マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『レイ・チャールズとキリスト教①』

 少し前になりますが、6月10日は「ソウル神様」の異名をとるアメリカのR&Bの歌手、レイ・チャールズが亡くなった日でした(2004年、73歳)。プレスリーはじめ多くのミュージシャンに影響を与え、ポール・マッカートニーは前々回紹介した「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」をレイ・チャールズ風に作り歌ったと言っています。
 去る6月12日(月)の午前2時からのラジオ深夜便で彼の作品の特集がありました。そこで流れた「ホワッド・アイ・セイ」が新鮮に聞こえました。
 「ホワッド・アイ・セイ」等、彼のヒット曲を私はこのCD「ヴェリー・ベスト・オブ・レイ・チャールズ」で聞いています。

 「ホワッド・アイ・セイ What'd I Say 」は下のURLで聞く(見る)ことができます。
https://www.youtube.com/watch?v=GKsGt8zaUtE

 レイ・チャールズは、ゴスペルとブルースを融合させたソウル・ミュージックという概念を作り、「日曜の朝の音楽に土曜の夜の歌詞を持ち込んだ最初のミュージシャン」(「はじめてのアメリ音楽史」P.299)と言われるのがよく分かりました。

 歌詞と訳(抄)を示します。

Ray Charles - What'd I Say 

Hey mama, don't you treat me wrong 
Come and love your daddy all night long
All right now, hey hey, all right
ヘイ、彼女  そっけなくしないでくれ
さあ、きみのダディを愛してくれ、一晩中
今すぐに、そう、そう、その通り

See the girl with the diamond ring
She knows how to shake that thing
All right now now now, hey hey, hey hey
あのダイヤの指輪をしている女の子をごらん
あの子は腰の振り方を知ってる
今すぐに、今さ、今だよ、さあさあ

Tell your mama, tell your pa
I'm gonna send you back to Arkansas
Oh yes, ma'm, you don't do right, don't do right
Aw, play it boy
ママに教えようか、パパに教えようか
きみをアーカンソーに送り返そうか
そう、きみは悪い娘だ
ぼくと遊ぼう

When you see me in misery
Come on baby, see about me
Now yeah, hey hey, all right
悲しくてぼくに会いに来たなら
こっちにおいで、ぼくを見て
さあ、ヘイ、ヘイ、いい感じ

See the girl with the red dress on
She can do the Birdland all night long
Yeah yeah, what'd I say, all right
赤いドレスを着たあの子をごらん
あの子は一晩中バードランドを踊れる
言ってる意味が分かったかな   

Hey (hey) ho (ho) hey (hey) ho (ho)... hey
Oh one more time (just one more time)
Tell it one more time right now(Just one more time)
ヘイ (ヘイ) ホー (ホー)...
もう一度言って、今すぐ(もう一度だけ)
もう一度言って、さあ(もう一度だけ)...

Woah! Shake that thing now(Baby shake that thing)
Baby shake that thing now now(Baby shake that thing)
Baby shake that thing(Baby shake that thing)
Baby shake that thing right now(Baby shake that thing)
ワオ、腰を振って、さあ (腰を振って)
ベビー、腰を振るのさ、さあさあ (腰を振って)
ベビー、腰を振るのさ... (腰を振って)
ベビー、腰を振って、今すぐ (腰を振って)

 この曲「What'd I Say」では、歌唱が途中で終わり、その後、「ヘイ」や「ホー」というレイの呼びかけに対し、バックコーラスが応じています。これはまさに黒人教会から生まれた表現形式である「コール・アンド・レスポンス」の一つです。黒人教会では、牧師の呼びかけに会衆が「アーメン」や「ハレルヤ」と応じています。そうすることによって、信仰を互いに確認し、会衆のあいだでの信仰の絆を結びあげます。その形がゴスペル音楽の方式となり、さらにそれをレイ・チャールズはポピューラー音楽に持ち込みました。
 「ホワッド・アイ・セイ」はR&Bシングルチャートで1位になり、Billboard Pop 100で6位に昇る大ヒットとなりました。このようにしてレイ・チャールズは、黒人教会のサウンドを大衆音楽化したのです。聖なるゴスペルと俗世間の音楽であるR&Bを融合したことから、信仰深い(?)クリスチャンたちからは非難されたようです。

 レイ・チャールズは1930年、ジョージア州で生まれ、フロリダ州で育ちます。6歳になる頃から視力を失い始め、7歳の時、セント・オーガスティン盲学校に入りました。そこで、点字を使って楽譜の読み書きを学び、ピアノやオルガン等の楽器演奏や作曲を学び、日曜には近くの黒人教会に通いました。その時の経験が「ホワッド・アイ・セイ」等の彼の音楽を生んだと言えます。彼の音楽人生においてキリスト教の影響は大きかったと考えます。