マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『チャールズ・ミンガスとキリスト教②』

 前々回のブログの記事で、ジャズ・ベーシストのチャールズ・ミンガスの音楽と反人種差別や人権等について、その根源にキリスト教があったことについて記しました。今回はその続編です。
 チャールズ・ミンガスキリスト教の関係については、彼の作品で「水曜の夜の祈りの集い(Wednesday Night Prayer Meeting)」という曲もあります。「ブルース&ルーツ(Blues & Roots)」という1959年に発表されたアルバムの冒頭の曲です。私はこのCDで聞いています。

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 このアルバムにはチャールズ・ミンガスの音楽のルーツであるブルースやゴスペルの影響を感じさせる曲が収録されています。1曲目の「水曜の夜の祈りの集い(Wednesday Night Prayer Meeting)」は以下のyoutubeで聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=uvY6yoo6LS0

 ミンガスは、母に連れられて黒人教会によく行っていたそうで、「水曜の夜の祈りの集い(Wednesday Night Prayer Meeting)」はその時の教会の雰囲気を描写した曲です。神様への感謝と共に、牧師と信徒による応答(コール・アンド・レスポンス)から熱狂的な空気が生み出される黒人教会ならではの様子が伝わってきます。
 また、アルバムの3曲目に収録されている「モーニン(Moanin’)」は、アート・ブレイキー(Art Blakey)の「モーニン(Moanin’)」とは同名異曲ですが、”Moanin'"とは「朝」ではなく、「苦しみ呻くこと」の意味で、ブレイキー同様、差別に対する心の奥深くの怒りと嗚咽を表しています。
 多くの教会で水曜の夜に「夕の礼拝」や「祈祷会」や「聖書研究会」等を実施しています。信仰の日常生活化のために、週の半ば水曜の夜に、聖書に聞き、主なる神様にともに祈りのひと時を持つことは意義あることです。私たちも水曜の夜に「聖書に聴く会」をリモートで行っています。
 チャールズ・ミンガスの音楽のルーツに黒人教会の礼拝や集い、そしてゴスペルがあったことがこのアルバムから分かります。

 そしてそのキリスト教のルーツから彼の人種差別反対や人権意識が育ったように思います。差別は神の教えから見て不当であることから、彼の思いが形成され、それを音楽で表現したように思うのであります。
 その一例が、名盤「直立猿人」の次にリリースされたアルバム「道化師」の冒頭の「ハイチ人の戦闘の歌(Haitian Fight Song)」です。私はこの4枚組のCDで聞いています。

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これには「直立猿人」等、8枚のアルバムが収録されていて2000円以下とは、なんともお得でした。このDisc2の冒頭が「ハイチ人の戦闘の歌(Haitian Fight Song)」です。
 黒人初の共和国成立の時の独立戦争を描いたこの曲は、ミンガスの解放・自由を求める精神を表しているのか力強いベースラインで進行しています。「ハイチ人の戦闘の歌(Haitian Fight Song)」以下のyoutubeで聞くことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=L7CoJEyiSfE
 
  ハイチの独立については、ウィキペディアにこうありました。
『この島にはもともと、南米を起源とする先住民族タイノ族が住んでいた。最初のヨーロッパ人は、1492年12月5日、クリストファー・コロンブスの第一回目の航海中に到着した。コロンブスは当初、インドか中国を発見したと考えていた。コロンブスはその後、現在のハイチ北東部沿岸に、アメリカ大陸におけるヨーロッパ人初の入植地「ラ・ナビダッド」を建設した。この島はスペインが領有権を主張し、ラ・エスパニョーラと名付けられ、17世紀初頭までスペイン帝国の一部となった。しかし、フランスの主張と入植が相次ぎ、1697年に島の西部がフランスに割譲され、その後、サン=ドマングと呼ばれるようになった。フランス人は、アフリカから連れてきた大量の奴隷を使ってサトウキビ農園を作り、世界で最も豊かな植民地の一つとなった。
 これらの産業を運営するために、毎年何万人ものアフリカ人が奴隷として送還された(1780年代には、仕事中に死亡した先任者の代わりに、年間3万6000人の割合で植民地に送還された)。彼らの運命は、法的には[ノワール法典]によって規定されていたが、実際には法典に定められたよりもひどい扱いを受けることもしばしばあった。
 フランス革命(1789〜99年)のさなか、元奴隷でフランス軍初の黒人将軍であるトゥーサン・ルーヴェルチュールを中心に、奴隷と有色人種がハイチ革命(1791〜1804年)を起こした。12年にわたる戦いの末、ナポレオン・ボナパルト軍はルーヴェルチュールの後継者であるジャン=ジャック・デサリーヌ(後のジャック1世皇帝)に敗れ、1804年1月1日にハイチの主権を宣言した。これは、ラテンアメリカカリブ海地域で最初の独立国家であり、アメリカ大陸で2番目の共和国であり、奴隷制度を廃止した最初の国であり、奴隷の反乱が成功して成立した歴史上唯一の国家である。』

 奴隷解放・自由のための戦いが「ハイチ人の戦闘」であり、それこそミンガスが求めたものであったと思います。そして、その思いの根底にあったのは、神の教えであり、そこから見てこの現実はおかしいという気づきであり、その思いを原動力として作品を創作していったと思うのです。

 先主日使徒書の中のコリントの信徒への手紙一12:8-10にこうあります。
『ある人には、霊によって知恵の言葉、ある人には同じ霊に応じて知識の言葉が与えられ、ある人には同じ霊によって信仰、ある人にはこの唯一の霊によって癒やしの賜物、ある人には奇跡を行う力、ある人には預言する力、ある人には霊を見分ける力、ある人には種々の異言を語る力、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。』

 チャールズ・ミンガスは音楽という彼に与えられた賜物で、神様の思い(福音)を表現しました。私たちも、それぞれに与えられた賜物によって、神様が示しておられる恵みのしるしを表していきたいと切に願います