マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『バッハのカンタータ第68番「神はこれほどまでに世を愛される」に思う』

    先主日福音書ヨハネによる福音書3:14-21でした。この中に、多くの人に愛され、神や聖書の本質を記した聖句、ヨハネ3:16が含まれています。 バッハはこの聖句を中心にカンタータ第68番「神はこれほどまでに世を愛される」を作曲しました。私はカール・リヒターのこのCDで聞いています。アルヒーフの輸入盤で26枚組のバッハのカンタータ集の11枚目です。

 

 リヒターのはなかったのですが、カイ・ヨハンセンというドイツ人の指揮による映像がYoutubeにありました。以下のURLです。教会での古楽器による演奏です・
https://www.youtube.com/watch?v=NLA2i1-Rxco

J.S.バッハカンタータ 第68番 BWV 68の歌詞対訳を次に示します。

1. Choral
Also hat Gott die Welt geliebt, Daß er uns seinen Sohn gegeben.
Wer sich im Glauben ihm ergibt, Der soll dort ewig bei ihm leben.
Wer glaubt,  daß Jesus ihm geboren,Der bleibt ewig unverloren, 
Und ist kein Leid, das den betrübt,Den Gott und auch sein Jesus liebt.
神はご自身の子を与えられるほど、世を愛された。
御子を信じて身を捧げる者は、みもとで永遠の命にあずかる。
エスが私のためにお生まれになったと信じる者は、決して滅びることがない。
神とイエスから愛される者は、苦しみに喘ぐこともない。

2. Aria
Mein gläubiges Herze, Frohlocke, sing, scherze,
Dein Jesus ist da! Weg Jammer, weg Klagen,
Ich will euch nur sagen: Mein Jesus ist nah.
我が信仰深き魂よ、喜び、歌い、楽しめ。
おまえのイエスがそこにおられる! 悩みよ、苦しみよ、去れ。
これだけは言おう。私のイエスがそばにいてくださる。

3. Recitativo
Ich bin mit Petro nicht vermessen, Was mich getrost und freudig macht,
Daß mich mein Jesus nicht vergessen. Er kam nicht nur, 
die Welt zu richten, Nein, nein, er wollte Sünd und Schuld
Als Mittler zwischen Gott und Mensch vor diesmal schlichten.
私は、ペトロと共に決して取り違えません。
エスが私を心にかけてくださるが故に、慰めと幸福をいただけるのです。
彼は世を裁くためだけにこの世に来られたのではありません。
決して、そうではありません。
彼は仲保者として、今こそ罪咎を贖おうと神と人との間に立たれたのです。

4. Aria
Du bist geboren mir zugute, Das glaub ich, mir ist wohl zumute,
Weil du vor mich genug getan. Das Rund der Erden mag gleich brechen,
Will mir der Satan widersprechen, So bet ich dich, mein Heiland, an.
あなたは、私のためにお生まれになりました。私は信じます、私は幸せです。
あなたが充分なものを与えてくださったから。
この世の終わりが突然訪れようと、サタンが私に反駁しようと、私はあなたを慕い求めます、我が救い主よ。

5. Coro
Wer an ihn gläubet,  der wird nicht gerichtet;
wer aber nicht gläubet, der ist schon gerichtet;
denn er gläubet nicht an den Namen des eingebornen Sohnes Gottes.
エスを信じる者は、裁かれることがない。
彼を信じない者は、すでに裁かれている。
何故なら、神の独り子の名を信じないからである。

 カンタータ第68番の第1曲コラールの前半は、ヨハネ福音書3:16の聖句そのものです。ここでは揺れるような優雅なリズムが特徴的です。このカンタータでは特に第2曲のソプラノによるアリアが有名です。喜びに溢れ、チョロのソロも活躍しています。第3曲はバスのレシタティーヴォで、イエス様の仲保者としての役割を強調しています。第4曲では、ダンス風の音楽にオーボエ属の古楽器が独特の音色を添えます。第5曲では、ヨハネ福音書3:18節のみ言葉を力強く確信に満ちて合唱しています。このカンタータのテーマは、第1曲冒頭のヨハネ福音書3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と言えます。

 ヨハネ福音書3:16で私が思い浮かべるのは、大久保直彦主教の説教です。大久保主教は私が大学生だった時のチャプレン長でした。この本、大久保主教の遺稿集「神の悲しみ」の中にこうあります。

「この聖句を読むとき、私はむしろその限りなき神の悲しみを見つけるのであります。父なる神のみ心は、ただ深い悲しみを持って、遠のく私たちを、最後まで待っていたもう-この悲しみつつ待ちいたもう父なる神の愛心-これこそ私たちに告げている新約のメッセージではないでしょうか。神は今日もまた、私を、あなたを、深い悲しみをもって待っていたもうのであります。」(P.230)
   私はここに、自分の独り子を自分の手元からこの世に遣わした父なる神の悲しみを思います。自分が悲しんでも派遣するほど、神様は、世を、私たち人間を愛しておられるのです。この愛(アガペー)は、キリシタン時代は「ご大切」と訳され、本田神父も「大切」と訳しています。三位一体の神様は、私たち人間を愛するが故にご自分を大きく切って(大切に思って)、独り子をお与えになったのです。

 バッハのカンタータ第68番「神はこれほどまでに世を愛される」から、このようなことを思い巡らしました。