マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『聖書の底本に目を向ける』

 毎週水曜の午後7時半からZOOMで「聖書に聴く会」を開催しています。今週は27日に9名の参加で実施されました。今回はそこで話題になったことの一端について思い巡らしたいと思います。
 聖書箇所はその主日の聖書箇所(主に福音書)です。27日はマルコによる福音書10:46-52でした。 
 その中で新改訳と聖書協会共同訳の訳の違いについての話がありました。初めて参加されたNさんは、聖書は新改訳に親しんでいました。特に気づかれたのがマルコによる福音書の10:51です。
『そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」
すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」』(新改訳)
『イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、また見えるようになることです」と言った。』(聖書協会共同訳)

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 Nさんは聖書協会共同訳の「また見える」という訳に違和感を感じたということでした。
 それはそれぞれの使っている新約聖書の底本が違っているからだと思います。新改訳は「ネストレの校訂本24版」ですが、聖書協会共同訳は「ドイツ聖書協会の修正第五版」です。

 英語でもKJVと最新のNRSVではこうなっています。
『And Jesus answered and said unto him, What wilt thou that I should do unto thee? The blind man said unto him, Lord, that I might receive my sight.(King James Version)』
『Then Jesus said to him, “What do you want me to do for you?” The blind man said to him, “My teacher, let me see again.”』(NRSV)

 最新の底本は最新の聖書研究に基づき改訂されています。おそらく新たな写本が発見され、その信憑性が高いので改訂されたと考えます。新共同訳の底本は「ドイツ聖書協会の修正第三版」でこう訳されていました。
『イエスは、「何をしてほしいのか」と言われた。盲人は、「先生、目が見えるようになりたいのです」と言った。』(新共同訳)
 それが今回「また」が付け加わりました。改訂された底本から訳されたからです。

 これまでの訳では、イエス様に癒された全盲の人は、生まれながら目が見えない人であり、だとすると見えないのが当たり前で、それほど「見えるようになりたい」と思わないのかもしれません。しかし、バルティマイが途中から目が見えなくなった人だということであれば、見えることがどんなことかを知らない全盲の人以上に、叫ぶほどにイエス様に願ったことも理解できるのではないでしょうか?

 聖書協会共同訳や新改訳2017などの最新の底本に基づいた聖書を読むことをお勧めいたします。新たに発見された信憑性のある写本に基づき新たに編纂されたヘブライ語聖書やギリシャ語聖書に基づいて訳出されているからであります。それはより初代教会、しいては神の御心に近いと考えられるからです。