マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

復活節第3主日聖餐式  「復活の証人として生きる」

 本日は復活節第3主日。前橋の教会で聖餐式を献げました。先主日は新町の礼拝でしたので、今回が私の前橋就任後初の聖餐式の司式・説教でした。

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 聖書箇所はヨハネの手紙一1:1-2:2とルカによる福音書24:36b-48。説教では、「キリストの証人」ということにスポットを当てて思い巡らしました。復活したイエス様が私たちと共に歩んでおられることを知り、復活の証人として生きるよう勧めました。去る4月14日に逝去されたマッテア教会出身のA司祭についても言及しました。

   「復活の証人として生きる」

<説教>
 父と子と聖霊の御名によって。アーメン

 皆さん、お久しぶりです。この度の人事異動で高崎聖オーガスチン教会から前橋聖マッテア教会牧師として赴任しました司祭の福田です。教区の方針でイースターまでは前任地で働きましたので、4月5日(月)から私の前橋聖マッテア教会での勤務が始まりました。先主日は新町聖マルコ教会で礼拝奉仕を行いましたので、本日が私のマッテア教会就任後、最初の聖餐式の司式・説教です。
 私にとってマッテアは母教会であり、故郷に帰ってきたような思いです。会館・牧師館建築を現在進行中での就任であり、このことを円滑に推進するとともに、宣教・牧会に務め、主のみ旨を果たすことができるよう祈り求めて参ります。どうぞよろしくお願いいたします。

 説教の本題に入ります。本日は復活節第3主日です。本年はB年ですので、聖書日課はマルコによる福音書が中心ですが、今回はルカによる福音書24章36節以下から採られております。
 こんな話でした。
『イエス様が十字架で亡くなった3日後の夜、弟子たちは集まって「全ては終わりだ、これからどうしたらいいだろうか」と考えていたと思われます。その時にイエス様が、彼らの「真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』」とおっしゃいます。最初は亡霊を見ているのだと思って恐れましたが、イエス様と話し、イエス様の傷跡や魚を食べるイエス様を目撃するうちに、弟子たちは「イエス様が本当に復活した」と、実感しました。そして、イエス様は弟子たちに言いました。46節の後半から48節です。
「『メシアは苦しみを受け、三日目に死者の中から復活する。また、その名によって罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、すべての民族に宣べ伝えられる。』あなたがたは、これらのことの証人である。」と。
 つまり、イエス様の復活を目撃したあなたがたはメシア(キリスト)の証人なのだ、というのです。これが今日の箇所の結論でした。

 今日はこの「キリストの証人」ということにスポットを当てて考えたいと思います。
 ここの「証人」のギリシャ語原文はマルチュレスで、動詞「マルチュレオー」の名詞形です。「マルチュレオー」は「事実や出来事を確証し、証しする」の意味です。 証しする内容・対象がキリストであれば、イエス様の生涯に起こった出来事を単に「証しする」だけでなく、イエス様とは誰なのか、その本質はどこにあるのかを「証しする」ことを含んでいます。今日の使徒書のヨハネの手紙一の1章1節・2節にもこうあります。
「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの、すなわち、命の言について。―この命は現れました。御父と共にあったが、私たちに現れたこの永遠の命を、私たちは見て、あなたがたに証しし、告げ知らせるのです。―」
 ここでは、ヨハネがイエス様を命の言であり永遠の命であると本質を明らかにしています。言い換えれば、「証し」はキリストの栄光を明らかにすることとも言えます。そうであれば、出来事の直接の目撃者でなくても、証しすることができます。そのような「証し」はイエス様が誰なのかを「告白する」ことと同じになります。キリスト者は神の業を証しし、告白する者であります。こうして、この言葉は命をかけた「証し(=告白)」、つまり「殉教」をも表す言葉となったのです。

 福音書の48節「あなたがたは、これらのことの証人である。」はギリシャ語原文をそのまま直訳すると「あなたがたは 証人 これらのことの。」であり、「証人になれ」という命令形でも「証人になるでしょう」という未来形でもありません。「あなたがたは、証人である。」とイエス様は弟子たちに断定しているのです。
 私たち、キリスト者も人生のあるときに復活の主イエス・キリストに出会い、イエス様によって新たな生き方に導かれ、今、神の業を証しし主の栄光を現す「キリストの証人」なのです。そのことを、私たちは意識することが大事であると思います。

