マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『聖アンデレ教会広報「今、福音に聴く」/イエス様に触れ救われる』

 東京教区の聖アンデレ教会広報「今、福音に聴く」マタイによる福音書の通読とメッセージ第26回(Youtube)に出演しました。以下のURLです。ご覧いただければ幸いです。
https://www.youtube.com/watch?v=bQq4bU2vzvY

 これは、今年の2月3日(土)に北関東教区と東京教区の宣教協働の一環で行われた前橋巡礼の終了後に、前橋聖マッテア教会の聖堂で撮影されたものです。聖書箇所は、マタイによる福音書第9章18節~26節「指導者の娘とイエスの服に触れる女」です。このメッセージでは、「傷ついた癒やし人」であるイエス様を信頼して触ることで癒やされ救われることを知り、信仰を持ち続けるよう祈り求めました。
 以下、その説教原稿を掲載します。
  
<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 「今、福音に聴く~マタイによる福音書通読とメッセージ」をご覧の皆さん、こんにちは。
 私は北関東教区の司祭、マルコ福田弘二と申します。前橋聖マッテア教会と新町聖マルコ教会の牧師、玉村マーガレット幼稚園のチャプレンをしています。 私は現在69歳ですが、60歳の定年まで公立の小中・特別支援学校の教師として38年間務め、退職してから神学校に入って学び、2019年に司祭に按手(叙階)されました。

 最初に聖書の朗読を行います。
 マタイによる福音書、第9章18~26節です。
『18 イエスがこれらのことを話しておられると、一人の指導者が来て、ひれ伏して言った。「私の娘がたった今死にました。でも、お出でになって手を置いてやってください。そうすれば、生き返るでしょう。」19 そこで、イエスは立ち上がり、彼に付いて行かれた。弟子たちも一緒だった。20 すると、十二年間も出血が止まらない女が近寄って来て、後ろからイエスの衣の裾に触れた。21 「この方の衣に触れさえすれば治していただける」と思ったからである。22 イエスは振り向いて、この女を見て言われた。「娘よ、元気を出しなさい。あなたの信仰があなたを治した。」その時、女は治った。23 それからイエスは、指導者の家に着き、笛を吹く者たちや騒いでいる群衆を見て、24 言われた。「あちらへ行きなさい。少女は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスを嘲笑った。25 群衆を外に出すと、イエスは中に入り、少女の手をお取りになった。すると、少女は起き上がった。26 この噂はその地方一帯に広まった。』

 メッセージをさせていただきます。
 今お読みした聖書箇所は、聖書協会共同訳聖書の小見出しでは「指導者の娘とイエスの服に触れる女」となっています
 この箇所では二つの物語が描かれてます。今回は「イエスの服に触れる女」、これまで「長血の女」と呼ばれてきた女性にスポットを当てたいと思います。
 ある会堂の指導者の家に行く途中、12年間も出血が止まらない病気に苦しんでいた一人の女性が、イエスの衣の裾に触れました。当時、女性の出血を伴う病気は不浄とされ、人前に出ることを禁じられていました。この女性は長い間、社会から排除されていました。しかし彼女は、イエス様が多くの病者を癒された噂を聞いて、「この方であれば治していただける」と思って近寄って来ました。後ろからこっそりとイエス様の衣の裾に触れました。イエス様は彼女の信仰に心打たれて、病を治されました。
 
 私は、この箇所のキーワードは「触れる」と「治す」と「信仰」だと思います。この女性は、イエス様を信頼し、必死の思いでイエス様の衣の裾に触りました。英語の聖書(NIV)では、「A woman touched the edge of his cloak.」(9:20)とありました。この女性はイエス様にタッチしたのです。すると、この女性は病が治りました。ここで「治る」と訳された元のギリシャ語は「ソーゾー」でした。「ソーゾー」は直訳では「救う」で、病気を治す・癒やすという意味もあります。22節の『「娘よ、元気を出しなさい。あなたの信仰があなたを治した。」その時、女は治った。』は、口語訳では『「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。』でした。イエス様の癒しは単なる病気の治癒だけでなく、永遠なる魂の救いも含まれているのです。そしてそれを引き起こしたのが、この女性のイエス様に対する信頼、信仰であり、具体的にはイエス様に必死の思いで触る、タッチするという行動だったと思います。
 なお、イエス様のこの女性への言葉「あなたの信仰があなたを治した(救った)。」は英語の聖書(NIV)では、「Your faith has healed you.(あなたの信仰があなたを癒やした)」(9:22)でした。イエス様は「あなたの信仰があなたを救った(癒やした)」と言われますが、直接、この女性の病を癒やし魂を救ったのはイエス様です。イエス様こそ、「癒やし主」であり「救い主」であります。
 
 この聖堂の祭壇上のステンドグラス「復活のイエス」をご覧ください。

 これは、復活したイエス様が弟子たちに現れた場面を表しています。ここで、イエス様は弟子たちに手と脇腹を彼らに示されました。イエス様の右の掌に釘の傷跡、右の脇腹に槍の傷跡がはっきりと記されています。イエス様は傷ついている救い主(キリスト)であり、自ら傷つき人を癒やすお方です。ヘンリー・ナウエンが言うようにイエス様は「傷ついた癒やし人(The Wounded Healer)
」なのであります。私たちもこの方に必死な思いで信仰を持って触ることで癒やされ、救われるのです。
 
 そのことで思い浮かぶことがあります。
 私は26歳の時に、このマッテア教会で洗礼を受けました。キリスト教との出会いは入学した大学が、たまたまキリスト教主義学校だったことです。卒業後、教師として群馬県の山間部の小学校に赴任し3年を過ごし、そこではなんとか務めることができました。しかし、その後、都市部の中学校の教師になった時、その学校がかなり荒れていてどう対応したらいいか思い悩み、同僚の教師からは「もっと厳しく指導すべきだ」と言われ、行き詰まってしまいました。生徒にも教師にも傷つけられ、ついには学校に行けず、不登校のような状態にまでなってしまいました。そんな折、大学で受けたキリスト教教育を思い出し、出身大学と同じ聖公会の教会の門をくぐりました。それからマッテア教会に通うようになり、イエス様に信頼しイエス様に触れ、徐々に癒やされ、魂の救いを得ることができました。
 私も、イエス様に信仰を持ってタッチすることで、癒やされ救われたのであります。そのことに感謝し、これからも主を信頼し信仰を持ち続け、イエス様に触れて生きていくことができるよう、祈り求めたいと思います。

 最後にお祈りいたします。
 恵みに富みたもう父なる神様、「今、福音に聴く」のメッセージを通して、御心を示してくださり感謝いたします。私たちは「傷ついた癒やし人」であるイエス様に触ることで、癒やされ救われます。これからも、この主への信仰を持ち続け、イエス様に触れて生きていくことができるよう、お導きください。この祈りを、イエス様の御名によって御前にお捧げいたします。アーメン

 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが私たちとともにありますように。アーメン