マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

「神の業」とスティービ-・ワンダー

 先主日福音書箇所で「神の業」への言及がありました。「神の業」ということで思い浮かべる聖書箇所としては、次のヨハネによる福音書9:1-3が挙げられます。
『さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「先生、この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』   
 生まれつき全盲という障害は、本人や両親の罪によるのではなく「神の業」が現れるために与えられたというのです。ここの「神の業」の「業」は原文でのギリシャ語では「エルゴン(働き)」の複数形「エルガ」、英語ではthe worksでした。この盲人に現れる神様のなせる業(働き)は一つではなく複数あるということなのだと思いました。
 
 生まれつき全盲で「神の業」が現された例として、私が思い浮かべるのはスティービ-・ワンダーです。スティーヴィー・ワンダーStevie Wonder)はアメリカのシンガーソングライターであり、30曲以上のU.S.トップ10ヒットを放ち、22部門でグラミー賞を受賞、最も受賞回数の多い男性ソロ・シンガーです。彼のパーソナル・ヒストリーについては次の本「スティービ-・ワンダー 心の愛」に詳しく記されていました。

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 この本の中で、スティービ-・ワンダーはこう言っています。
『僕は目が見えないことをそれほど不思議に思っていなかったし、疑問に感じたこともなかった。僕にとっては、実際、見えないことが正常だったんだからね。でも母がそのことで悩んでいて、いつか僕の目が見えるようにと祈ってくれていることを知ってたから、最後に僕は彼女にこう言ったんだ。「僕は目が見えなくても幸福だよ。それにこれは神様からの贈り物(ギフト)だと思っているよ」』

 このことで思い出すエピソードがあります。こんな話です。
『あるアメリカの小学校で小さな出来事が起こりました。理科の授業時、実験用のねずみが逃げ出してしまったのです。皆で大騒ぎして探し回りましたが、ねずみは見つかりません。
 授業を担当していた女性教師がこう言います。「みなさん静かにしなさい。そして教室の外に出てじっとしていなさい」そう言って皆を外に出しました。
 先生は、ある一人の児童を呼びました。彼は目の不自由な児童です。
 先生は彼にこう言いました。「ねずみを探してみてくれるかしら」
 その児童は先生の依頼にこう答えました。「ハイ、分かりました。先生」
 こう言って、彼は耳をすませてねずみを探し始めました。
 他の児童たちはこう言います。
「先生、なんで目の見えないあいつにねずみを探させるんだい?」
 児童たちは目の不自由な彼に、どこに隠れたかも分からないねずみを探させるのかまったく分かりません。それに対して先生はこのように答えました。
「確かに彼は目が不自由です。だから彼には無理だと皆さんは思うかもしれません。でも先生は彼にはねずみを見つけることができないと思っていません。
なぜなら彼は目が不自由でも、神様から素晴らしい贈り物(ギフト)をいただいているからです。それは彼の人並み外れた「聴力」です。彼がそれを生かせば必ずねずみを見つけてくれると先生は信じています。」
 そして、目の不自由な彼は程なくして、逃げ出したねずみを捕まえたのです。
 そのねずみを捕まえた少年の名はスティービー・モリス。後にスティービー・ワンダーと名乗る人です。
 当時を振り返り、スティービー・ワンダーはこう語りました。
「あの日を境に私は生まれ変わることができた。私はそれまで目が見えないことを心の中でとても重荷に感じていた。けれど先生は目の見えない私を見るのではなく、私の聴力を神様がくれた贈り物(ギフト)だと見てくれた。だから私は自分を信じることができた」 
 このエピソードは『D・カーネギー著「人を動かす」山口博訳、創元社』の中で紹介されていました。この本のこのエピソードを含む項目の最後には「人を動かす原則② 率直で、誠実な評価を与える。」とありました。

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 スティービー・ワンダーにとってこの出来事がなかったら今日の彼は生まれていなかったかもしれません。この女性教師の助言は、彼女の児童を愛する思いから生まれた言葉と言えると考えます。その奥には、どのようなことも「神の業」であり「だれもが神から賜物を与えられている」という信仰があったゆえではないでしょうか?
 神様のなせる業(働きthe works)は複数あり、「神様の贈り物(ギフト)はすべての人に与えられている」ということを忘れずにいたいと思います。