マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『群馬大学管弦楽団・合唱団の「メサイア」を聞いて』

    去る12月10日(日)に、高崎市文化会館で群馬大学管弦楽団・合唱団によるヘンデルのオラトリオ「メサイア」のコンサートがあり、妻と聞いてきました。前橋と新町の教会の信徒さんも来られました。

 私は20年前くらいからこのコンサートを聞いていますが、今回が一番良かったと思います。器楽も合唱も安定感がありました。立教のメサイアでは、始まりと終わりにチャプレンによるお祈りがありましたが、群大のそれでは淡々と始まり淡々と終わりました。私は物足りなさを感じましたが、これが公立学校主催の限界なのだと思いました。

 ヘンデルはバッハと同じ1685年にドイツのハレで生まれ、イギリスに渡り帰化しロンドンで1759年に亡くなっています。独身でした。
 「オラトリオ」とは、古代アラム語の「祈祷室」をラテン語に訳したもので、本来は教会や修道院に設けられた祈祷用の部屋を称しましたが、転じて、キリスト教的題材をオーケストラの伴奏による独唱、合唱を用いて劇的に構成したものを言います。
 そして、「メサイア」はヘブライ語の「メシア」の英語読みです。「救世主」と訳されますが、元々は「油注がれた者」という言葉で、「神から選ばれた支配者、悩める者の解放者」を意味します。
 
 「メサイア」は3部に分けられています。第1部 預言とキリストの誕生(第1曲~21曲)、第2部 受難と贖罪(第22曲~44曲)、第3部 復活と永遠の生命 (第45曲~第53曲)です。
 メサイアの歌詞はすべて欽定訳聖書と『英国国教会祈祷書』からの引用ですが、第2曲から第4曲がイザヤ書40:1-5の聖句そのものです。原語の英語と日本語の対訳を載せます。
2. Recitative (Tenor)
Comfort ye, comfort ye my people,  慰めよ、汝らよ。私の民を慰めよ、汝らよ。
saith your God;  と、あなたたちの神は言う。
speak ye comfortably to Jerusalem,  汝ら、心地よく、エルサレムに語れ。
and cry unto her  そしてエルサレムに向かって叫べ、
that her warfare is accomplished,  “エルサレムの争いは完了(完成)した、
that her iniquity is pardoned  その不正は許された”と。
The voice of him that crieth in the wilderness,  荒野に叫ぶ者の声がする。
prepare ye the way of the Lord,  “汝ら、主の道を準備せよ。
make straight in the desert  我々の神のための大道を、
a highway for our God.  砂漠の中にまっすぐ作れ。”
  (イザヤ書40:1-3)
3. Air (Tenor)
Every valley shall be exalted,  “すべての谷間は高くせよ、
and every mountain and hill made low;  すべての山や丘は低くせよ
the crooked straight,  曲がった(道)はまっすぐにし、
and the rough places plain.  でこぼこした場所は平らにせよ。”
(イザヤ書40:4)
4. Chorus
And the glory of the Lord shall be revealed,  “主の栄光が明示されるだろう。
and all flesh shall see it together:  全ての肉体は、皆一緒にそれを見るだろう。
for the mouth of the Lord hath spoken it.  主の口が、それを語ったからである。”
(イザヤ書40:5)

   オラトリオ「メサイア」はイエス様の誕生物語でなく、救い主の預言から始めているのも、ユダヤ民族、そして人類が長い間待ち望んでいたメシアがいよいよ誕生するという期待感を曲の冒頭に抱かせます。 
   第2曲のイザヤ書40:3の「汝ら、主の道を準備せよ。我々の神のための大道を、 砂漠の中にまっすぐ作れ。」は先主日の説教でもお話ししたように、この道は元々はバビロン捕囚にある苦しみの中にあるユダヤ人がイスラエルに戻るために神様が整えてくださった道ですが、今度はその道を通ってイエス様の救いに与るように洗礼者ヨハネが「その道を整備せよ」と言っているのです。イエス様の誕生を心待ちにしている今の時期に、私たちがなすべきことを示しているように思います。 

 ヘンデルのオラトリオ「メサイア」で一番有名なのが「ハレルヤ・コーラス」です。「ハレルヤ・コーラス」の歌詞と対訳を記します。

Hallelujah,
For the Lord God Omnipotent reigneth,
Hallelujah!
(Revelation XIX 6)
The Kingdom of this world is become
the Kingdom of our Lord and of His Christ,
and He shall reign for ever and ever,
Hallelujah!
(Revelation XI 15)
King of Kings, and Lord of Lords,
(Revelation XIX 16)
and He shall reign for ever and ever,
Hallelujah!
 
ハレルヤ、
全能であり、私たちの神である主(が王座につかれた)
ハレルヤ!
ヨハネの黙示録 第19章6節)
この世の国は、
我らの主と、そのメシアのものとなった。
主は世々限りなく統治される。
ハレルヤ!
ヨハネの黙示録 第11章15節)
「王の王、主の主」
ヨハネの黙示録 第19章16節)
主は世々限りなく統治される
ハレルヤ!
 
 「ハレルヤ」とは、ヘブライ語でハ―ラル(賛美する)の二人称・複数・命令形の「ハラルー」と、神の名「ヤー(主)」からなり、「あなた方は主を褒め讃えよ」という意味です。これは、歓喜と感謝に満ちた主(神)を褒め讃える言葉です。

 「ハレルヤ・コーラス」の時には観客が立ち上がる習慣があります。それは「メサイア」のロンドン初演(1743年)の時、あまりの素晴らしさに国王ジョージ2世をはじめとする観客が思わず立ち上がったことから、現在でも「ハレルヤ」コーラスの演奏時には観客が立ち上がるのでした。立教のメサイアでもその時には客席の皆さんが起立していました。これまでの群大のメサイアでは、誰も立ち上がらず、私だけが起立して恥ずかしい思いをした記憶があります。今回のメサイアでは、私の前の席の方が「ハレルヤ・コーラス」が始まると恭しく立ち上がりました。「一人にしてはいけない」と私も起立しました。結局、立ち上がったのは二人だけでした。
 休憩時にその方に話しかけました。「どうしてお立ちになったのですか? ミッションスクールの出身でしょうか?」と。するとその方は「別の団体のメサイアでこの時に起立したので。ミッションスクールの出身ではない」ということでした。私が教会牧師の名刺を渡そうとしますと、「宗教は困ります。私はそういうのではありません」と断られました。ヘンデルのオラトリオ「メサイア」の音楽は好きでも、その奥にある宗教には関わりたくないという、これが日本の現実なのだと思いました。
 群馬大学管弦楽団・合唱団の「メサイア」を聞いて、このようなことを思い巡らしました。