マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

昇天日聖餐式 「イエス様の昇天という希望」

 本日は昇天日。前橋の教会で10:30から聖餐式を献げました。昇天日は7つある主要祝日の一つです。聖書箇所はエフェソの信徒への手紙 1:15-23とルカによる福音書24:49-53。説教では、イエス様の昇天や昇天日を祝う意味や希望の福音であること等について語りました。パスカルキャンドルに刻み込まれたΑとΩの示すことや管区から送られてきた小冊子「み国が来ますように(Thy Kingdom come)」という「祈りのしおり」にも言及しました。

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 なお、本日午後、お世話になった信仰の先輩が帰天されました。イエス様と共に天に召されたとしか思えません。

 「イエス様の昇天という希望」

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 本日は昇天日です。本日は復活日から40日目の日に当たります。昇天日は7つある主要祝日の一つです。昇天日以外の主要祝日は、復活日・聖霊降臨日・三位一体主日・降誕日(12/25)・顕現日(1/6)・諸聖徒日(11/1)であります。 
 復活したイエス様は40日にわたって弟子たちに姿を現した後、天に上げられました。そこから、昇天日は復活日後40日目の復活節第6木曜日に祝われることになりました。多くのキリスト教国、フランスやドイツなどでは昇天日は法定休日となっています。
 今日の福音書箇所はルカによる福音書24:49-53で、ルカ福音書の結びにあたります。
 イエス様の昇天については、本日の使徒書のエフェソの信徒への手紙 1:20-21に「神は、この力ある業をキリストの内に働かせ、キリストを死者の中から復活させ、天上においてご自分の右の座に着かせ、この世だけでなく来るべき世にある、すべての支配、権威、権力、権勢、また名を持つすべてのものの上に置かれました。」とあることに注目したいと思います。
 イエス様の昇天については2つの意味があると考えられます。
 一つはイエス様が天に昇り、神様の右の座に着いたということから人の子であるイエス様が神の栄光の状態に上げられ、御父のもとで最高の権威に参与されたことです。父なる神様と一つであることが示されたのです。また、イエス様が天に昇られたので、ユダヤ人だけでなく、どんな国の人も神様のもとに私たちは共に歩むことができるようになりました。「天」からなら世界中の人にイエス様のメッセージを届けることができるのです。それは、神様の普遍的な愛、それを全ての人が受けられるようになった、ということです。
 もう一つは、イエス様の昇天が私たちの昇天の原型であり、保証でもあるということです。本日の特祷に「わたしたちは独りのみ子イエス・キリストが天に昇られたことを信じます。どうかわたしたちも心と思いを天に昇らせ、絶えず主とともにおらせてください。」とありますように、私たちは、私たちに先駆けて天の栄光に入られたイエス様に倣って、いつかイエス様とともにいることができるという希望のうちにこの出来事を祝うのであります。
 このことを示している聖歌があります。先ほどの入堂聖歌の聖歌 498番にある「主われを愛す」の3番です。こうあります。
『みくにの門(かど)を ひらきてわれを 招きたまえリ いさみて昇(のぼ)らん
  わが主イエス わが主イエス わが主イエス われを愛す 』
 天に昇られたイエス様は、天国の門を開いて私たちを招いて下さいます。私たちも喜び勇んで天国に昇っていきましょう、という意味です。私たちが天国に招かれるのはイエス様の昇天のお陰なのです。今日はそのことを感謝する昇天日の礼拝なのであります。

 ルカによる福音書24:50・51に「それからイエスは、彼らをベタニアまで連れて行き、手を上げて祝福された。そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」とあります。「祝福」という言葉が2回続いて使われています。天に昇る直前も、そして天に上げられながらも、イエス様は弟子たちを祝福されたのです。イエス様は私たちをも祝福されるでありましょう。
 さらに52・53節に「彼らはイエスを伏し拝んだ後、大喜びでエルサレムに戻り、絶えず神殿の境内にいて、神をほめたたえていた。」とありますが、この「伏し拝む」は「礼拝する」ことを表す言葉で、弟子たちがイエス様を礼拝したことが記されています。ここで初めて弟子たちはイエス様とはどういう方であるかを本当に悟ることになったのです。

    皆さんから見て、祭壇の左にありますパスカルキャンドルをご覧ください。

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 この復活ローソクに描かれた十字架に、アルファ(Α)とオメガ(Ω)が刻み込まれています。ギリシャ語アルファベットの最初の字がアルファ(Α)で、最後の字がオメガ(Ω)です。聖書では、アルファ(Α)とオメガ(Ω)は、万物の最初と最後を意味し、永遠の存在者である神様と主イエス・キリストを指しています。オールターの準備において、チャジブルの上にストールでアルファ(Α)、紐でオメガ(Ω)の形をするのはここに由来しています。
 本日の昇天日では、オメガであるイエス様に注目したいと思います。万物を完成された方としてのイエス様。主が昇天して、神様の右の座に着いておられる。そのような姿こそが、私たち全人類の目標であって、それが私たちの向かっていくオメガ(最終地点)であり、そこにイエス様がおられるです。パスカルキャンドルはそのことを表しています。そこで、葬儀でも用いられます。

 さらに、「復活→昇天→聖霊降臨」を時間的な流れの中で起きた出来事としてとらえたいと思います。「復活」は、イエス様が死に打ち勝ち今も生きているという面を表します。「昇天」は、イエス様が神様のもとに行き、そこで神様とともに永遠の命を生きる方となったという面を表します。そして「聖霊降臨」は、イエス様が目に見えないけれども私たちのうちに今も働いていてくださることを表していると言えます。特に、「昇天」から「聖霊降臨」については、今日からの10日間を、神様とイエス様の恵みを覚え、今回管区から送られてきた小冊子「み国が来ますように(Thy Kingdom come)」という「祈りのしおり」を毎日使用することで、この意味も実感することができると考えます。

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 イエス様の復活の後、教会は昇天を祝い、さらに聖霊降臨、三位一体と祝っていきます。イエス様が父のみもとに帰ることによって聖霊を遣わされる、実にイエス様の昇天は天と地を結びあわせるものでもあります。そして、イエス様は、天国の門を開いて私たちを招いて下さるのです。私たちの生きる命は、空しく消えていくものではなくて、復活と、復活の先にある、神様のもとに私たちも向かっているのです。これは大きな希望の福音であり、このことから、昇天日という、この祝日は、私たち一人一人の祝日でもあるのです。

 皆さん、イエス様の昇天の出来事は、神様の普遍的な愛と私たちが天においてイエス様と共にいることができるという希望の福音を伝えています。天に昇る直前も、天に上げられながらも、弟子たちを祝福されたイエス様は、私たちをも祝福されておられます。私たちはその恵みに感謝し、今も後も絶えずイエス様とともにいることができるよう祈り求めて参りたいと思います。