マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『広隆寺「弥勒菩薩像」に思う』

 先日、2日(月)~3日(火)に京都で開催された「人権セミナー2023」に参加しました。「わたしたちはどこに立つのか、どこにいるのか、どの立場にいるのか」をテーマとして、2日は元牧師による性犯罪に関連した京都教区の二次加害について、3日は宇治市の「ウトロ平和祈念館」を訪れ民族差別を乗り越えた取組等について学びました。
 せっかく京都に来ましたので、4日は京都で自由時間を過ごし、太秦広隆寺を訪問しました。ここに私の最も好きな仏像「弥勒菩薩像」があるからでした。

 広隆寺が建立されたのは推古天皇11年の603年で、聖徳太子建立の日本七大寺の一つで、ここにある弥勒菩薩像が国宝第一号です。
 弥勒菩薩とは、釈迦が入滅してから56億7000万年後に現れて、衆生を救う仏のことで、この弥勒菩薩像は正しくは弥勒菩薩半跏思惟像といいます。弥勒菩薩は、釈迦にかわってすべての悩み、苦しみを救い正しい道へと導く慈悲の仏様であり、この半跏思惟像は「一切衆生をいかにして救おうかと考えている」姿を表しています。

 ドイツの哲学者ヤスパース(K.Jaspers)は、この仏像についてこう評しています。
「本当に完成され切つた人間『実存』の最高の理念が,あますところなく表現され尽しています。それは,この地上におけるすべての時間的なるものの束縛を超えて達し得た,人間の存在の最も清浄な,最も円満な,最も永遠な姿の表徴であると思います。私は今日まで何十年かの哲学者としての生涯のうちで,これほどまでに人間『実存』の本当に完成されきった姿をうつした芸術品を,未だかつて見たことがありませんでした。この仏像は,我我人間の持つ『人問実存における永遠なるもの』の理念を,真にあますところなく完全無欠に表徴しているものです」と述べたという(篠原正瑛「敗戦の彼岸にあるもの」)。

  確かにこの御像の神々しさ、すがすがしさは比類のないものです。唇の両端(口角)をわずかに上にむけて微笑んでいるアルカイックスマイルで、ダ・ヴィンチの「モナリザ」もこのような微笑みをしていますが、この御像の方が、高い精神性を表しているように思われます。 
 そして、この親指と薬指を重ねた仕草、まるで生きとし生けるものに祝福を与えているようです。私が聖餐式の時などに行っている祝福の所作によく似ています。

 さらに「一切衆生をいかにして救おうか」と思い巡らしている姿は、聖母マリアのクリスマスでの出来事を彷彿とさせます。
 『天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝ている乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使から告げられたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらのことをすべて心に留めて、思い巡らしていた。』(ルカによる福音書2章 15~19節)
 この意味では、レクチオ・ディビナにおけるメディタチオ(黙想)ですが、この御像を注視するという意味ではコンテンプラチオ(観想)とも言えるのではないでしょうか?  
 「黙想」は、自分の力での祈り、言い換えれば自発的な祈りですが、「観想」はもはや自分というものがなくなり、すべてを神に委ねた祈り、自分の力では到達できない、神の力によって到達できる祈りとされています。自分の奥底にある自分でも意識できないような部分まで神と触れ合うことによってできる祈りであります。
 私はこの弥勒菩薩半跏思惟像をかなり長い時間見つめましたが、この行為は、「観想」と言えるように思います。それはギリシャ語で「テオリア」というもので「見神」とも訳され、神との一致を求めて神を観ることで、私の感覚では聖体訪問をしているときと同じでありました。

 広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像は1400年以上前に作成された御像ですが、現代の私たち、そして西洋の哲学者も心惹かれるのは、「この世の悩み・苦しみを救いたい」という人類の普遍的な願いがここに表れ、それは崇高な神との一致により実現されることを示しているからではないでしょうか?
 広隆寺弥勒菩薩像から、このようなことを思い巡らしました。