マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

「聖ベネディクトのロザリオで祈る」

 昨年末の12月31日に前ローマ教皇のベネディクト16世が帰天されました。年の区切りに何か大切なことを神が教えようとしているような気がしました。ベネディクト16世の名は、ベネディクト会の創立者ヌルシアのベネディクトゥスから取られました。ベネディクトゥスとベネディクト会は中世初期の混乱した時代において、キリスト教の知的遺産を守り、次の時代へと継承する役割を担いました。ベネディクト会は現代も活動するカトリック教会最古の修道会で、会員は「清貧」「従順」「貞潔」および「定住」の誓願をたて、修道院において、労働と祈りの共同生活を送り、観想修道会の基準となりました。
 私は今年当初、思うところあり、聖ベネディクトのロザリオをドン・ボスコ社の通販で購入し自身で祝別し、朝の祈りの中で使用しています。

 このロザリオを使うときは、「信者祷文書(聖ヨハネ修士会編)」の中の「聖マリヤのロザリー」に従って祈っています。この本のP.140以下に、このようにあります。

<信者祷文書(聖ヨハネ修士会編)「ロザリーを用いる人のため」から>
   二 聖マリヤのロザリー
 ロザリーの用い方は、主イエスのロザリーと同じであるが、違うところは
 「世の罪を除きたもう神の小羊よ、我らをあわれみたまえ(現行は「世の罪を除く神の小羊よ、憐れみをお与えください」)」の代わりに左の天使祝詞(現行は「アヴェ・マリアの祈り」)を繰り返して、聖マリヤを中心として黙想することです。

     天使祝詞
 めでたし 聖寵充ち満てるマリア、主なんじと共にまします。なんじは女のうちにて祝せられ、また御胎の実・イエス祝せられたもう。
神の御母・聖マリヤ、罪人なる我らのために、今も臨終のときも祈り給え。アーメン。
(現行は「アヴェ・マリアの祈り」
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、わたしたち罪びとのために、今も、死を迎える時も、お祈りください。アーメン。)
      (一)喜びの奥義
       1 御  名
 主よ、聖マリヤの御告(みつげ)を蒙(こうむ)りしをあがめ奉る。願わくは、そのとりなしにより謙遜と信仰の徳を与えたまえ
        2 御 訪 問
 主よ、聖マリヤのエリザベツを訪ねしをあがめ奉る。願わくは、そのとりなしにより、人を愛することを得させたまえ
        3 御 降 誕
 主よ、御降誕をあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、世の財宝(たから)を軽んずることを得させたまえ
        4 御 潔 め
 主よ、聖母のきよめられ、主が宮にてささげられしを、あがめ奉る。願わくは聖母のとりなしによりて律法(おきて)を守ることを得させたまえ
         5 主、宮にて見いださる
 主よ、宮にて見いだされしをあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、主を愛することを得させたまえ
        (二)悲しみの奥義
          1 ゲッセマネの園
 主よ、ゲッセマネの園の御苦しみをあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、罪を悔い改むる恵みを与えたまえ
          2 主、むち打たれたもう
 主よ、むち打たれたまいしをあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、罪をつぐのう恵みを与えたまえ
          3 茨 の 冠
 主よ、茨の冠をこうむられたまいしを、あがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、人のあなどりを忍ぶことを得させたまえ
       4 主、十字架を負いたもう
 主、十字架を負いたまいしをあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、甘んじて苦難を受くることを得させたまえ
         5 十 字 架
 主、十字架につけられたまいしを、あがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、主の救いにあずかることを得させたまえ
       (三)栄光の奥義
         1 御 復 活
 主よ、死よりよみがえりたまいしを、あがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、主のごとくよみがえることを得させたまえ
         2 御 昇 天
  主よ、昇天したまいしをあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、天の喜びを望ましめたまえ
         3 聖 霊 降 臨
  主よ、聖霊の降臨したまいしをあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、聖霊の賜物を与えたまえ
         4 聖母被昇天
  主よ、聖母の天に上げられしをあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、良き終りをとぐる恵みを与えたまえ
        5 聖 母 の 冠  
 主よ、聖母が冠を受けたまいしをあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、栄光の冠を受くる恵みを与えたまえ

 歯切れの良い文語で記されており、目を開かされるような表現があります。例えば、「(一)喜びの奥義 3御降誕」にこうあります。
「主よ、御降誕をあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、世の財宝(たから)を軽んずることを得させたまえ」
 世の財宝を軽くみる(意味や価値があるものとして見ない)こと、その思いを得させるように祈っています。
  また、「(二)悲しみの奥義 4主、十字架を負いたもう」にこうあります。
「主、十字架を負いたまいしをあがめ奉る。願わくは聖母のとりなしにより、甘んじて苦難を受くることを得させたまえ」
 甘んじて苦難を受ける(仕方ないものとして苦難を受ける)こと、その事実を得させるように祈っています。
 富を軽く見る、苦難を受ける、これらを得るよう望むこと、これは常識では考えられないことです。これは、キリスト者だから祈れることと思います。馬小屋で貧困の中で降誕されたイエス様、私たちを救うため十字架を負われたイエス様、その恩寵(恵み)が先にあるから、このように祈ることが成り立つのだと思います。
 新年を迎え、聖ベネディクトのロザリオで「聖マリヤのロザリー」で祈っているとき、新たな示唆が与えられ感謝な時を過ごしています。
 2023年は、ベネディクト会の標語“ora et labora” 「祈り、かつ働け」を心に刻んで日々を過ごしたいと思います。