マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『「ボンヘッファーの祈り」に思う』

 先主日の説教でボンヘッファーの「待降節のリース」の話を紹介しました。
    ディートリヒ・ボンヘッファーはロンドンのウェストミンスター寺院西門の「20世紀の殉教者-10人の像」の一人でもあります。その10人の像は、左からマキシミリアノ・コルベ、マンシュ・マセモラ、ヤナニ・ルアム、エリザヴェータ・フョードロヴナ、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、オスカル・ロメロ、ディートリヒ・ボンヘッファーエスター・ジョン、ルシアン・タピエディ、王志明です。

 ディートリヒ・ボンヘッファーはドイツのルター派教会の牧師・神学者で、私は「共に生きる生活」や「説教と牧会」等の著作により親しんできました。
 降臨節から降誕節にかけて、思い浮かべる「ボンヘッファーの祈り」があります。平野克己編「祈りのともしび」の中に収められています。

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 このような祈りです。

 暗い思いに襲われたときに

私の主である神よ
暗い思いがわたしを訪れています。
思い煩いがわたしを砕こうと脅かし、
わたしはどうしたらよいかわかりません。
あなたがお与えになったことに耐えるだけの力を、
  わたしに与えてください。
恐れなどにわたしを支配させないでください。
わたしの妻と子どもたちに対して、父らしくかえりみてください。

ああ、恵み深い神よ、
わたしが犯したすべての罪を、
あなたと、わたしの周囲の者たちに対して犯した罪を、
  おゆるしください。
わたしはあなたの恵みにお頼りいたします。
わたしのいのちのすべて、あなたの御手にお委ねいたします。
あなたの思いの通りに、わたしに最も善いことを行ってください。
生きるときも死ぬときも、わたしはあなたとともにあり、
わたしの神よ、あなたはわたしとともにいてくださいます。
主よ、わたしはあなたの救いを、あなたの御国を、待ち望んでいます。アーメン

 この祈りは、1943年降誕節に、「共に囚われている人たちのための祈り」として記されました。ボンヘッファーが逮捕されたのは1943年4月5日です。罪名は「国防力阻害」でした。この祈りは獄中で記されたと考えられます。マリア・フォン・ヴェデマイヤーと婚約したのは1943年1月17日ですので、この詩の「わたしの妻と子どもたち」とは自分の妻と子どもというのでなく、「この世の女性と子どもたち」を顧みてくださるよう、父なる神に祈っているのだと思います。ヒトラー暗殺に荷担し、囚われの身になっている状況に対して逡巡し、その試練に耐える力と解放を願っています。しかし、その願いに固執するのでなく、「主が共にいてくださること」を確信し、最後は主に頼り、「御心のままに」と主の御手に委ねています。それはまるでイエス様の「ゲッセマネの祈り」のようです。そして、主の救いと神の国を待ち望んでいます。その精神は、先主日のテーマである、キリスト者が終末に主が再臨する時の解放(救い)と神の支配を待ち望むことと同様と考えます。
 私たちもこの「ボンヘッファーの祈り」のように、逡巡することはあっても、それに固執せず、「主が共にいてくださること」を確信し、最後は「御心のままに」と主の御手に委ねたいと願います。そして、主の再臨を、「主の救い」を待ち望みたいと思います。