マッテアとマルコの家

勤務している前橋聖マッテア教会や新町聖マルコ教会の情報及び主日の説教原稿並びにキリスト教信仰や文化等について記します。

『バッハのカンタータ134番「イエスによりて生くるを悟りし心は」に思う』

  先主日福音書箇所は ルカによる福音書24:36-48(復活したイエス様が、エルサレムで弟子たちの前に現れる)でした。この箇所を取り上げたバッハのカンタータがあります。カンタータ134番「イエスによりて生くるを悟りし心は(おのがイエス生きたもう、と知る心は)」です。この箇所はバッハの頃のルター派の教会暦では復活後第3日(火曜日)に読まれ演奏されました。初演は1724年4月11日です。
 私が聞いているのはこのバッハ・コレギウム・ジャパンのCDです。

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 音楽監督・指揮が鈴木雅明、録音は2001年。編成は、合唱がパート4人の16人、管弦楽は18人で全34人、独唱者は、ロビン・ブレイズ櫻田亮、ペーター・コーイです。
 
 このカンタータは、アンハルト=ケーテン侯レオポルドのための祝賀カンタータを1724年にパロディしたもので、その歌詞は、当時名を知られた詩人、クリスティアン・フリードリヒ・フーノルト又の名をメナンテスが書いたものです。
  祝賀気分に満ちた明るいカンタータです。構成は1. レチタティーヴォ (AT) 、2. アリア (T) 、3. レチタティーヴォ (AT) 、4. 二重唱 (AT) 、5. レチタティーヴォ (AT)、6. 合唱。すべて長調の楽章からなりたっています。アルトとテノールの対話で曲が進行していく室内楽的な二重唱カンタータで、合唱は終曲に登場するだけです。アリアと二重奏は舞曲のようで、まるで協奏曲か室内楽曲を聴いているような気になります。
 YouTubeでHelmuth Rillingの演奏を聞くことができます。次のアドレスです。https://www.youtube.com/watch?v=9YSuRzX8094
 このバージョンでは、4. 二重唱 (AT、デュエット・アリア)でストリングスによって果てしなく繰り返されているのが印象的です。「天国的な長さ」です。

 カンタータ134番「イエスによりて生くるを悟りし心は(おのがイエス生きたもう、と知る心は)」の歌詞は、直接的には当日の聖書箇所の引用はありませんが、復活した主イエス様への感謝・賛美が溢れています。私が惹かれたのは後半の5. レチタティーヴォ (AT)、6. 合唱です。
 特に、5. レチタティーヴォ (AT)は、優れた祈りの言葉と言えると思います。以下に日本語訳(川端純四郞訳)を載せます。
(テノール)なにとぞ私たちの口に感謝を呼び起こしてください。
私の感謝はあまりにこの世的なのです。
そうです、どんな時にもあなたと
あなたのみわざを人間の心が忘れないようにして下さい。
そうです、私たちの胸の慰めと
あなたの恵みにすがるすべての心の
慰めと楽しみを、あなたにあって
完全な永遠のものとして下さい。
あなたのみ手が私たちをとらえて、
あなたのみわざを明らかに見させて下さい
あなたの死と勝利が私たちに与えたものを
そしてあなたの復活の後には、たとえ
この世では死んでも死ぬことなく、
あなたの栄光の中に入ることを。
(アルト)大いなる神よ、私たちの心の中のすべてはあなたを崇め、
あなたの恵みと真実を讃美する。 
あなたの復活は恵みと真実を新たにした、
あなたの大いなる勝利は私たちを
敵から解放し命をもたらした。
さあ、あなたに讃美と感謝をささげよう。

 そして、終曲の6. 合唱では、復活した主へ全幅の信頼を歌い上げています。歌詞(日本語訳)はこうです。
鳴り響け、天よ、喜べ、地よ、
至高者を讃えよ、信じる群れよ、
すべての心は見て味わう、
復活の救い主の限りない恵みを。
主は慰めを与え
勝利者として出現されているのだ。

 バッハはほとんどのカンタータを市や教会の注文により作曲し、これらの作品は職業上の要請から生まれました。しかし、どの作品も高い宗教的境地に達していました。このことは今回参考にした「バッハ 神はわが王なり」にも記されていました。

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 この本の「7宗教作品」の項にこうあります。
『バッハは、心の底から宗教的な人間であった。そのため、人によってはバッハのことを聖マタイ、聖マルコ、聖ルカ、聖ヨハネに続く「5番目の福音史家」と呼ぶ者さえいる。ライプツィヒ時代の初め、バッハは音楽監督としての職務を果たすために、ほぼ1週間ごとにカンタータを作曲した・・・。』
 超人的な働きであり、それを支えたのは彼の職業作曲家としての自負と彼の信仰心と言えます。
 この本の「まえがき」にこうあります。
『彼が作曲し演奏する音楽は、それが直接に神を讃える宗教音楽やオルガン音楽であれ、書斎でただひとりクラヴィコードに向かい自らの楽しみのために奏でるクラヴィーア曲であれ、貴族の豪華な晩餐の余興として華やかに演奏される協奏曲や室内楽曲であれ、彼にとっては常に神を讃える音楽であり、また同時に彼自身の肉体と精神を整え、聴く者の心の喜びであり得たのです。そして、彼がうまずたゆまず書き続けるのは、神に通じる音楽なのである。』
 私たちの日々の生活も、このようにありたいものだと願います。