 このことに関係して、今回皆さんにお話ししたいのは、去る4月14日に逝去された当教会出身のA司祭についてです。A司祭さんはキリストの証人として生き、主の栄光を現し、退職と同時に70歳で天に帰られ、それはある意味、殉教とも言えるように思うのであります。
  私にとってA司祭さんで印象に残っている3つのことがあります。1つは、軽井沢のみすず山荘での夏の教区の日曜学校キャンプでのことです。当教会からO司祭さん夫妻・私・Tさん・Yさん、そしてA司祭さん夫妻が参加していたと思います。当時、A司祭さんはスーパーマーケットの営業部長さんのような仕事をしていたので、二泊三日の休みを取るのは大変だったと思います。会社から電話が来たのでしょうか、携帯電話でてきぱきと品物の数量等について部下の方に指示している姿を拝見しました。2つ目は、A司祭さんが50歳前後の頃に早期退職して、当時ベトナム難民を受け入れていた施設「あかつきの村」でボランティアをしながら、マッテア教会にも平日来られていたときのことです。県庁に勤めていた私が昼休みに教会を訪れると、車の中で分厚い聖書をむさぼるように熱心に読んでいるA司祭さんを目撃しました。3つ目は、A司祭さんが神学校にいた時に、合同礼拝が立教新座の聖パウロ礼拝堂であり、確かKさんの車に同乗した時のことです。いろいろな話をしましたが、「聖書ではヨブ記がよい」と話され、「今、ボンヘッファーの『共に生きる生活』を読んでいる」ということでした。そう伺ったので、私はヨブ記を読み直し、「共に生きる生活」を購入し読み始めたことを覚えています。

 今回、A司祭さんの訃報に接し、この3つのことを思い出しました。特に3つ目のヨブ記ボンヘッファーの『共に生きる生活』がA司祭さんの「人となり」を現しているように思いました。ヨブ記は「正しい人が苦しまねばならない」という『義人の苦難』をテーマとしています。また、『共に生きる生活』では、人間関係において必要なのは「神を通したつながり」であり、「神と共に生きる生活」と「人と共に生きる生活」は分けることができない、という主張がありました。

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 A司祭さんは心ならずも病を得て長年の闘病生活を余儀なくされ、退職と共に神に召されました。闘病中、ヨブ記をどのようにお読みになったでしょうか? また、A司祭さんは東松山聖ルカ教会で毎朝、数名の信徒と共に「朝の礼拝」を捧げておられました。「前任者がされていたことを引き継いだ」とのことですが、信徒と共に毎朝神と対話されていたのです。「神と人と共に生きる生活」を実践されていたと思うのであります。先日のイースターに発行された「教区時報」には、A司祭さんの思い出を聖ルカ教会の信徒3名が記しておられます。それを読みますと、企業家としての経験を生かし教会や幼稚園の建築に尽力する姿や、信徒の心の琴線に触れるお話をされる率直な人柄が偲ばれます。A司祭さんは50歳直前に受洗し、一気に神様にとらわれ神学校に入学し、聖職の道を歩まれました。病を得ながらヨブ記から神様のメッセージを受け取り、神と人と共に生きる生活を実践された「キリストの証人」であったと私には思わされました。

 皆さん、十字架の3日後に弟子たちに姿を現した復活の主イエス様は、私たちにも出会ってくださり、今も行く道を共に歩んでくださっています。そして、弟子たちと同様に私たちも、救いや恵みの体験、あるいはいただいた様々な神様からのメッセージを他の人々に伝えていく「キリストの証人」として生きる使命が与えられています。
 神様の恵みや、慈しみ、復活の素晴らしさを思い起こしながら、私たち一人一人が「神と人と共に生きる生活」を実践し、イエス様の証人、復活の証人として生きることができるよう祈り求めて参りたいと思います。