア」と命名したのは、上記の3年前、1897(明治30)年10月に来任したJ・チャペル宣教師(長老)であることが分かります。チャペル長老(現在の「司祭」)は米国人であり、当時の文語訳聖書の「マッテヤ」よりも英語発音に近い「マッテア」を選んだように私は想像します。ちなみに、後に伝道師となった詩人の山村暮鳥(当時は木暮八九十)は、この頃、当教会の英語夜学校に通いチャペル長老から1902(明治35)年6月6日に受洗しました。

 私たちの教会が「聖マッテア教会」と命名されたのは、聖公会の前橋における伝道が1889(明治22)年2月24日に始まったことに由来しています。前述の「マッテア教会130年年表-ダイジェスト版-」には、「1889(明治22)年2月6日、米国人宣教師H・S・ジェフェリー、県立前橋中学校赴任。俸給百円(紅雲町校舎。俸給は校長の二倍)」とあり、さらに「2月24日、裁判所隣接の民家にて宣教開始(聖マッテア日)」と記されています。

 では、マッテア(マッテヤ)とはどのような聖人でしょうか? 聖ヨハネ修士会の修士会叢書第10号「公会の祝祭日」にはこうありました。
『2月24日 使徒聖マッテヤ日
 イスカリオテのユダの代わりに選ばれて使徒とせられた聖マッテヤは、他の使徒たちと共に初めから主の弟子であり、主に選ばれた70人の伝道者の一人であったという。彼はカパドキアに伝道したともエチオピヤに伝道したとも言われ、紀元64年頃、十字架につけられて殉教したと伝えられる。』

 マッテア(マティア)の聖書における記述については、使徒言行録1章23節から26節にこうあります。
『そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストとも言うヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうち、どちらを選ばれたかをお示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、この務めと使徒職を継がせるためです。」二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒たちに加えられた。』

 マッテアが聖書に登場するのはこの選出の場面だけですが、なぜ「くじ引き」なのでしょうか?
 我々現代人の感覚では、くじは「偶然・運」というイメージですが、キリスト教では偶然というものはなく、すべては神の御心によって起こると考えています。箴言16章33節には、次のように記されています。
『くじは人の膝の上に投げられるが ふさわしい裁きはすべて主から与えられる。』(聖書協会共同訳)
 偶然に見える「くじ」も、ふさわしい結果に定まるように神が裁き、支配しているのです。マッテアが選ばれた場面では、日本語でくじを「引く」と訳されている言葉は、ギリシャ語では元々「与える」という意味です。くじの結果は神から与えられるのであります。
 マッテアが「くじ」で選ばれたということは、神がその結果を与えたということであり、神が彼を使徒として選任したということです。

 私たち聖職・信徒も、マッテアのように神から使徒として選任されたと考えられます。そしてそれは偶然ではなく、神の御心によるのです。そうであれば、私たちは、神の御心を忠実に果たすことができるよう、祈り求めて参りたいと思うのであります。